れきしがかたるものもあるはず!!

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 ポツダム宣言受諾から日本の進歩には

目を見張らんばかりの進歩とその教授には世界も驚く内容に違いない。

資源がない中、経済大国としての

地位にのし上がった先人の努力とその英知には

ただただ頭が下がります。

 阿部政権にはその先人の力、財産の上にあぐらをかくことなく

更なる発展に向けて国民とともに努力する義務があるはずです。

 先人から受け継いだ豊かで揺るぐことのない財産は

大切に継承されるべきです。

 これが軍備日にと消えていくことは、耐えがたい悲鳴にも似た声が

それぞれの墓標からも聞こえてきそうです。

 ここにきて憲法により守られてきた戦後。

 これにどうしても自国の憲法

樹立したいのが安倍総理の悲願。

この内容にそぐわないものも出てきていることには変わりはない。

 自衛隊の役割は、その軍備においても世界8番目にランキングされています。

このような中、さらに自衛隊に権限を持たせることには

更なる危険要因と、憲法明記により、裁判を超えた

権限の保持に、どれだけの主権者が同意できるのであろうか??

日本は敗戦から立ち直った国です。

 昭和天皇は、どのような思い出敗戦を、おすごしであったのだろうか??

 歴史から学びうることも少なくはないはずです。

 中国の脅威はこれからはその恫喝と脅威は変わりはありません。

 中国に対応できる武器が整うだけの力らが日本の

 武器には武器をこれでは対抗などできはしません。

 特に憲法9条だけは

荒削りの法律の成立とはことが違います。

 成立ありきの議論に集約するのではなく

国民レベルの議論にまで展開した同意いが求められなければならない。

ポツダム宣言

1945年7月、ポツダム会談の合意を受け、アメリカ・イギリス・中国の三国首脳名

で日本に無条件降伏を勧告した。日本政府は8月14日にその受諾を決定し15日に国

民に発表、9月2日に降伏文書に署名し戦争が終結した。

第二次世界大戦の末期、1945年5月にドイツの無条件降伏が実現し、連合国にとっ

て最後の敵国である日本に対する対応と戦後処理が課題となった。そのため、アメリカ

・イギリス・中国・ソ連の四ヵ国の連合国首脳は同年7月、ドイツのベルリン郊外、か

つてのドイツ帝国の宮廷のあるポツダムポツダム会談を開催した。この会談は、大戦

中の一連の連合国の戦後処理構想の最後のものとなった。

 1945年7月26日、アメリカ合衆国大統領トルーマン、イギリス首相アト

リーの2カ国首脳に、中国の?介石が同意して、三国首脳名で日本に対する無条件降伏を

勧告する宣言を発表した。それがポツダム宣言であり、当初は「三国共同宣言」とも言

われた。

 ソ連スターリンポツダム会談には参加していたが、この時点では日ソ中立

条約が有効で、日本と交戦状態にはなかったので署名はしなかった。ソ連ヤルタ協定

の秘密条項によって8月6日に対日参戦し、その後の8月8日に、ポツダム宣言の署名

国となった。

 なお、ポツダム会談は、8月2日にドイツの処置に関して4国分割占領などを決定

したポツダム協定を締結して終了した。  

日本に対する無条件降伏勧告

 全文は13項目からなり、そのうち1~4項が主文にあたり、日本に対し戦争

終結させることをうながし、5項以下で具体的な条件を提示している。そのまとめで

ある13項で、「日本国政府が直ちに全ての日本国軍隊の無条件降伏を宣言すること」

、つまり日本に対する無条件降伏を勧告した。また、降伏の条件として、・軍国主義

力の排除、・一定期間の占領、・カイロ宣言の履行による植民地の返還と領土の制限、

