産経新聞記者、ステージ4のがんを生き抜く。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

多くのニュースが通り過ぎていく経過の中で、人の傲を感じることがよくあります。

わが人生の刻むこの時は、私自身の演出できる素晴らしく

納得すべき内容でありたいと冬眠気味の時間を

負荷を付けなければと鞭打つ思いです。

 癌と生命は昔のように直結した考えは持つ必要もなく

自分のエンディングはどのようにも伸ばせます。

これは新薬と高度医療のおかげです。

でも治療における格差は屋も植えないところは覚悟したいものです。

抗がん剤の副作用は大変厳しい戦いがあるとも聞かされています。

治療を断念されるお方も多く存在してもいると言われています。

二人に一人は癌になるとされています。

 47歳でのがんの発症は本当に過酷です。

一線でご活躍できていた記者生活にブレーキを感じながらも

勤務先、ご家庭、そしてご自身を取り巻くお人の環境。

これは、その人の生きざまの結果なのだと拝見しています。

 小腸癌との闘病は、想像を超えたものです。

それを戦うらうんどまーくはひとえに仕事に対する

並々ならぬ使命感と執着心そのものなのでしょうか。

がんの進行はステージ4と言えばかなり厳しく受け入れておられることでしょう。

命の輝かしいエネルギーをいただけている喜び感じてます。

 これからも天空に向かって静かなる祈りを続けております。

     山系より。

【希少がんと共に生きる】ステージ4の私に長州力さんは言った「娘が一番の抗がん剤だ」 政

治部 坂井広志

産経新聞は昨年8月2日付と同年12月29日付の朝刊で、筆者(47)=産経新聞政治部記者

=がかかった希少がんである小腸がんの闘病記を掲載した。だが、紙面では書ききれない部分

も多々ある。そこで、今回からインターネットの「産経ニュース」にも随時掲載していきたい。

まずは筆者の容体を知らない読者にこれまでの病状の経緯を説明したい。一昨年12月13日、

水戸支局デスクだった筆者は、約10回嘔吐(おうと)を繰り返し、腹部に強烈な痛みを感じ

たため、国立病院機構水戸医療センター」(茨城県茨城町)に緊急入院した。コンピュータ

ー断層撮影(CT)検査の結果、小腸に長さ約3センチの腫瘍があることが判明し、腸閉塞(

へいそく)になっていた。

悪性か良性かは開腹手術をしなければ分からなかったため、入院から6日後の同月19日に縦に

約10センチ開腹し、腫瘍を切除する手術を敢行した。病理検査の結果、悪性であることが分

かり、退院日の同月28日に小腸がんであることを執刀医から告知された。

加えて、執刀医が想定外の事態が進行していた。がん細胞が小腸の内側から外側に「顔」を出し

、臓器を包み込む腹膜に無数のがん細胞が散らばっていたのだ。無数のがん細胞を手術で切除

してもきりがなく、化学療法(抗がん剤治療)で撃退するほかなかった。よってステージは「

4」。深刻な事態に告知から約2カ月間は泣きまくった。働き盛りのときに末期寸前のがんに

なるのは悔しかったが、得たものも大きかった。

会社の同僚、読者から数々の激励をいただき、人をいたわる気持ちがいかに大事かということを

学んだ。激励には今でも感謝の言葉しかない。

昨年1月22日、妻(42)、娘(3)の家族3人で都内のとある居酒屋に出向いた。カウンタ

ーに座っていたのは筆者が小学生の頃からファンを続けているプロレスラー、長州力選手(6

6)だった。かつてあったファンクラブの仲間が、少しでも筆者に元気を出してもらおうとセ

ットしてくれた。

希少がんということもあり、症例が少しでも多い国立がん研究センター中央病院(東京都中央区

)に通うことになり、同年2月1日付で古巣の政治部に戻った。抗がん剤治療を始めたのは昨

年1月13日。オキサリプラチンという点滴の副作用はすさまじく、吐き気や倦怠(けんたい

)感はもちろんのこと、冷たい水や風に当たると手足には痛いほどのしびれが生じ、目をあけ

ることもできなかった。

あこがれの長州選手との会食はそんな筆者が立ち上がるきっかけとなった。それは長州選手がこ

んな言葉をかけてくれたからだった。

「俺と会ったってしようがないぞ。娘が一番の抗がん剤じゃないか。自分の病気のことを考える

んじゃなくて娘のことを考えろ」

今年1月14日には東京・後楽園ホールを家族3人で訪れ、長州選手プロデュースのプロレスを

観戦。始まる前に長州選手に時間をとってもらった。「大きくなったねえ」と娘に声を掛ける

と同時に、筆者に「元気か!」と迫力のある声で気合を入れてくれた。試合後、LINEには

「明るい姿を見て安心した」とのメッセージが入っていた。年を重ねてもなお、体を張って生

きている長州選手はすさまじいエネルギーを筆者に与えてくれた。

小腸がんは早期発見が難しい上に、同じ消化管原発である胃がんや大腸がんに比べ、悪性度が高

く、手術で完全に摘出できたとしても、約半数は再発するという。しかも希少性故に治療面で

の開発は進んでおらず、標準治療は確立されていない。

それでも、娘のために絶対に長生きする−。長州選手と会食し、そう誓ったのは今でも忘れない。

その後、国立がん研究センター中央病院のデータでは5年生存率が10%前後に過ぎないことを

知ったが、それでも「生きること」への執着心は失っていないつもりだ。

もう1人、プロレスラー、垣原賢人選手(45)のことを紹介したい。垣原選手は悪性リンパ腫

(血液のがん)に侵された。抗がん剤治療を終えて経過観察中ということで、昨年8月14日

、復帰戦が後楽園ホールで行われた。完治しているわけではないので、試合といっても藤原喜

明選手(68)とのスパークリングマッチ。そこには「同じ病気をしている人に希望を与えた

い」という思いがあったという。

復帰戦後、藤原選手は垣原選手に「おまえ、元気じゃねえか。治るよ!」と男気を感じる一言を

言い残してリングを降りた。アイドルグループ「バクステ外神田一丁目」のメンバーとして活

動している娘もリング上に登場し、父親への手紙を涙ながらに読み上げた。

「なんでパパががんになったのかと最初思いましたが、パパなら乗り越えられる。パパはヒーロ

ーです」

会場では満場の拍手がわいた。興行後、筆者は会場で握手攻めにあっていた垣原選手のもとに駆

け付け、「僕もがんなんです」と告げると「一緒に乗り越えましょう!」と言いながら、がっ

ちり握手をしてくれた。がん患者同士、気持ちが通じ合ったと感じたのは言うまでもない。

取材先の国会議員の中には会う度に「お身体は大丈夫ですか」と声をかけてくれる人、「実は公

表していないんですが、私もがんだったんです。『がん友』ですね」と言ってくれた人がいる。

2人に1人ががんになる時代を迎え、がんであろうとなかろうと、支え合いの精神は尊いと、今

さらながら、感じている。 (政治部 坂井広志)

 命に伸縮性があるとするならば、伸縮部分を

自己の選択で人生のエンディングを 癌は昔のように