人間に傲慢さがある限り差別はえいえんのもの!!

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

今日は奇しくも73回目の広島原爆の日でもあります。

 わが従妹の家族は原爆の日にお父さんが広島に出向き

その行方を案じ手従妹のお母さんが坊やを背負い爆心地に出向き

家族全員被爆者となりました。

叔父は背中に広くケロイドの方が残っているそうです。

でも家族は原爆の話は一切沈黙してもいます。

当時田舎ではうつるのではといった

流言飛語が飛び交っていたからでもあります。

毎日新聞の記事にあぜんとさせられました。

なぜなら、偏見のない世の中を目指せるわけがないと思える

立場の一人でもあるからです。

 障碍者で在ったり、マイノリティで在ったりの差別が

なくなるなんてとても思えない現実の歴史は古き時代より永遠に残り続けることでしょ

う。

 この度の杉田衆議院の爆薬発言に

どれだけの人が怒り沸騰させられたことでしょうか

おそらく本音と建前論で処理したとして

8割以上の人が心の奥底に差別意識は内在されているのではと思っています?。

杉田議員の湿原をただしたとして世論に訴えることはできても

本人の問題行動の抑止力になるとは思えません。

それは議員の良くも悪くも言わせる言葉は

そのまま本人のパーソナリティとしての歴史的背景でもあるからです。

 人権問題の差別意識は議員の多くに内在しているとも感じるところは多く見受けられ

るからです。

これは人間としての豪ともいえるのかもしれません。

 ヤマユリ円の大量殺害事件に多くの賛成意見もネットで

駆け巡りもしました。

ネットで在れば本音のつぶやきも表現できるといった特異性もあります。

人間の傲慢さが

 真っ白な人格として誕生した赤ちゃん。

この子の人格形成は親のいつくしみ方にもよって

色づけられますので親のお気持ちがやがて大人になった時の

基盤になる過程が大切にはぐくまれることを

ひたすらにお祈りするだけです。

一人一人に問われるものがあるとしたならば

老いたご両親を大切にして差し上げることが

まずは気持ちの一歩なのかしら友妄想します。

人間の傲慢さは奥深く内在しているとも言えるのではないのでしょうか!

     毎日新聞より。

社説 偏見が消えない社会 誰も排除されないために (2018/08/06)

