夫婦のDVの避難先、配偶者相談支援センターへ。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 夫婦喧嘩は犬も食わないなどともいいます。

 喧嘩を日常茶飯事のようにしていても、実はどちらも限界の中の場合もあります。

また喧嘩とDVとの境界線も難しいものですよね。

 下記のお方のように、包丁を持ち出したり、首を絞めたりと犯罪に匹敵する行為は

もう、放置することはできませんですね。

 大人になり切れていない男性も少なからずおられます。

 我儘で自己主張の強い人は、お付き合いの間にわかるような気もしますが

時として優しさを、覗かすこともあるとしたら

女性側の自己否定の中で苦しみが付きまとうことにもなったりするのでしょうか。

 児童相談者が部屋の様子から異常性を察知していただけることは

少ないとは思いますし

また、警察官が、避難セルターにご案内いただけることも少ないと思います。

 とっても素晴らしい警察官に出会われたと思います。

 一時保護施設があることだけでもわかったことは

誰でもが心丈夫であろうと思います。

 エスカレートしたDVのケースはひとりでなやまないことでしょうか?

 DVの駆け込み先

ドメスティックバイオレンスの被害者が、たとえば命の危険を感じた場合、また加害者

から一時的逃げたい場合にこのような配偶者暴力相談支援センターのシェルターを利用

するのがいいでしょう。 ... そのため安全な場所で支援を受けることができます。 ...

同一にする=“同棲”している恋人からの被害であっても、法の適用対象となるように

なりました。 少しでも生活を一緒にしている相手がドメスティックバイオレンスの兆候

があるならば、我慢せずに配偶者暴力相談支援センターを利用しましょう。 DV 逃げた

けど 自立はいつ?

犯罪行為にまで発展することもあるので

     東洋経済より。やはり警察に届けることは必要でしょうか。

保護施設シェルターに命を救われた 28歳、暴力夫から逃げた「一児の母」の間一髪

第1回は、夫から逃げるために着のみ着のまま家を出た、高野葵さん(28歳)を取材した

。暴力などを受けた被害者が緊急一時的に避難できる施設「シェルター」の生活を経て

、現在は小さなアパートの一室を借りている。3歳の一人娘を抱えて自殺まで考えたとい

う彼女の人生を聞いた。

「死ね」と言われ続けて自分の価値を見失った

高野さんとは取材当日、新宿西口の高層階にあるレストランで待ち合わせた。レストラ

ンの雰囲気にもよくなじみ、上品で控えめにほほ笑む様子が印象的な女性だ。

シングルマザーとしてのお話を伺う予定だったが、実はまだ離婚は成立していない。2年

ほど前に、夫から逃げるために子どもと着のみ着のまま自宅を出て、現在に至る。

「このままではいられないと考えるきっかけとなったのは、子どもに対する話し合いで

夫に首を絞められたことですね。その前から『死ね』と言われていて、背中に包丁を突

きつけられるなどありました。……でもそのとき『このまま殺されてもいいかもしれな

い』と思ったんです」(高野さん)

