どうぞご家族の元、輝かしい命、燃えつくしてくださいませ。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 31歳を目前としたときお医者さんから余命5年との宣告を受けたという。

人生の坂道を登り始めて間なしの病魔にどれほど驚き、悲しまれたことでしょう。

骨髄異形成症)との診断んそれも健康診断によるいきなりの発症と

28歳の時「ホームページの作成会社を立ち上げ

やりがいを持って過ごしておられたことでしょう。

 それからは過呼吸、めまいと症状に悩まされ入退院を繰り返し

改善されないまでも安定期の中職場復帰を成し遂げられる。

 余命診断ののち教員であるご主人に巡り合い結婚。

素晴らしい人には素晴らしい出会いがあるものだと神様に合掌。

ブラックホールを感じながらもお優しいご家族に囲まれ、また良き友人に恵まれ

病魔にかかったことは不幸ではありますが

家族が病魔に寄り添い応援し続けていただける幸せは

そうどこにでもあるとは思えません。

 

お人の愛こそが何よりの妙薬。

本当に家族は宝です。

家族が家族としてその機能を果たし

どれほどの家族が一家だんらんを味わい深く過ごされておられるでしょう。

家族はお互いに育みあう中から

家族の在り方がなくてはならないものに

はぐくまれていくのだろうと思っています。

 家族有ればこそ。

こころのよりどころはかぞくから・・・。

     アサヒコムより。

31歳目前に「余命5年」 大切なもの知った女性経営者

約3年前、病気で突然の余命宣告を受けた30代の女性経営者が、外見では分からない病気や障

害があることを周囲に知らせる「ヘルプマーク」の普及に取り組んでいる。家族らの支えに幸

福を感じながら、「今日一日を大切に」との思いを胸に前へ走り続けている。

「余命は5年です」

2014年8月18日、三重県四日市市の小崎麻莉絵(こざきまりえ)さん(34)は医師から

告げられた。骨髄異形成症候群。血液が正常につくれなくなる病気だ。完治にはリスクが高い

骨髄移植と抗がん剤治療が必要と告げられた。

31歳の誕生日を迎える前日のことだ。「どうやって伝えればいいんだろう」。最初に思い浮か

んだのは両親の姿だった。「やっぱコワイ」。その晩、泣きながら日記を書いた。

四日市市出身。県内の大学を卒業後、複数の会社を経て、28歳の時に名古屋市でホームページ

制作会社を設立。久々に受けた健康診断で異常が見つかった。

入院後、トイレに行くだけで息切れするようになり、過呼吸が頻繁に起こった。診断が下ったの

が約1カ月後だった。

「地獄ですよねー。もうびっくりしましたけど。あはは」。時折、笑顔を見せながら当時を振り

返る。

医師の言葉が強く心に残った。「泣いても笑っても同じ5年。できるだけ笑っていきましょうね」

診断の翌日、友人が次々と誕生日を祝ってくれた。母親は「死ぬわけないやん」と励まし、父親

はシュークリームを持って毎日見舞いに来た。骨髄を提供できないことを知った弟は悲しそう

だった。「本当に大切なものは何か。強く感じるようになった」

ある日、計算した。余命を日数にすると、1825日。5年で死ぬなら最後の300日は闘病で

大変なはず。「それまでの1500日は何かにすがったり、悲しんだりする時間じゃない。私

の今日がどれだけ素晴らしいかを感じたい」

約1年4カ月、入院と自宅療養を繰り返して病状が安定し、職場復帰した。

かつては東京で大きなオフィスを構えることを夢見ていた。睡眠は1日約3時間。朝早く出社し

、夜は経営者の会合に足を運んだ。「自分をいかに大きく見せるかに注力していた」

復帰後、心の鎧(よろい)を脱ぎ捨てた。勤務時間を午前10時半〜午後3時に抑え、体調を崩

して休むこともあるが、業績は落ち込まなかった。「病気でできないこともある」と伝えると

、近くまで出向いてくれる顧客も現れた。「大事な人と長く付き合えば、仕事はそんなに減ら

ない」と気づいた。

今、力を入れるのが「ヘルプマーク」の普及だ。小崎さんも電車で優先席に座ると、お年寄りか

ら「若いのによくそんなところに座るな」と言われた。

そんな時、東京都が12年に導入したヘルプマークを知った。病気を伝える文章とマークを添え

た自作のプレートをかばんにつけると、高齢の男性から「頑張ってな」と言われた。

フェイスブックで体験を公開すると、切実なメッセージが来た。「満員電車で押されて人工関節

が砕けた」「視覚障害だけど誰も気づいてくれなかった」

昨春、約20人で普及活動の会を発足。寄付を募ってマークをあしらったパスケースを配り、署

名活動でマークの導入を働きかけた。三重県、愛知県、名古屋市が普及へ動き出した。

一昨年、中高一貫校教諭の田中紘成(ひろなり)さん(36)と結婚した。病気になった後で知

り合い、最初は交際を断った。でも「今日一日が大事と言う麻莉絵ちゃんが、一緒にいる時に

笑顔なのがうれしかった」と話す紘成さんに心を動かされた。

今もめまいや過呼吸に襲われることがあり、昨年末には白血球の値が急に下がった。「そういう

日が来るかも」という覚悟はある。

それでも、病気になってから幸せを感じることが多くなった。「命が続く限り、世のため人のた

めに動き、巡り巡って自分がもっとうれしく過ごしていけたら、すてきだと思います」(堀川

勝元)