3.11の鎮魂の祈りは続く。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 3.11から7年。

 きっと言葉にならない、いばらの道を一歩一歩踏みしめて孤独とともに

時に立ち止まり

時に泣き崩れ

時に思い出の渦の中に身をゆだね

どれほどの涙を

どれほど流したかしれない。

 私も津波とともにあなたのもとへ・・・

どれほど神様におすがりして

おねがいしたひびをすごしただろうか・・・?

悲しみ苦しみの思いを 吐き出すこともできなくて

どれほど多くの悲しみを 奪い去ったあの海に

立ち続けている私がいます。

 気が付けば見知らぬ人がそっと傍らにいて

心の薬そっと置いていく。

家族で楽しく過ごしたあの時の

アサヒが今日も変わらぬ姿でほほえみ返す。

あなたと過ごした素敵な思い出

心のスクリーン一杯にいつもいつも

目くるめく、私の心をいつも満たしてる。

   3.11のちんこんのいのりとともに・・・。

     アサヒコムより。

祈る 亡き人のため 3.11列島ドキュメント

6:05 仙台市若林区 大学敏彦さん(63)が妻真知子さん(当時59)、父藤七さん(同

81)、母はるよさん(同80)、兄敏行さん(同58)、おい貴行さん(同16)の名が刻

まれた慰霊碑に花を手向け、手を合わせた。「7年は早かったけど、何年たってもさびしい。

1人で暮らしていると誰かいてくれたらなって」

〈特集:120日後のフェス震災の年のアラバキ

〈【フォトギャラリー】震災から7年、各地で追悼〉

 8:00 岩手県大槌町 津波で全壊し、当時の町長ら職員39人が犠牲になった旧役場庁舎

前で、幹部ら約30人が1分間黙?(もくとう)。旧庁舎解体のための予算案が開会中の町議会

で採決される。平野公三町長は「建物がなくなっても、犠牲の事実は伝えていく」と述べた。

9:00 福岡県朝倉市 昨年7月の九州北部豪雨で行方不明になっている2人の重点捜索を前

に、地元消防団員ら225人が、東日本大震災の犠牲者も悼んで黙?(もくとう)した。

9:40 岩手県大槌町 県立大槌高校を今月卒業した岩間麗華さん(18)が、20センチほ

どの人形(ひとがた)の紙を小鎚(こづち)川の川面に投げ、友人の黒沢亜美さん(17)と

手を合わせた。

行方不明の祖母ミヱさん(当時79)への謝罪だ。大好きだったのに反抗ばかりしていた。震災

前日も言い争い、「明日謝ろう」と思っていた。「取り返しがつかない」。アニメをヒントに

人形の紙に謝罪のメッセージを書き、ミヱさんをのみ込んだ海に届けようと思いついた。

最初は13年3月11日。「気を使ってくれてありがとう」と書いた人形を流した。それから毎

年続けてきた。

「素直に思いを伝えられなかった」。その後悔から、高校では、手作りのアクセサリーを贈り合

うことで仮設住宅の住民同士の縁を取り持つ活動をした。仏壇のミヱさんに「ほめてくれる?

