ビキニ環礁における水爆実験は確認のために実施されたのでは・・・?

ビキニ環礁

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 アメリカにおいて水爆実験が秘密裏に実行され

日本政府もこれを黙認し前面公開などなされてはいない。

日本において原爆投下されていながら

さらに人体実験がなされた行為だけは許されるべきではない。

あまりにも愕然とさせられる行為である。

このような大量殺略の行為が公的に実施されてきた歴史は思い。

内容は、ビキニ環礁にて1954年〜63年にかけて6回行われた水爆実験。

被曝したので有名な第五福竜丸ですが、被曝したのは他にも多数で、北海道から九州まで日本各

地の太平洋側から出航した漁船数十隻以上のマグロ船が被曝していた事実がわかりました。

しかも公にしたのは最初の水爆実験の方だけで、放射能の怖さを知らされず現場から何十〜何百

キロ離れていたのに多くの船と船員が被曝していた事。

そしてアメリカ政府と日本政府との密約で、賠償金わずか数億円にて解決した事に。

更に怖いのは、水爆実験をやる一年前から、日本を含むアジア、太平洋上、アメリカ本土の西部

寄りに、およそ120ヶ所に放射線観測装置を設置していた事。まさに確信犯的な水爆実験..。

原水爆実験をやればどうなるのか? というより爆破実験をやれば恐らくこうなるだろう、を確

認する為の原水爆実験。

この1954年〜63年まで行われた原水爆実験により、被曝したのは船と船員だけではなく、その

後日本を含むアジア各地と太平洋上の島々、アメリカ西部の一般市民の数多くが放射性物質

より被曝しました。

とくに始めの頃は被曝マグロを廃棄処分しましたが、後半の原水爆実験で被曝したマグロを日本

政府は安全だ、とウソをつき被曝マグロを市場に流通させていました。

日本人は、ビキニ環礁での放射性物質を、1954年から思いっきり浴びて、さらには被曝マグロ

を1960年頃から普通に食べていたのです。

と、放送の内容はここまで。

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日本やアメリカ、その他の世界各国にてガンや皮膚病、腎臓病、糖尿病などの内臓疾患、原因不

明の病気等が多いのは、ビキニ環礁や世界各地で行われた原水爆実験が影響している事は間違

いない事だと思われます。

ビキニ水爆実験の教え 記憶で未来を守れ

六十四年前、ビキニ水爆実験で第五福竜丸をはじめ多くの日本人漁船員や現地の住民が被ばくし

た。苦しみは今も続く。教訓を未来に伝えたい。

第五福竜丸の漁船員らが被ばくしたのは、米国の水爆実験「ブラボー」で、一九五四年三月一日

マーシャル諸島ビキニ環礁で実施された。漁船には二十三人が乗り組んでいて、実験場の

約百六十キロ東にいた。

五月まで続いた六回の水爆実験で、周辺の海域にいた漁船や貨物船などの乗組員約一万人が被ば

くしたとされる。漁船員は帰国後、検査を受けたが、そのデータは長い間、厚生労働省が「な

い」としていた。情報公開請求で開示したのは二〇一四年である。

◆治療はなかった

米国がマーシャル諸島で核実験を始めたのは、四六年七月。五八年までに原爆、水爆合わせて六

十七回に達した。この地域は第二次大戦が終わるまでは日本の委任統治領で、南洋群島と呼ば

れた。戦後、米国が施政権を握り、核実験場にされたのである。

核実験は軍事機密なので、現地ではかん口令がしかれた。米国政府は住民の被ばくを隠す一方で

、専門医らを送って放射線の健康影響調査を進めたといわれる。

たとえば、爆心地から百八十キロ東にあったロンゲラップ島では、ブラボー実験のとき、八十二

人が暮らしていた。島民は下痢や嘔吐(おうと)、やけど、脱毛といった急性放射線障害に見

舞われた。二日後、米軍が別の島にある基地に移送した。そこでは米人医師によって検査や写

真撮影はされたが、特に治療はされなかったという。

米国は五七年に「安全だ」と説明して住民を島に帰還させた。帰還したのは、被ばく者と核実験

時には島にいなかった住民ら約二百五十人。

◆人の顔が見える

人体実験という見方を米国は否定しているが、ブルックヘブン米国立研究所は「もっとも価値あ

生態学放射線被ばくデータを提供してくれる」ことを意義としていた。島では死産、流産

が続き、やがて甲状腺がんが多発した。住民は八五年に再び、島を離れた。

マーシャル諸島は八六年にマーシャル諸島共和国として独立したが、経済は米国に依存している

ビキニ環礁核実験場は「負の世界遺産」に指定されたが、日米で情報が隠されていたことも

あり、実態はあまり知られていない。

中京大研究員の中原聖乃(さとえ)さん(文化人類学)は九〇年代後半からロンゲラップ島住民

の調査を続けている。

先月下旬、中原さんはハワイのカウアイ島にいた。そこではロンゲラップ出身の家族の誕生会が

開かれていた。参加者はマーシャル諸島やホノルル、それに米本土のアーカンソーやオクラホ

マからも来ていて、総勢百二十人だった。共同体はバラバラになったが、住民は今もかつての

生活を取り戻そうとしているという。

ロンゲラップで起きたことを広く伝えたいという中原さんの思いに共感したのが、首都大学東京

の渡辺英徳・准教授だ。インターネットを利用して、重要な記録を保存・活用し、未来に伝達

するアーカイブを作っている。これまでに被爆地の広島、長崎や、東日本大震災の被災地の「

記憶」を継承するアーカイブを構築している。

アーカイブは、写真とCGを組み合わせて、時間や空間を超えて見せる工夫がされている。コメ

ント付きの顔写真もある。白黒写真は人工知能(AI)を使ってカラー化した。カラーになっ

た写真を見て、記憶がよみがえった被爆者もいたという。

渡辺准教授はマーシャル諸島でもアーカイブを作ろうと考えている。「名もなき人々かもしれな

いが、こうすれば一人一人の顔が見える。データが物語るものを伝えたい」と話す。アーカイ

ブがきっかけで、新たな写真などが見つかる可能性もある。

トランプ米大統領は先月、核体制の見直しを発表、小型の核兵器を開発し、非核兵器の攻撃に対

しても使用する可能性を示した。

小型化で使用のハードルを下げる方針だが、核兵器の恐ろしさは「何人が死んだ」という大量殺

りくだけではない。健康被害が長期にわたり、故郷を追われ、家族が離散する。その苦しみは

六十年を越えても癒えることがない。ビキニ水爆実験は、そう教えている。

◆グサッと突き刺す

アーカイブに残したい言葉がある。中原さんが現地の人から聞いたたとえ話だが、米国とマーシ

ャルとの関係をよく示している。

「アメリカ人はな、『ハロー、ハロー』と言いながら近づく。で、グサッとナイフでおなかを突

き刺すんだ。でも顔を見ると、にこにこ笑っているんだ」