継続こそがお宝!
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
お勤めの傍ら、42年もの長きにわたり
新聞配達とは「お疲れ様でございました。」
わがエリアの新聞配達は、一年と手なかなか続かず
事業所がご夫婦で車で配達されています。
自然のいろんな悪条件と戦いながらの配達には頭が下がります。
根性の花さえ感じてしまいます。
わが友は介護の仕事をしながら新聞配達を始めています。
老人施設勤務の彼女は、「健康こそが大切」をいつも語っている友です。
夜間、1万ぽを目標に毎日雨天以外は歩く習慣にしていたのですが
無意味にただ歩くのはもったいないとの動機づけから
新聞配達を始めて二年になります。
彼女のきびきびした行動力と、新鮮取り立てのような
健康美とはじけるような笑顔には時の旬を感じます。
62歳ですがとっても元気ですがすがしい健康そのものの
はつらつとした姿勢に刺激を受けてもいます。
【原器は出すもの】これを常に肝に銘じていたいものです。
アサヒコムより。
娘が辞めた新聞配達、夫婦で続け42年「親心が泣ける」 (5/12)
劇作家で演出家、俳優の渡辺えりさんに、朝日新聞生活面の「ひととき」を読んで感
じたことをつづっていただきました。今回の対象は2018年1~3月に掲載された投
稿です。そのすべてに目を通した渡辺さん。「どれも素晴らしいものばかり」と何日も
悩んだそうです。渡辺さんの思いを受け、記者が3人の投稿者にお話を聞きました。
「42年間の新聞配達」
澤 秀子
無職 81歳
昨年12月31日の朝日新聞朝刊をもって、私たち夫婦は42年間の配達を終えまし
た。
新聞配達はもともと、お小遣いがほしいからと娘が始めました。数年頑張りましたが
やめたいというので、彼女の担当だった25軒分を引き継ぎ、徒歩や自転車で手分けし
て配ることにしました。続けないと迷惑がかかると思ったからです。それから今までけ
がもなく、無事終えることができて感謝の日々です。
毎朝、お寺と地蔵堂の前で一日の無事をお祈りして始めました。2人とも会社勤めを
していたので、配達の後、出勤しました。会社や田畑で元気に働くことができたのは、
早朝からの配達が健康の源になったからだと思います。
区切りをつけたきっかけは、1年前の大雪でした。もうそろそろ引退してもよろしい
よ、という天の声だったのかもしれません。
やめる時、販売店にねぎらってもらいました。また、正月には2組の娘夫婦、孫、孫
夫婦、ひ孫が集まったにぎやかな食事の席で、「おじいちゃん、おばあちゃん、42年
間ご苦労さまでした」と花束を贈られたのです。感激で胸がいっぱいになりました。
■日記に残す、本…