吉田沙保里33年のレスリング人生に終止符!
ご機嫌いかがでしょうか。
最強の強さに支えられ、勝つことが当たり前のアスリートの
戦いを終えた吉田選手の引き際はさわやかそのもの!
東京五輪の迷いもなかったようだ。
語るべくもないものがきっとあるはず!
3歳から始めたレスリング人生のスタートのコーチは
父であったという。
英雄的強さの綻びがかいま見えたのも最後のオリンピックであった。
銀メダルに立ったその時の感想は、負けるということの側の立場に
初めて立つことで、その側の思いを知ることができたことは
人生の苦境を知ることができたことは
得難い体験であったとひょうひょうと語る吉田選手
人生のさらなるページが、金メダルだけではないスタートから
新たなる大いなる羽ばたきを応援したいものです。
吉田沙保里の引退会見
これまで長い間、現役選手として頑張ってこられたのは、たくさんの応援とサポートが
あったから。本当に、ありがとうございました。
質疑応答
ロンドンオリンピックで金メダルに輝き、父でセコンドの栄勝さんを肩車する吉田選手
。左は栄監督(2012年8月)
ロンドンオリンピックで金メダルに輝き、父でセコンドの栄勝さんを肩車する吉田選手
。左は栄監督(2012年8月)
――今どんな気持ち。
3歳から始めたレスリングを33年やってきたことを、本当にうれしく思う。この場
であいさつをでき、感謝の気持ちを伝えられて、ホッとしている。
――最終的に決断したのはいつ。
父は生前、「引き際は大事だよ」と。「勝って終わることが大事だ」とも言われてい
た。最終的に、去年12月の天皇杯の試合を見たりして、その辺で心は決まった。
――天皇杯で、伊調馨選手が優勝するのを目にして、何を思ったか。
人は人と教えられてきた。自分の心は(現役続行には)動かなかったが、共に頑張っ
てきた馨の「東京オリンピックを目指す」という言葉を聞いた時には「すごいな」と率
直に思った。
――父への思いを。
引退会見を(自分の娘が)するだろうと、父は思っていなかったと思う。ビックリは
していると思う。応援してくれたみなさんに感謝を伝えるために設けたこの場だが、父
も「よく頑張った」と天国から言ってくれていると思う。
――次の夢は。
いろいろあるが、レスリング以外のこともやっていきたい。やはり、女性としての幸
せは絶対につかみたいと思っている。来年の東京五輪を盛り上げたい思いも強い。
――東京五輪と、どうかかわりたいか。
コーチも選手も頑張っている。私も精神的な支えになれたらと思っている。
――リオ五輪決勝の相手選手について。
ヘレン選手とは、前から何度か試合をしていて、4年ぶりくらいに当たった。私のア
テネ五輪の戦いを見て、「私が(吉田を)倒す」と目標にしていたと聞いた。それまで
は大差で勝っていたが、リオ五輪では組んだ瞬間、圧力と勢いがすごかった。4連覇し
たかったが、ヘレンの方が勝ちたいという思いが強かったんだと思う。強くなったな、
強いなと思った。
――多くの著名人、アスリートと交流があるが、レスリング選手以外で影響を受けた
人は。
五輪に出たいと思ったきっかけは、柔道の谷亮子選手。谷選手にあこがれて、中学生
時代から「五輪で金メダルを取りたい」という夢を持ち、レスリングが正式種目になっ
てもいない頃から五輪に出たいと思ってきた。大学のころにアテネ五輪で正式採用とい
うことが決まり、出るために必死になった。あこがれた選手は、ヤワラちゃん(谷選手
)だけかなと。他にも素晴らしい選手はいるが、きっかけはヤワラちゃんだった。
オリンピックと世界選手権を合わせて史上初の13連覇を果たし、国民栄誉賞を受賞。
表彰式で野田佳彦首相(右・当時)から真珠のネックレスを受け取った。(2012年
11月)
オリンピックと世界選手権を合わせて史上初の13連覇を果たし、国民栄誉賞を受賞。
表彰式で野田佳彦首相(右・当時)から真珠のネックレスを受け取った。(2012年
11月)
――選挙の出馬要請は来ているか。来たらどうするか。
全くない。要請が来ても出ない。
――栄和人・元監督はどんな存在か。
3歳からは高校まで父に育ててもらって、大学で栄監督と出会った。世界で戦えるよ
うに育ててくれた熱い指導者。感謝の気持ちでいっぱい。引退すると言ったら、「そう
か。ご苦労さん」という言葉をかけてもらった。「俺が泣きそうだよ」とも。涙もろい
ところもある。
――最も印象に残っている五輪や世界選手権のメダルは。
2002年の世界選手権からスタートし、16年のリオ五輪まで、世界の舞台で活躍
できた。どれも印象に残っているが、最後のリオ五輪。それまでは世界で16回、表彰
