喜びと、悲しみと感謝の中で生きるがんとの闘い。
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
働き盛りのあさひ記者が難治がんとつげられたとは・・・。
喜びも悲しみも幾年月であろうかと
自問自答の余暇をすごされていることでしょう?
み子ばあちゃんの従妹は五年前に阪大で胃がんの手術を市
その一年後にすい臓癌を発症しています。
もうその時には命の保証はないと告げられていました。
その間には、何クールもの抗がん剤の治療も耐えて受けてきました。
それはそれは苦しい治療のようで言葉をかけることもできません。
ドクターストップがかかっている登山も今なお、海外までも登りに行っています。
これに対する後悔はないと思います。
ふるさとにも年に一度は墓参りに帰ってきます。
その凛とした様子にはただただ最敬礼です。
彼女いわく。
すべてのことを貸して行動しているのだという。
命ある限り、治療だけはしつくして
しっぽの先まで生きりたいとその姿勢には感心します。
命の時間を無駄にしない生き方は
誰でもが出来るものではないと思っています。
従妹の兄弟は4人いますが3人まではサバイバーとして
今なお治療中です。
すい臓がんになっている長女は昭和21年生まれです。
まるで時を、惜しむかのような生き方に、納得済みの人生であるべく
姿勢に静かなる祈りをささげることしかできません。
私も硬骨の人にならぬ姿勢だけは保持したいものです。
アサヒコムより。
「難治がん」記者 いまこのとき、喜びと悲しみは一体
難治がんで闘病中の朝日新聞記者、野上祐
〈特集「がんとともに」〉
唱歌「グリーングリーン」で、「ぼく」は「この世に生きるよろこび そして悲しみ」をパパ
と語り合う。親と腹を割って話したことのない人が、ある日突然、喜びや悲しみをパパと2人
で語り合うことは、(たぶん)ない。
がんと告げられた時も同じだ。命に関わるからと言って、その時だけふだんと違った行動をする
ことは、まずない。これまで壁にぶつかった時に、どう自分の心をコントロールし、乗り越え
てきたか。それまでの生き方が、がんへの対処に表れる。
自分はどうだったか。頭が働かない時に備え、治療に関する知識や自分の考え方を配偶者に知っ
ておいてもらう。「大丈夫だよね」と安心したがる時に、酷なのはわかりつつ、そう考える根
拠はないと伝える。最悪の時は……という話が効きすぎたら、必ずそうなるわけでもない、と
付け加える。一見、彼女をコントロールするようで、実はそうして話すことでお互いの頭を整
理してきた。
がんの中でも膵臓(すいぞう)がんの生存率は圧倒的にシビアだ。一昨年1月にがんの疑いを指
摘された時は、患部を特定する精密検査を受けながら「ほかの臓器だったら」と願ったものだ。
「これがラストチャンス」と普段と違う病院で言われ、主治医が渋る2度目の手術に踏み切った
ものの、根治に必要ながんの切除はできなかった。昨年半ばには、ショック死するおそれから
緊急入院した。昨年末も高熱が続き、新年は病院で迎えた。
そうした一つ一つを乗り越え、気づいたら2年間がたっていた。いま、生きている。初めに思い
描いた展開を考えると、そのことが信じがたい。
いま振り返って、その意味合いの大きさに気づく決断がある。がんの疑いを指摘されたころに、
病院探しを手伝えないかという政治家の申し出を断ったことだ。
いつか取材現場に復帰するつも…
という。