ねむの木学園50年に寄せて!

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 ねむの木学園が50周年を迎えた。宮城さんは福祉の何たるかも知らない中から

夢中で駆け抜けられた50年ではなかったろうか?

共に暮らしてこられた作家の吉行準之助さんは

宮城さんの借金漬けの人生をいつも案じられていたと

どこかの本で読んだことがあります。

それくらい無我夢中でこの事業を信仰され続けてこられたのだと敬服あるのみです。

 宮城真理子さんは障碍者の傍らに常に寄り添うことのできる

真実の愛を傾けることのできる存在であると思っています。

真実の愛は、言葉がなくても通じ合えるものが

そこにちゃんとあることを 実証されてもいます。

 真理子さんの『お母さん』の本に振れさせていただきました。

 学園の二人の男性との手紙のやり取りが本のベースとなっています。

 みこちゃんがその中で印象に残ったのが「黄色い道」の手紙でした。

イチョウの葉が黄色くなってイチョウの木も黄色そして道も黄色に染まっているよ。

イチョウの葉が重なって「カサコソカサ」とイチョウの葉の言葉で話しているよ。

その上をたくさんの人たちが通り過ぎてゆく。

歩いた人の数だけ音楽が生まれ耳に優しく聞こえてる。

深い秋から冬への初めに色と音楽

イチョウの葉っぱ、木を染め道を染め冬の風となって

大空いっぱい、青空を染めて飛んでいくよ。

この詩に対し

真理子さんの優しく体をいたわるお気持ちと、夜の23時までホールでピアノに向かう

彼の背中を案じながら堆積されるお姿に感動しました。

 まるで詩は生まれたまんまの何色にも染まることのない美しい心の

ハーモニーそのものです。

本当に感動に震える内容でした。

                                      

     産経よりの引用です。

ねむの木学園50周年 道を開き続けた「母ちゃん」の愛 (2018年10月26日)

 日本で初めて体が不自由な子供のための養護施設として設立された「ねむの木学園」(静岡県掛川市)が今年創立50周年を迎え、28日に記念式典と運動会が開催される。「障害を持つ人のために学びの場をつくりたい」。この一心で運営の最前線に立ち続けてきた女優、宮城まり子さん(91)を訪ね、半世紀の足跡を振り返った。(加藤聖子)

                   ◇

 パワフルに準備

 少し汗ばむくらいの秋晴れの日。豊かな自然に囲まれた「ねむの木学園」では間もなく迎える本番に備え、子供たち、教職員が総出で記念式典や運動会の練習を行っていた。色とりどりのリボンが青い空に映える。「きれいでしょ。万国旗じゃなくてリボンにしたの」と、宮城さん。

 子供たちの衣装や、式典・運動会の内容、演出の全てを宮城さんがプロデュースしているという。予行演習中は音響、立ち位置、出入場のタイミングまで細かく指示を飛ばしていた。年齢を感じさせないパワフルさだ。

 ゼロからの出発

 人気女優だった宮城さん。昭和30年に歌謡曲「ガード下の靴みがき」が大ヒット、舞台やテレビにもひっぱりだこだった。そんな中、脳性まひの子供を演じたことが契機となり、障害を持つ人への思いを深めていく。

     ではごきげんよろしゅうに・・・。

 昭和30年代は、障害を持つ人が学べるような福祉の制度がほとんど整備されていなかった時代だ。宮城さんは土地や教職員探し、資金調達や役所への届け出などに奔走し、昭和43年、ついに浜岡町(現・御前崎市)で開園にこぎ着ける。「正直、こんなに大変だとは思わなかった。何度厚生省(現・厚生労働省)に通ったことか」と笑いながら振り返る。