岡山女児殺害 お母さんの手記。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 早い梅雨入りの当地は、昨晩から雨が肌寒さを伴って

降り続いております。

 204年の9月、病気を発症された

家族のもとに

優しくひまわりのような明るい筒塩ちゃんが誕生し

お母さんに希望とやさしさをもたらしてくれていた当時9歳の殺害はあまりにも

残酷としか言えない。

9歳と言えばいろんなことが理解できるようにもなり

かわいい盛りの不慮の殺害に

どれほど苦悩されたかしれません。

 姪の子供と同じ年齢

殺されていなければ、きっとお母さんのお役に立てる立派な成人式を

お迎えになっていたことであろうと涙に暮れてしまいました。

不条理の連鎖にやりきれない思いと、お母さんが前を向いて

強く歩まれようとされているお姿に感動もしました。

 誰にだって、突然何が起こるとも限らぬこの時、この一瞬を

丁寧に、やさしい気持ちを大切に

自分だからこそできる何かを摸索しながら過ごさねばと背中を伸ばしました。

「お母さんのことが気がかりで仕方なかったと思える侑ちゃん」

きっと天国でご両親のことを見守り続けておられることでしょう。

 人には少し優しく、少しお役に立てる人になりたいものです。

 雨を嘆くことなく、雨だからこそできる

窓掃除までも楽しめる原器力は磨きたいもの。

 犯人の幼児性に恨む一語もなく

犯人の『かわいかった。 苦しむ様子を見たかった

まるで人間を超えたような動機にいかりばかりがふつふつわいてしまう!

周囲に対するささやかなお心づかいに

感謝を寄せておられる手記に感心いたしました。

     アサヒコムより。

「14年間、何度夢を見たか」岡山女児殺害、母親が手記 (6/5)

 岡山県津山市で2004年9月、小学3年の筒塩侑子(つつしおゆきこ)さん(当時9)が殺害された事件で、筒塩さんの母親が5日、代理人の弁護士を通じて報道各社に手記を寄せた。全文(原文ママ)は以下の通り。

     ◇

 「お母ちゃん、大好き。ぎゅうー。」

 そう言って、顔いっぱいに笑みを浮かべながら、私を抱きしめてくれていた侑。

 この14年間、何度、そんな夢を見たことでしょう。目が覚め、侑がいない現実に、胸が苦しくて、歯を食いしばって、泣くことしかできない日々でした。事件から14年が経過した今も私たち家族の時計は、あの日から進むことはなく、悲しみも決して薄れることはありません。

 侑は主人が突然病に倒れ、長期入院を余儀なくされ、これから先どうやって生きていけばいいのかという不安の中、生まれてきました。大きな産声を上げる侑の顔を見て、一番に思ったことは、「生まれてきてくれて、ありがとう。」 ただそれだけでした。私たち家族にこれから生きていく力を与えてくれたのが侑でした。

 侑は、体の不自由な主人や、忙しい私を心配してか、小さい時からわがままを言わず、家のお手伝いをよくしてくれる、とても心優しい子に育ってくれました。そんな侑が唯一、私に言ってくれたわがまま、それは二人で買い物に行くことでした。「お母ちゃん、侑が帰るまで、買いもの行くの待っとってよ。」 そう言って、いつも学校に行っていました。スーパーでは、カートと私の間に立ち、私にもたれかかるようにして、べったりくっついて歩いていました。時間があるときは、常に私のそばにいる。そんな甘えん坊の侑でした。

 侑は、お花が好きで、その中でも「ひまわり」が大好きで、「大きくなったらお花屋さんになりたい。」と言っていました。私たちにとっては、侑は、明るくて、かわいくて、まぶしい「ひまわり」のような子でした。

 そんな侑が、ある日突然、私たちの前からいなくなりました。夢であって欲しいと願いました。「お母ちゃん、ただいま。」と元気な声で、帰ってくるような気がして、下校時間になると、毎日、玄関の外で待つようになりました。でも、侑が帰ってくることはありませんでした。「お母ちゃん、大好き。」と言って、抱きしめてくれた時の、あの侑の温もりを感じることは二度とできなくなったのです。家族は皆、自分を責めました。「なぜ、あの時間、私はそこにいなかったんだろう。もし、家にいたら侑は殺されることはなかったのに……」 家族から会話が消え、侑がいなくなった我が家は、光が消えたようでした。

 そんな私たちを、侑の友達が、地域の方が、たくさん助けてくれました。今、こうやって、少しずつでも前を向いて歩くことができているのは、支えて下さった皆さんのおかげです。成人式には、侑の友達が、晴れ着姿でお参りに来てくれました。「侑が生きていたら、どんな色の晴れ着を着たんだろう。」 でも、私の侑は、小学校3年生のまま。20歳の侑を想像することはできません。それでも、友達の心の中に、侑が今もなお、生きてくれているのが嬉しくてたまらず、友達の晴れ着姿に侑を重ねました。

 私たち家族は、これから先も、侑を失った深い悲しみと向かい合いながら、生きていくしかありません。どうか、私たちの気持ちをご理解頂き、親族、知人、ご近所への取材につきましては、自粛をお願い申し上げます。