考えたい子供のこと?

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 子供の出生現象は年々厳しい状況が報告されています。

 子供の貧困環境をよく言われますが

これは国の制度でかなり守られているような気もしているので

理解しがたい部分はあります。

 人間関係の希薄さが、そのまま親子関係においても引き継がれている点は

悲しい実態と言わざるを得ません。

 昔のことを 引き合いに出されると、嫌われてしまいますよね。

これもおばばを自覚する年齢に差し掛かった印なのでしょうか。

昭和のころは、三世代の同居は当たり前。

子供であっても、小さいころから、労働の役割も自然に身に着けてもいました。

登校前には、掃除の役割をしてからの投稿でした。

でも今ではそんな体験はとてもありがたく思えてもいます。

 今の子供は体力不足で運動力を勧められてもいます。

 わが友は、55歳ですが娘によく孫のおもりを頼まれ

体調が悪くてもあずかっています。

また子供に異変があればすぐに15キロほど離れたところまで

車で駆けつける始末です。

孫が帰ったらしばらくは寝込んでしまいます。

 友いわく

体調不良など言えば、もう娘が来なくなるのではと心配しています。

親子関係にあっても、このような配慮もいるのかと不思議な感情を、覚えたりもします。

人間関係があまりにも希薄で、当たり前のことが離せない異常さと

人間関係の風通しの悪さがおたがいのふまんをうんだりするのではないでしょうか?

 じじばばが孫のお稽古とか、進学などの経済援助をしなければならない実態も憂いています。

 ジジババは「爪に火を点す」かのような暮らしも

あえてしてきた時代の人も少なからずおられます。

 お金を出すほうにもよからぬ原因はあろうかと思います。

 三世代同居が人づくりができる基本的形態ともいえます。

どこの件かは忘れましたが、共働きトップの件では

三世代同居により、保育の待機児童もゼロとか言われています。

三世代同居は歩み寄りと努力は書かせられませんが

子供の幼児教育の必要性からも

このような人間関係が築き上げられることを望みます。

身に着けたい人間関係が日ごろの生活の中から培える関係が

大切なように思えます。

どうしてこいのぼりを飾るの?

「鯉」というお魚は、強くて流れが速くて強い川でも元気に泳ぎ、滝をものぼってしまうお魚。 

そんなたくましい鯉のように、子どもたちが元気に大きくなることをお願いする意味が込められているよ。 

五色の吹流しは、子どもの無事な成長を願って悪いものを追い払う意味が込められているんだって。 

こどもの日のイラスト

柏餅(かしわもち)を食べよう

柏の葉でおもちを包んだものが柏もち。 

柏の葉は、子孫繁栄の縁起を担ぐとされているよ。 

こどもの日には、鈴木、ブリなどの魚料理が食卓にありました。

それは出世魚だからです。

菖蒲湯(しょうぶゆ)に入ろう

ずっと昔、端午の節句ではこどもの日には菖蒲の葉を入れたお湯につかるといいと考えられているそう。 

菖蒲の葉っぱは香りが強いため、病気や悪いものを追い払ってくれるとされているからだそう。 

それが今になるまでずっと伝わってきているんだね! 

かぶとを飾ろう

かぶとは昔、体を守るために使われていたよ。 

そのため、子どもの身を守って元気に大きく育つようにという意味が込められているとも言われているそう。 

もともとは「端午の節句」と呼んでいて、男の子をお祝いしていたよ。 

1948年に5月5日を「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」お休みの日と決められてから、端午の節句をこどもの日と呼ぶようになったそう。 

そのため本来は男の子のためのお祝いだったけれど、今では子どもたちみんなをお祝いするようになったよ。 

子どものお祝いだけじゃなくて「母に感謝する」という意味もあったんだね! 

端午の節句ってなぁに?

端午の節句は、ずっとずっと前から行われている行事のこと。 

もともとは病気や災いをさけるための行事だったそう。 

その行事のために使っていた「菖蒲(しょうぶ)」が武士の言葉や道具に似ていることから、だんだんと男の子の行事になっていったんだって。 

どうやって過ごす?

こいのぼりを飾ろう

一番大きい鯉は、真鯉(まごい)といって黒い鯉。 

二番目に大きい鯉は、緋鯉(ひごい)といって赤い鯉。 

一番小さい鯉は、子鯉(こごい)といって青い鯉。 

一番上に、カラカラと回る矢車や吹流しをつけて飾るよ。 

手作りのこいのぼりを飾ってみるのもいいね! 

 今ではこのような行事の由来もなくなり、お母さんの御里から

兜などが送られていましたが、昨今では暮らしの変化から

このような行事も薄れつつあることも残念です。

     産経より。

【主張】こどもの日 見守る大人の目が必要だ (2018年5月5日 05:02)

 風薫る5月の空を泳ぐ鯉幟(こいのぼり)は、子供の健やかな成長を願う家族の象徴ともいえる。昨今、その鯉幟を立てる家はめっきり減ったが、まるで歩を合わせるかのように、大人の優しいまなざしに守られることの少ない子供が急増している。

 保護者による虐待やネグレクト(育児放棄)、学校でのいじめといったニュースに胸を痛めない日は一日もないほどである。周囲や地域の関心が薄れるなかで、子供が発するSOSのサインも見落とされたまま悲しい結末に至った事件も多い。

 大人が子供を見守らない社会になってしまったのだろうか。例えば電車内などで、若い両親がスマートフォンの画面に夢中になり、ベビーカーの乳幼児の顔をのぞこうともしないのは、決して珍しい光景ではなくなった。

 幕末から明治の頃に来日した欧米人が、日本ほど子供をかわいがり、子供に深い注意を払っている国はないと驚きの目を見張ったのも、もはや遠い昔話か。

 江戸の町では迷子や捨て子、孤児らを町内で見守り、育てていく良風もあったという。地域の絆の喪失が叫ばれる現代では考えられないことであり、今の子供は江戸の頃よりも厳しい環境に置かれているといえるのかもしれない。

 そんな現代の風潮にあって注目されるのが、地域の子供たちに無料や低額で食事、居場所を提供する「子供食堂」である。民間の調査では全国で2千カ所を超え、利用者は年間約100万人と推定される。貧困家庭の子供のほか、家族一緒に食事がとれない「孤食」がちの子供も利用している。

 食事が本来、各家庭の責任でなすべき営みであることは言うまでもない。ただ、実際にはそれがかなわない子も多く、その子らにとっては、自分に注意を払ってくれる大人が地域の身近にいることが何よりの安心感につながっているものと思われる。子供の健全な成長にこの安心感は欠かせない。

 家庭の役割を子供食堂に頼らざるを得ない現実には重いものがある。一方で子供食堂が、大人社会で希薄化した地縁を、子供を通じた人間関係のネットワークで再形成させる力ともなり得ることに期待も膨らむ。

 わが子をはじめ未来の日本を担う子供を家庭や地域でどう育てるか。鯉幟を仰ぎながら、そんなことにも思いを寄せてみたい。