――どうしてそんなことになってしまったのか。

夫とは、高野さんがOLと掛け持ちで勤務していた大阪のキャバクラで知り合った。知人

に連れられて来た彼は、夜の店にはほとんど来ないまじめなタイプ。紳士的な雰囲気に

惹かれて、交際がスタート。半年でプロポーズを受け、24歳で結婚した。すべては順調

のように見えた。

「夫は銀行員で、結婚後すぐに転勤が決まり、大阪から東京に引っ越しをしました。誰

も知り合いのいない土地に行くのは不安でしたが頑張ろうと思っていました。

実は、東京に越した頃から、私の家事のやり方が気に入らないと、夫の指摘が多くなっ

てきたんです。でも、夫は元々几帳面な人。私も独身時代は適当に家事をやっていたの

で、当時は『普通はここまできちんとやるんだ』と感心しながらこなしていました」

しかし夫の指示はさらにエスカレートしていく。

「『食器洗いスポンジが汚れるのは不快だから、食器は水のみで汚れを全部落としてか

ら、洗剤とスポンジで二度洗いしろ』『洗ったコップはそのままふせたらにおいがこも

るから全部吹きあげろ』など。炊事、掃除、洗濯、すべての家事について細かい注文を

してきたので、それをこなすのに日々必死でした」

そのうちに家事は完璧にこなさないと罵倒されるようになる。もし、少しでも夫の基準

から外れていた場合は人格を全否定されるようになった。

「『お前は本当に価値がない人間だ』『死ね』『今すぐここから飛び降りろよ』と言わ

れ続けました。そう言われ続けると、自分は本当に生きる価値のない人間だと思えてし

まって。すごく落ち込みました。また出会った当初が夜の店だったので『キャバクラで

働いていた女のクセに』と蔑むような言い方もよくされました」

「さらに、母が家に遊びに来たとき、その所作が気に入らなかったみたいで。『あんな

親から生まれたお前は最悪だ』のような言い方もされましたね」

狭い空間で繰り返される言葉の暴力は、高野さんを洗脳した。夫が悪いのではなく、で

きない自分が全部悪い。そう信じて疑わなかった。

出産後は関係が良くなるかもと思ったが…

そんな中、ある日妊娠が発覚。夫は妊娠中、気遣いの言葉をかけてくれることがあった

という。

「つわりだった私を気遣って家事を助けてくれたこともあったんです。出産後は関係が

良くなるかもしれないと。すごく期待しました」

しかし、そんな期待はあっさりと裏切られる。ウツ病で会社を休みがちになった夫は、

出産後はほとんど会社に行かなくなり、さらに暴力をふるうようになった。

新生児に向かって「さっきから何回泣いてんだよ!」と叫び、高野さんには「早く泣き

やませろよ!」と怒鳴る。家事は完璧にこなさないと「死ね」と罵られた。そんな夫は

というと、家事をいっさいやらず、ゲームに明け暮れる日々。

さらに事件が起こる。

「突然、夫は私の背中に包丁を突きつけて、『お前死ねよ』『お前みたいなのはすぐに

殺せる』と言ってきました。原因は、お義父さんからいただいた目覚まし時計を私が誤

って床に落としてしまったこと。時計の針が少し鈍くなってしまったのを見て、夫は逆

上して包丁を持ち出したんです」

「死んだほうが楽になれる」と本気で思った

もう、疲れた。未来に希望が持てない。死んだほうが楽になれる、と高野さんは自殺を

考えるようになった。

「ただ、夫が悪いとは思っていませんでした。私は生きている価値がないから、いなく

なればいいんだ、消えてしまえばいいんだ、と思っていました」

ただ一つ。もし本当に死んだら、旦那は「死ね」と言ったことを後悔してくれるだろう

か――。そんな思いで頭がいっぱいになった。

モラハラに暴力。通常だったら友人か親に相談をするところだが、高野さんは誰にも相

談をしていない。大阪の友人とは疎遠になっていたし、親との関係もしっくりいってい

なかった。もともと親に褒められたことがない子どもだった高野さん。自分の意見をく

み取ってもらえず、いつも否定され、親の一方的な命令で育った。苦い思いが長かった

せいか、大人になった今も積極的に連絡を取る気持ちにはなれていない。

クローゼットで首をくくれないか、と自殺方法に悩んだ。

「クローゼットの荷物棚だったらいけるんじゃないかと思って。いざとなったらこれに

しようと思っていました」

そして、子どもはどうしようかと迷っていた。

「子どもも一緒に……と思っていました。でも、子どもには子どもの人生があるし、私

がいなくても生きようと思えば生きられるだろう、と考え直したりして」

そんなときに、偶然、区の赤ちゃん相談員の家庭訪問があった。赤ちゃんがいる家庭を

順番に回っていき、赤ちゃんとママの様子をみていくものなのだが、そこで相談員はち

ょっとおかしいことに気がつく。4カ月の赤ちゃんがいながら、部屋が片付きすぎている

ことを異様に思ったのだ。

相談員は高野さんに「部屋が片付きすぎていますね」と声をかけた。「小さい子がいる

のに無理していませんか」と言い、「相談に来ませんか?」と誘ってくれたのだ。よう

やく第三者が介入し、この状況が「おかしい」ことに気がついた。

ここから事態は好転していくことになる。

相談所の紹介を受けたはいいが、なかなか行動に移せないでいた高野さん。ずっと「自

分が不出来だから悪い」と思っていたため、自分の受けているそれが、モラハラやDVに

当たるとは信じがたかった。しかし、思い切って足を運んでみたら、「夫婦は平等」「

どんな人にも生きる権利がある」と相談員に言われ、ハッとする。