・軍隊の武装解除、・戦争犯罪の処罰、・民主主義と言論宗教思想の自由、基本的人権

の尊重の確立などをあげた。正文は英語であるポツダム宣言全13項の日本語訳を要約し

たものが次の文である。

資料 ポツダム宣言

1.アメリカ、中華民国、イギリス三国首脳は、各国民を代表して協議の上、日本に対し

、この戦争を終結する機会を与えることで意見が一致した。

2.連合国の陸・海・空軍は、日本国に対し最後的打撃を加える体制を整えた。日本が抵

抗を終止するまで戦争を遂行するせべての連合国の決意に支持されている。

3.ドイツの無益な抵抗の結果は日本国国民にとっての明白な先例である。現在日本に加

えられようとしている力は、ドイツに加えられた力より強大であり、その軍事力の使用

は日本軍の完全な壊滅と、必然的な日本国土の完全な破壊を意味している。

4.日本は、軍国主義によって統御を続ける、理性による経路を踏むべきかを決意すべき

時期に来ている。

5.我等の条件は以下の通りである。これらの条件から離脱することはできず、またこれ

に代わる条件は存在しない。吾々は致遠を見つめることはできない。

6.日本国国民を欺瞞シ、世界征服の挙に出るという過誤を犯させた権力及び勢力は永久

に除去されなければならない。

7.新秩序が建設され、日本国の戦争遂行能力が破砕された確証のあるまで占領する。

8.カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、日本国の主権は本州、北海道、九州及び

四国並びに我等が決定する諸小島に局限される。

9.日本国軍隊は完全に武装を解除された後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的な

生活を営む機会が与えられる。

10.我等は日本人を奴隷化したり、滅亡させる意図はないが、我等の捕虜を虐待した者を

含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加える。日本国政府は民主主義的傾向の

復活強化に対する一切の障害を除去し、言論、宗教及び思想の自由、基本的人権の尊重

は確立されなければならない。

11.日本はその経済・産業を維持することを許される。ただし、再軍備につながる産業は

この限ではない。経済維持のための原料の入手は許可される。日本国は将来、世界貿易

への参加を許される。

12.前記の諸目的が達成され、日本国国民の自由な意思により、平和的で責任ある政府が

樹立されれば、連合国の占領軍は直ちに撤収する。

13.我等は、日本国政府が直ちに全ての日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、その行動にお

ける誠意を適当かつ充分に保障することを要求する。これら以外の日本国の選択は迅速

かつ完全な壊滅があるだけである。

最後の第13項で、日本国政府に対し日本軍の無条件降伏を宣言するよう求めている

のは、宣言全体のまとめの意味がある。

 → 原文の英文と日本語訳は国立国会図書館 憲法条文・重要文書 ポツダム宣言

参照できる。わかりやすく全文を英文・日本文で読むには、『「ポツダム宣言」を読ん

だことがありますか?』が最適。 

!!のどこにあるのでしょうか?

     山系より。

昭和天皇の87年】陸相海相が激論 「もはや聖断しかない」 (2018年3月24日 07:

00)

大日本帝国最後の一週間(3)

 「天皇終戦御希望の熱意は、(政軍首脳部の)つとに知るところであった。しかし

、一方、内地には尚戦わざる数百万の軍隊が存し、外地には、二百余万の軍が在(あ)

