高校教員51歳の退職、新たにNURSEとしての船出!

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 高校勤務29年、まだ小学四年生のわが子がいる中

家族に反対される中、これからはわが人生の歩みをしたいと

家族を説き伏せての新たなナースとして将来的には

訪問看護師として動けるだけ勤務したいと晴れ晴れしく語る岡田さん!

まるで異のギアーチェンジに、やはり愛読書からの

思いなのかと静かなるエールでもあります。

お母様の御心までもうけつがれておられるのでしょうか?

 一般的にはあと10年もある定年を残しての船出には

もったいない」の言葉が躍ったという

 愛読書は「宮崎憲治」と言う!

 なんともったいない選択であろうか?

でもあっぱれそのもの。

どうか命が削られるような大切なお仕事

応援あるのみです。

「病気の人あれば」の言葉の通り必要とされるポジションで

思いきり夢はばたかせていただきたいものです。

 まだこのようなお方も日本にいてくださる喜びに肩が震える思いでございます

近頃は、気が重くなるようなニュースが多い中

太陽のような神々しいニュースに喜びまでも倍増♪

     毎日新聞より

51歳の挑戦 高校教員辞め看護学校入学 京都の岡田さん (2018/06/10)

「高齢者のために役立ちたい」と話す岡田九季さん=塩田敏夫撮影

 京都府京丹後市久美浜町の岡田九季(くき)さん(51)が今春、府立久美浜高を最

後に29年間務めた高校教員(国語科)を辞した。府立看護学校与謝野町)に入学し

、看護師を目指し勉学に励んでいる。高齢化が進む地域社会で、医療の分野で役立ちた

いと一念発起した。目指すは在宅・訪問看護だ。【塩田敏夫】

 岡田さんは大阪府枚方市出身。母親は花子さん。花を支える「くき」になってほしい

と「九季」の名前が付けられた。そして、1年に九つの季節があることが感じられるよ

うな豊かな感性を持ってほしいとの願いも込められた。

 小学校の時、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」を読み、賢治の童話が大好きになっ

た。京都教育大に進み、卒業論文は「宮沢賢治の童話研究」を選んだ。1989年に卒

業し、1年間大阪府内の高校の常勤講師を務めた。翌年から京都府立の高校教諭として

採用された。

 初任地は久美浜高だった。その後、網野、峰山、加悦谷高と丹後の学校に勤務し、1

3年から再び久美浜高の教壇に立った。カヌー部の顧問としても活動し、忙しい日々を

送り始めたが、「久美浜高が教員生活としてのゴールになるだろう」と直感した。

 それは人生の中で最も活力があり、のびしろがある高校生を相手にするのは久美浜

が最後になるとの思いだった。「自分は前に出て生徒を引っ張っていくタイプ。知力、

体力は定年の60歳までは持たないだろう」との感覚を抱いた。また、15年に初めて

学年部長に指名され、今春まで3年間務めた。教員として学年全体を見る責任ある立場

に置かれ、精いっぱいやるだけのことはやったとの思いもあった。

 教員を辞める選択に家族は反対だった。これまで地道に積み上げてきた教員としての

キャリアを考慮し、「もったいない」との意見だった。しかし、最後には「自分の人生

だから自分で選べばいい」と背中を押してくれた。

 府立看護学校(3年制)の入学試験は社会人枠ではなく、一般入試で挑戦し、合格し

た。久美浜高で生徒指導に集中し、受験勉強の時間はほとんど取れなかったが、試験前

の冬休みに集中的に勉強した。

 府立看護学校のモットーは「人間愛」。哲学をはじめ、幅広い教養科目から物理、実

習と密度の濃い授業が続く。予習、復習は欠かせない。今春まで教えていた18歳の生

徒が多い同級生と机を並べるが、「ほとんど違和感はない」と笑顔を見せる。

 岡田さんは「これまでは高校の教員の仕事があり、家族のことは二の次、三の次でし

た。まだ小学4年生の次男がおり、これからの人生は力をかける割合を自分なりに考え

ていきたい」と話す。

 看護学校を卒業したら数年間は病院に勤務してさまざまなキャリアを積みたいと考え

ている。そして、将来は在宅・訪問看護の仕事を目指す。「体の続く限り働き続けたい

。地域のために役立ちたいと思います」と語った。。