「いつも『私なんかが……』と思っていたので、『こんな私でも、文句を言われなくて

いいんだ』と気づかせてもらえて。今まで客観的に考えられていなかったので、冷静に

なれて、何だか安堵できたのを覚えています」

家を出るきっかけとなったのが、その数日後の出来事だ。

「子どもと夫と3人で電車に乗ったとき、子どもがよろけて手すりに頭をぶつけ、大泣き

しまったんです。家に帰って、どちらが悪いかという話になりました」

子どものことなので、珍しく自分の意見を主張したという高野さん。

「どちらが悪いというよりも本当に2人の注意不足だったので、『お互いに気がつかなか

ったのがいけないから、今度からお互いに注意していきましょう』と主張してみたんで

す。そしたら、『お互い』というのが気に入らなかったようで。殴られて、首を絞めら

れました」

その晩、ネットで家を出る方法を検索。ネットには警察に行きなさい、と書いてあった

ので、次の日警察へ行くことにした。

「夫が数時間出かける予定があったので、そこを狙いました。私みたいな一主婦の話な

ど聞いてもらえないと思っていましたが、もう気持ち的に後がなかったんです。取り合

ってもらえなかったら、最悪自殺するしかないと思いました」

行ってみると警察は、「それは暴力で、下手したら犯罪ですね」と親身に話を聞いてく

れた。高野さんが「家を出たいのですが、家を出る場所はありますか」と相談すると、

「それは可能だけど、だったら今すぐ支度をしなければならない」との答えが返ってき

た。

幸い、家の貴重品はまとめてあった。そこで婦人警官と一緒に家に戻り、夫が家に本当

にいないかを確認してもらう。貴重品を持ち、さっと整理して家を出るまで、タイムリ

ミットは30分。そして、もう二度と戻らない覚悟で、子どもと2人、自宅を後にした。

自分を救ってくれた「シェルター」生活

「警察の方に『安全な場所に行くからね』とだけ告げられ、住所も何も伝えられず、車

に乗り込みました。夜だったので、道もまったくわからなかったです。着いたところは

、何かの施設の中の一室という感じの場所。私の前にも人はいたみたいですが、ここで

は同じように保護された人には会いませんでしたね」

8畳くらいの畳の部屋、机、シャワールーム。殺伐とした何もない部屋で戸惑った。食事

は部屋食で、温かな給食のような感じ。主菜がトンカツだったら付け合わせに小鉢がつ

いて、ご飯とみそ汁。栄養のバランスが取れているような献立だった。

1軒目のシェルターに1泊した後、2軒目のシェルターに案内される。何かの施設の一角の

ような感じだが、最初のところと違って、アットホームな雰囲気。シェアハウスのよう

な感じに見えた。3部屋くらい用意されていて、ダイニングはほかの人と一緒に食べるよ

うになっていた。風呂は交代で入るような感じで用意されていた。

「隔離されているので、自分の部屋から出るにも報告しなくてはいけなくて。外出は3時

間以内。スマホやインターネットは使えなかったです。気持ちは不安定でしたね。夫か

ら逃げられた安堵でうれしい気持ちと、これから頑張らなきゃと気合いが入りながらも

、落ち込むこともあったりして」

それでもここでの生活は、とてもよくしてもらったという印象だ。

「お世話をしてくれる人がいるのですが、その人が1歳半の子どもとよく遊んでくれまし

た。ときどきカウンセラーさんが来て、心のケアもしてくれて。本当に至れり尽くせり

でしたね」

短期間だったが心が休まったひと時だった。家を出る前には考えられなかった状況であ

る。

自分と同じ境遇の人もあきらめないでほしい!

2軒目のシェルターで生活しているとき、テレビでは、高野さんと同じようなモラハラ

受けた人が殺人を犯し、逮捕されるという事件が流れた。その事件にすごく心が痛んだ

という。

「シェルターという一時的な保護施設があることってあまり知られていないですよね。

私も知りませんでした。でも、もし知っていれば、モラハラやDVで精神的に追い詰めら

れた人が事件を起こしたり、命を落としたりすることが防げるかもしれません。本当に

必要な人にはシェルターという安全な場所があるということをもっと知ってほしいです

自分も一歩間違えれば、自殺をしていたかもしれない。その瀬戸際で助けられた。

「シェルターは税金で回っている施設だそうで、こんなすてきな税金の使い方があるの

かと思いました。だって『人の命を救う施設』ですから。私もこれからいっぱい働いて

、助けてもらった分、税金を払っていこうと思います」

その後は自由度の高い3軒目のシェルターに移り、保育所ありの仕事を見つけ、アパート

に移り住めた高野さん。夫とは、家を出たきり一度も会っていない。

「私は『マザーズハローワーク』で仕事を見つけました。今はシングルマザーを支援す

る仕事紹介所も増えているようです。保育園も運よく見つかり、子どもと2人で新生活を

スタートできるようになりました。あきらめないでよかった」

ギリギリのところであきらめなかったからこそ、高野さんの道は開けていったのだ。今

後は「図書館を利用するなど工夫して、モノが最低限でも楽しめる生活を極めたい」と

笑顔で話す。

「また、自分の経験してきたことを生かして、悩んでいる人の気持ちを聞き、支援して

あげられるような人になりたいと思っています」

今はなんと心理学を勉強していて、カウンセラーの夢に向かって進んでいるという。副

業ではライターとしても活動中だ。家を飛び出てから丸2年。現在も離婚調停中なのだが

、もう自信を失うこともブレることもないだろう。