台の一番高いところに立ち、「やった、勝てて良かった、うれしい」という気持ちしか
なかった。リオ五輪では「負けた人って、こんな気持ちだったんだ。競い合う仲間がい
たから(自分は)頑張ってこられたんだ」と知ることができた。負けて得ること、知る
ことは大きかった。リオの銀メダルが、私を一番成長させてくれたということで思い出
に残っている。
――マットに別れを告げたか。
まだ別れを告げていない。後輩たちと練習しているし。これからまだまだ、後輩たち
と汗を流すと思う。
――昨年、女子レスリング界が不祥事に揺れた。どんな思いでいたか。
私を育ててくれた栄監督と、共に頑張ってきた仲間が、昨年のああいう状況になった
ことはショックだった。そういう中でコメントすることは難しかった。「これからどう
していくんだろう」という思いも強かったし、後輩たちが悩み、思い切り練習できなか
ったり、試合で結果が出せなかったりしたところが、一番つらかった。次に向かって頑
張っていくしかない。前を見て、東京五輪に向けて、一つになって頑張っていかないと
。
――自分の強みは。
タックルで攻めるのが一番の強みだった。
――吉田選手にとって、レスリングとは。
人生の一つ。レスリングがなかったら、ここまでの私はなかった。いろんなことを学
べた。いろんな人と出会えた。本当にレスリングのおかげだと思っている。
女子レスリングの吉田沙保里が自身のTwitterで現役を引退すると表明した
吉田沙保里はタレント業を優先させるらしく、栄和人前監督の後任を固辞したという
吉田沙保里は伊調馨と違い天才肌で、若手指導の引き出しがないと発言したとの噂もあ
る
2019年01月10日 09時26分 日刊ゲンダイDIGITAL
父・栄勝さん(右)の教えが大きい(C)共同通信社
霊長類最強女子が、ついにマットを去る。
五輪、世界選手権合わせて16大会連続で頂点に立った女子レスリングの吉田沙保里
(36)が昨8日、自身のツイッターで「33年間のレスリング選手生活に区切りをつ
けることを決断しました」と現役引退を表明した。
吉田は銀メダルに終わった16年リオ五輪を最後に休養し、進退を明らかにしないま
ま女子日本代表のコーチを務めていた。
タレント活動の傍ら、世界選手権や全日本選手権などのテレビ中継の解説を務めるな
ど、女子レスリングの広告塔としての役割もこなしてきた。
五輪5個目のメダルがかかる20年東京五輪開幕まで2年を切ったいま、引退を表明
したのは引き際を痛感したからだという。
リオ五輪後、女子中量級は若手が台頭。昨年10月の世界選手権(ブダペスト)の5
5キロ級を制した向田真優(21=至学館大)は吉田の後継者と位置付けられ、東京五
輪でも金メダルが有力視されるまでに成長した。
「リオ五輪後は競技から遠ざかり、全日本合宿で若手のスパーリングパートナーを務め
る程度。本格的な練習もしてこなかった。東京五輪を目指して練習を再開しても、五輪
どころか国内選考会を勝ち抜くのさえ厳しいのが現実です。最近では若手の練習相手を
務めた後に『しんどい』とこぼすなど、体力の衰えを口にすることも珍しくない。レス
リングの手ほどきを受けた父・栄勝さん(故人)からは常々、『アスリートは旬の時期
にやめなければならない』と言われてきた。父親の遺志もあって、生き恥をさらすより
、潔く身を引くべきと判断したのでしょう」(レスリング関係者)
■指導者への本格転身は先のばし
吉田は18年に、それまで務めていた母校・至学館大学の副学長を辞任しているが、
職員として籍を残している。伊調馨へのパワハラ騒動をきっかけに解任された栄和人前
監督の後任として名前が浮上したものの、実現しなかったのは本人が固辞したからだと
いう。
「栄前監督のパワハラ騒動もあって一時は仕事が減ったとはいえ、今後も吉田は本気で
タレント活動に取り組むつもりでいます。学長からレスリング部監督就任を打診されな
がら、首を縦に振らなかったのは当面はタレントとしての仕事を優先させるため。少な
くとも東京五輪まではスポーツ関連のテレビ番組、イベントなどを中心にやっていくつ
もり。至学館大や女子日本代表も含め、本格的な指導者に転身するのは東京五輪が終わ
ってからでも遅くないと考えている」(前出の関係者)
理論的に技術を追求する伊調とは異なり、吉田はどちらかといえば天才肌だ。親しい
関係者には「練習パートナーなら務まるが、若手を指導するだけの引き出しがない」と
指導者転身は時期尚早と話しているという。
今後はタレント活動をしながら、将来の金メダリストを育成すべく指導者修業に励む
ことになりそうだ。
吉田沙保里の引退会見に見た超自然体の凄み -