 障害者や少数者に厳しい視線を向け、排除しようとする。そんな空気が社会に暗く広

がっている。

 自民党杉田水脈(みお)衆院議員は月刊誌への寄稿でLGBTなど性的少数者のこ

とを「生産性がない」などと主張し、厳しい批判を受けた。当初は杉田議員の発言を容

認する意見が同党内で起きていた。

 相模原市の障害者施設では2年前、19人もの障害者が殺される事件が起きた。今で

も被告に賛同する書き込みがネットで散見される。

 かつての優生思想が、過度に自己責任を求める競争社会の中で再び姿を現しているか

のようだ。

 こうした風潮に対して、私たちは何をすべきなのだろうか。

 障害者の生きる権利を訴えるシンポジウムや集会が相模原事件をきっかけに各地で行

われてきた。メディアも障害当事者の発言を積極的に取り上げてきた。

 20年以上前に廃止された旧優生保護法に基づく強制不妊手術の被害者を救済する運

動は、今年になって全国的に広がった。障害者の尊厳を守ろうという機運が原動力のよ

うに思える。

 今年の通常国会では「障害者文化芸術活動推進法」が成立した。日本の障害者の芸術

作品が海外で高く評価されていることが背景にある。

 海外で高値が付いている絵画や陶芸の作者の中には、意思疎通の難しい重度障害者も

たくさんいる。日本では福祉サービスや障害年金の受給者としか見られてこなかった障

害者たちである。

 社会の価値観が変われば、芸術・文化的評価や経済効果を生む「生産性」はいかよう

にも変わりうることを示している。

 そのような芸術活動ができない障害者も、家族や支援者らを通して社会にさまざまな

メッセージを発信し、影響力を及ぼしている。

 多様な価値観と深い洞察をもって社会を考えることが、優生思想の広がりを防ぐこと

につながる。

 貧しい独居の高齢者は増えている。うつや依存症、ひきこもりなど、生きにくさを抱

えた人も多い。たとえ自分は健康でも、いつ家族や友人が障害を持つかわからない。

 弱者や少数者への偏見は社会に不安と息苦しさをもたらすだけだ。

世界を理解するために、私たち自身の周りにいる人間を頼る社会的な生き物です。

私たちが世界をどのように理解し、認知しているのかということを理解するために、便

利な比喩を紹介しましょう。

それは、文化を私たちが常に身に付けているメガネだと考えることです。

例えば魚が常に水の中にいるように、私たちは常にその眼鏡をかけて生活しているって

いうことです。

そして、そのメガネには2つの重要な部分があります。

それはメガネのフレームとレンズです。

フレームは私たちの文化によって形作られたマクロな社会規範、

レンズは私たちが社会化の過程を経て経験してきたミクロな(個人的な)視点

です。

フレームについて詳しく説明

このマクロの視点については、わかりやすく説明すると、日本の文化の主流においては

、私たちがピンクは女の子のものであってブルーは男の子のものであるとする社会規範

や、民主主義は政府や経済にとってベストなあり方であると言うような、その文化の中

に存在する大多数の人が思っている社会規範のことです。

そしてそのマクロなフレームを私たちは学校や政府マスメディアなどから学びます。

ミクロなレンズとは何か

私たちが文化や世界を見るときにかけているメガネのレンズは、個人の経験や視点から

成り立っています。

簡単に例えると、日本という文化(マクロフレーム)の中に様々な人がいますが、その

人々の中で保守や革新といった考えがあるように、人々の意見でものの見方(レンズ)

は違うわけです。

つまり、僕たちは生きていく中でメガネを作っている!!

名称未設定-13

このように、僕たちの価値観や意識というものは、文化からの社会化や自分自身の経験

によって形成されていき、

そのメガネを通じて僕たちは無意識のうちに世界を見ている訳です。そのメガネは文化

や自分自身の影響を強く受けているため、他の文化(自分にとって異質なもの)に対し

て排斥的になってしまう訳です。

目が悪い人ならわかると思いますが、メガネやコンタクトの生活になれると、メガネな

しの生活なんて考えられないでしょ?その方が世界がクリアに見えるんですから。

我々人間はわざわざそのメガネを外して世界を見ようとすることなんて滅多にないんで

す。むしろ、そういうメガネをかけていることさえ忘れてしまっているのかもしれませ

んね。

自分自身専用のメガネを作っている以上、偏見を持ってしまうのは仕方がないことでは

ある

このメガネというのはある特定の文化の中ではある共通性を持ちますが、一方他の地域

文化に出てしまうとその眼鏡はうまく機能しなくなリマす。

例えば日本から1歩も出たことなかった人が、いざ一歩海外に出るとカルチャーショック

を受けてしまうみたいなことが起きてしまいます。

つまり私たちは自分が生きていく上で作り上げてきたメガネを通じて世界を見ているの

で、他の文化をそのメガネで見ようとするとどうしても差別や偏見に繋がってしまうわ

けです。

だからこそ僕たちは、その眼鏡を外して世間を見るという姿勢が大事です。

これまでの人生で築き上げてきた価値観、つまりメガネを外す事は容易いことではあり

ません。しかし、少し眼鏡を外して世界を見てみることによってまた違った世界が見え

るのも事実なんですね。

他の文化を見てしまい経験してしまうと、また新たなレンズが形成されてしまいます。

世界を見るメガネを何個を作ることが多様性のある社会に向けての一歩だと思います。

つまり今日僕が言いたい事は、完璧に差別偏見をなくすことは難しいということです。

僕たちが普段メガネかけているメガネは、僕たちの所属する文化に強く依存しているか

らです。文化はそれぞれの文化で違う特徴を持っているため、世界中に自分と同じ眼鏡

をかけている人はほとんどいないでしょう。

差別偏見をなくすためには、他文化を経験させるところから始まるんじゃないでしょう

か。