った。その軍の中枢部は本土決戦を主張する意見が優勢を占めていた。一歩誤らば、叛

軍(はんぐん)となって、内は、内乱を起し、外はゲリラ戦に出ずるおそれがあり、情

勢は複雑微妙であった」

 昭和27年に外務省が編集した『終戦史録』に、こう記されている。ソ連の大軍が突

如として満州に攻め込んだ20年8月9日、ポツダム宣言受諾をめぐる抗戦派と終戦

の駆け引きは、重大局面を迎えたといえるだろう。

 この日、午前10時半過ぎから午後1時過ぎまで行われた最高戦争指導会議で、外相

東郷茂徳は国体護持のみを条件としてポツダム宣言を受諾すべきと主張した。しかし

自説を通せず、より好条件でなければ戦うべきと息巻く陸海両総長らに押し切られた形

になってしまった。

 とはいえ、その後の閣議でひっくり返す成算はあった。閣議には、陸海両総長が出席

しないからだ。陸相阿南惟幾(これちか)が唯一、強硬に反対するだろうが、大半の

閣僚の支持を得られると、東郷は思っていた。

 しかも、閣議決定は全会一致が原則だ。外相と陸相が対立したまま決定を下せず、最

後は昭和天皇の決心、すなわち「聖断」によって決しようというのが、東郷の腹だった

× × ×

 午後2時半、首相官邸で始まった臨時閣議は、1時間の休憩をはさんで前後7時間に

及んだ。

 このとき、最高戦争指導会議の方針を白紙に戻そうと果敢に論争を挑んだのは、海相

の米内光政である。

 終戦派の米内は、最高戦争指導会議ではほとんど発言しなかった。その結果、抗戦派

の主張が通ってしまったことに、責任を感じていたのではないか。温厚な性格で口数が

少なく、凡庸(ぼんよう)然としているため「昼行灯(あんどん)」とも陰口された米

内だが、この時の発言には鬼気迫るものがあった。

 内閣情報局総裁だった下村宏が、閣議の緊迫したやりとりを戦後に書き残している。

 阿南「原子爆弾ソ連の参戦、これに対しソロバンずくでは勝利のメドがない。しか

大和民族の名誉のため戦い続けている中には何らかのチャンスがある。死中に活を求

むる戦法に出れば完敗を喫することなくむしろ戦局を好転させうる公算もある」

 米内「現在の国内情勢では戦争を継続できるか疑う。海相としては英米に対して勝味

はない。降伏して日本を救い得るか。それとも一か八かとにかく戦いつづけるのがよい

か、極めて冷静に合理的に判断すべきである。面目、面子(メンツ)などにこだわって

いられない」

 阿南「(連合国に)保障占領された後では口も手も出しようがない。先方のなすまま

となる。統帥府の空気は私より強い。戦局は五分五分である。互角である。敗(まけ)

とはみていない」

 米内「戦争は互角というが、科学戦として武力戦として明らかに敗けている。局所局

所の武勇伝は別であるが、ブーゲンビル戦以来、サイパン、ルソン、レイテ、硫黄島

沖縄みな然り、みな負けている」

 阿南「会戦では負けているが戦争では負けていない、陸海軍間の感覚が違う」

 米内「敗北とはいわぬが、日本は負けている」

 阿南「負けているとは思わぬ」

 米内「勝つ見込みがあれば問題はない」

 阿南「ソロバンでは判断できぬ。とにかく国体の護持が危険である。条件つきにて国

体が護持できるのである。手足をもがれてどうして護持できるか」

× × ×

 戦局をめぐり、激しく火花を散らす陸相海相-。下村の回顧録によれば、ほかの閣

僚からは次のような発言があった。

 豊田貞次郎軍需相「六月中旬より空襲激化し、七月青函船撃沈され、爾来(じらい)

汽車も日本海側も瀬戸内海も輸送力低下し、青函船一カ月一六万トンの石炭は一〇万ト

ンを欠き、青森の貯炭一〇万トンを以て一時しのぎをしている。軍需工場では安全感を

失い政府にも軍にも信を置かない」

 石黒忠篤農商相「食糧は非常に困難となり、飢餓の状態はやむを得ない。ことに動員

兵の民家に食をあさるに至りしは、誠に寒心すべきものあり、今後の事態は大いに懸念

に堪えない」

 小日山直登運輸相「鮮満(朝鮮と満洲)はもとより今後北海道との交通すら極めて困

難であり、関門トンネル必ずしも保証ができない。海上の封鎖は一層強くなり、九州の

輸送関係も断たれるおそれあり」……

 日本は、戦える状況ではなかったのだ。

 閣議の終盤、首相の鈴木貫太郎は、ポツダム宣言受諾にあたり国体護持のみを条件と

する外相案への賛否を求めた。

 だが、大半の閣僚が賛成したものの、保障占領の拒否など4条件を求める陸相案を支

持する声もあり、意見の一致をみなかった。

 もはや聖断しかない。

 閣議の散会後、鈴木は皇居へ急いだ。時計の針は、午後10時を回っていた--。(

社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

【参考・引用文献】

◯外務省編『終戦史録』(官公庁資料編纂会)

○同書所収の「東郷外相手記」

○下村海南『終戦記』(鎌倉文庫

国体護持 天皇を中心とする日本国の根源的な政治および社会秩序(国体)を保全する

こと。「全日本軍の無条件降伏」などを求めたポツダム宣言には、戦後の天皇の地位に

ついて明確に書かれておらず、東郷茂徳外相ら終戦派は、国体護持のみを唯一絶対の条

件として宣言を受諾すべきだと訴えた。これに対し阿南惟幾陸相ら抗戦派は、国体護持

に加え(1)武装解除の方法(2)戦争犯罪の自主処分(3)被占領地域の範囲-につ

いても条件をつけるべきだと主張した。

保障占領 賠償金の支払いなど相手国に条約上の義務を履行させるため、領土の一部ま

たは全部を占領すること。第1次世界大戦では、ドイツに課せられた莫大な賠償金の支

払いが滞ったため、フランスなどがライン川左岸やルール地方を保障占領した。これに

よりドイツ経済は大打撃を被り、戦後復興が大幅に遅れることとなった。