」と問いかけた。

震災ボランティアで町に来た美容師にあこがれ、4月から首都圏の美容室で働きながら資格取得

をめざして専門学校に通う。「やりたいことをいっぱいやって、自分の道を見つけて」。小学

生の時にかけられたミヱさんの言葉をかみしめる。今年の人形には「おばあちゃんの言葉を忘

れず、頑張っていきます」と書いた。来年は職場近くの川に流すつもりだ。

10:00  熊本市中央区 くまモンの誕生祭にEXILE(エグザイル)の黒木啓司さん、

NESMITH(ネスミス)さんが登場。東日本大震災をきっかけに発表された代表曲の「R

ising Sun」を熊本地震の被災地の子供たちと一緒に踊った。熊本市出身のNESM

ITHさんは「(東日本の)震災の時は東京にいて、何もできないことにもやもやした。長い

月日がたち、ここで踊ることができて本当に感慨深い」と話した。

10:12 福島県南相馬市 避難誘導などの活動中に津波に襲われ、亡くなった消防団員9人

の顕彰碑の除幕式があり、遺族ら約200人が黙?(もくとう)した。悲劇を後世に伝えようと

、団員の仲間らが寄付を募り、建立した。団員だった長男(当時42)を亡くした浜名紀雄さん

(74)は「今でも毎日息子を思い出す。忘れられるわけがない」。

10:30 宮城県山元町 旧中浜小学校前の慰霊碑で、福島県いわき市の会社員西川健さん

32)が、小学生の2人の子どもと一緒に手を合わせた。「この屋上で約90人も助かったと

子どもに教えたくて。地震の時はまず高い所へ、という教訓をわかってくれたと思う」

11:00 岩手県大船渡市 津波で檀家(だんか)約70人が亡くなった西光寺で、犠牲者を

弔う津波慰霊碑(高さ3・1メートル、幅1・2メートル)の除幕式が始まった。敷地内にあ

明治三陸津波昭和三陸津波チリ地震津波の三つの慰霊碑とあわせて震災の記憶を語り継

ごうと、総代会を中心につくった。献花した遺族代表の佐藤英司さん(63)は津波で両親を

失った。「震災から7年たっても区切りがつかない。それでも、確かにおやじとおふくろが存

在していた証しができてうれしい」と話した。

11:10 岩手県釜石市 市内で見つかった身元不明の遺骨を保管している仙寿院で、野田武

則市長や市民が、今も行方や身元が分からない津波被災者のために手を合わせた。震災直後は

100柱を超えた市内の身元不明遺骨は、今は10柱になった。芝崎恵応(えのう)住職(6

1)は、家族が見つからない人や仮設住宅で暮らす人から「取り残された」思いを聞くことが

多くなった。「千人以上が犠牲になった釜石でさえ風化が進んでいる。復興のかけ声の中で、

つらさはますます言い出しにくくなっている」と語った。

14:46 宮城県石巻市 「がんばろう!石巻」の看板前で、サイレンに合わせて桃井幸江さ

ん(47)が黙?(もくとう)した。交際3年の恋人、高野勝弘さん(当時39)が亡くなった

。「突然、離ればなれになった。7年はあっという間。まだどこかで生きているんじゃないかと

思ってしまう」

14:46  宮城県石巻市 地震の発生時刻に合わせ、大川小学校の旧校舎で紫桃隆洋さんが

黙?(もくとう)した。次女千聖(ちさと)さん(当時11)が犠牲になった。「娘がいた場所

で過ごしたい」と話していた。

14:46 岩手県宮古市 防潮堤の上で約300人が手をつなぎ、海に向かって犠牲者を悼ん

だ。津波で夫を亡くした山本エミさん(68)は「自分だけ助かったことを、7年たった今も

悔やむ。今日は涙を流す日です」。

14:46  広島市中区 平和記念公園内の原爆ドームの対岸で、NPO関係者や大学生ら約

70人が手をつないで横一列になり、被災地の方角に向かって追悼した。広島大に留学中のネ

パール人テザスウィ・シュレスタさん(30)は、同国の友人2人と参加した。「3年前、私

たちも大きな恐ろしい地震を体験した。家族を亡くした人もいるし、(東日本大震災の)被災

者の苦しみは理解できます」と話した。

14:46 神戸市中央区 阪神・淡路大震災の追悼行事が毎年開かれる東遊園地。およそ1千

本のろうそくが「3・11」の形に並べられ、約100人が祈りを捧げた。参加した兵庫県

路市の亀山朋子さん(51)は「忘れていないと伝えることも一つの支えになると思う」と話

した。

14:46  福島県大熊町 津波で電源を喪失し、メルトダウン炉心溶融)を起こした東京

電力福島第一原発で、構内で働く約700人が黙?(もくとう)。小早川智明社長は「いまなお

、5万人に及ぶ方が帰還できない状況にある。福島の責任を果たすことが当社の存在意義」と述

べた。

14:46 名古屋市中区 被災地支援活動を続ける愛知県のNPOなどの主催の追悼式で1千

人が黙?(もくとう)。岩手県釜石市から避難し、名古屋市緑区で暮らす鈴木真砂子さん(59

)は「この7年は生活を立て直すのに必死だった。少し気持ちに余裕がでてきた」。震災の津波

で釜石の自宅は全壊し、震災後に自宅周辺は災害危険区域に指定された。鈴木さんは「帰って

も何もないんだけど、ふと釜石に帰りたいなと思うことがある」。

14:51 宮城県女川町 町のサッカークラブ「コバルトーレ女川」が、全国デビューとなる

日本フットボールリーグ開幕戦(浜松市)で惜敗。けがのため、町内のパブリックビューイン

グで観戦した池田幸樹選手(27)の仕事は、復興工事現場の警備員。「どんなに苦しくても

負けないという気持ちが町民に伝わる試合はできた」

14:54 東京都千代田区 国立劇場。政府主催の追悼式で、秋篠宮ご夫妻は並んで標柱の前

で一礼した。秋篠宮さまは「これからも国民が心を一つにして被災した地域や人々に末永く寄

り添っていくことが大切でありましょう」とおことばを述べた。

15:06  宮城県名取市 閖上地区で地震発生時刻の黙?(もくとう)のあと、メッセージ

が書かれたハトの形の風船が一斉に放たれた。

17:00 東京都千代田区 国会正門前。市民団体が呼びかけた「原発ゼロ」を目指す集会に

数百人が集まり、「原発いらない」「再稼働反対」と声を上げた。東京都葛飾区の自営業、白

倉真弓さん(68)は毎週金曜日に国会前などで開かれるデモにも欠かさず参加する。「原発

が危険と分かっていても事故前に行動しなかったことを悔やんでいる。全国の原発が止まるま

で行動する」と話した。

18:00  岩手県陸前高田市 市役所近くの公園で、復興を祈るキャンドル約2千本がとも

された。2011年夏に地域の女性団体協議会が始めた。キャンドルの入れ物は、地域住民ら

が牛乳パックや瓶で作った。一度中断したが、13年に市内で地域の復興に取り組む「陸前高

田ふるさと復興応援隊」の根本ミカ隊長(36)が「市民で行う慰霊イベントを」と復活させ

た。

根本さんは「慰霊の祈りがないと街も復興しない。1人ずつ、1歩を踏み出す光を置いていって

くれれば」。