秋篠宮様、大嘗祭につきご発言。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 お誕生日にあたり、秋篠宮様

宮中行事に当たり

ご自分の碁石のほどを伸べられたことが拡散しています。

 みこちゃんの意見としても、宮様の意見に同意するところであります。

天皇の歴史の継承も大切ながら、国難に際しての

社会通念に照らし合わせたご意見としてのご発言に賛同します。

 石介入が許されない環境に追い詰めることは今の社会環境には

なじみにくい受け止めもあるのではないのだろうか。

 皇室の在り方についても、三宅のご意見を参考にしながら

論じ会う機会もいるのではと感じるものでもあります。

 皇室の在り方については宮内庁との意思疎通が図られていない実態にも

驚きを禁じえませんでした。

秋篠宮さま発言 「大嘗祭」に一石投じた

2018/12/1 秋篠宮さまが天皇の代替わりに伴う皇室行事、大嘗祭(だいじょうさい)に

ついて「宗教色が強いものを国費(宮廷費)で賄うことが適当かどうか」と指摘した。

さらに「できる範囲で身の丈に合った儀式の形で行うのが本来の姿だ」という発言もあ

ったことは興味深い。

 国事行為の「即位の礼」への言及は避けたが、大嘗祭については示唆に富む内容であ

り、政府が主導する代替わりの在り方に一石を投じたことになろう。国の財政がさらに

厳しくなる時代に向かって、より国民の理解が得られる簡素な儀式へ、再考を促す好機

ではないか。

 大嘗祭は新天皇が五穀豊穣(ほうじょう)と国家の安寧を祈る祭祀(さいし)で、一

代に一度行う。「即位の礼」とは別に、皇室行事として来年11月、皇居に建設する大

嘗宮で予定されている。平成の代替わりでは約22億円が支出され、憲法の「政教分離

」の原則に反するとの批判もあった。

 秋篠宮さまの発言は、大嘗祭は宗教色が強く国費で賄うのがどうか―と問い掛けてい

る点をまず重く受け止めたい。宮廷費ではなく一家の「お手元金」である内廷費から支

出すべきだとも語っており、おのずと「身の丈に合った儀式」ということになるのだろ

う。

 天皇陛下憲法が定める国民主権や平和主義を尊重する立場から、「平成」という時

代に合った皇室の在り方を探ってきた。秋篠宮さまもそれに近い考え方だとすれば、皇

室行事がほぼ戦前のまま、今の憲法の下で行われることに異論を持ったとしてもおかし

くはない。

 皇室行事を巡っては学者の間でも両論ある。所功京都産業大名誉教授が「宮中祭祀

特定の宗教を助長するものではなく、宗教性より皇室の伝統的文化としての面に大きな

意義がある」としているのに対し、島薗進上智大大学院教授は「戦後、国家神道は解体

されたことになっているが、象徴天皇制の中に国家神道的なものは大幅に引き継がれて

いる」と指摘する。

 皇室行事を巡って議論が分かれるのであれば、政府はもっと丁寧な説明を行うべきだ

ろう。今回は秋篠宮さまが「結局、平成を踏襲することになり、私としてはすっきりし

ない」と吐露したことにも驚かされたが、その心境は理解できよう。

 今回の発言は代替わり後に皇位継承順1位の「皇嗣(こうし)」となる秋篠宮さまが

閣議決定に異を挟む形となったため、波紋を広げているのはやむを得ない。旧憲法は統

帥権(軍隊の最高指揮権)を天皇の大権と定めたが、今の憲法天皇は国政に関する権

能がない―と規定している。皇族が皇室行事について個人的な考えを述べる許容範囲に

ついては議論があっていい。

 一方、秋篠宮さまによると、こうした意見について宮内庁は「話を聞く耳を持たなか

った」という。宮内庁長官は「そのようにお受け止めになったのであれば申し訳ない」

と釈明したが、これも驚きを禁じ得ない。巨額の国費が動く代替わりに際して、宮内庁

と皇族の間で意思の疎通が十分でないとすれば由々しきことではないか。

 閣議決定は変更できないにしても、憲法が定めた象徴天皇制の将来のために、このた

び明らかになった論点の整理は欠かせない。皇室の在り方の基本は国民との間にあるは

ずだ。