星野さん、たくさんの感動ありがとう。
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
早すぎる不法、星野仙一。
ニュース記事においても多くを割いて関係者が
お悔みの言葉を載せておられる。
野球の殿堂入りしたばかりなのに本当に涙にくれております。
郷里に帰られた時には時間が許せば重度身体障碍者施設に
さわやかな笑顔と優しいまなざしを届けておられたという。
球場における闘魂は見ていてさわやかであった・
その反面、心優しい心情に触れた人は数限りない。
特にいーぐるすに優勝なんかと思えた球団に元気をプレゼントできた貢献は
今でも記憶に鮮明である。
東北の湧き上がるほどの一体感には感動しました。
星野さんらしい人生の終焉
野球の殿堂入りの祝賀会は、とてもお苦しかったのではと思います。
それなのに重得ぶりを秘めて最後まで気配りできる偉大さに
ますますファンになりました。
星野さんならではの最後の幕引きであったと思います。
どうか天国で奥様と十分過ごすことのできなかった大切な時間を埋めて
いついつまでもお幸せにとお祈り申し上げます。
そして天空の中、青空いっぱいご活躍くださいませ。
山系より。
2018年1月7日の産経抄
阪神の監督に就いて間もない星野仙一さんが、球場の整備係を呼び出した。高知で行われた16
年前の春季キャンプである。苦情か怒声か、世に聞こえた「鉄拳」か。身を硬くした担当者を
、新監督は溶け落ちそうな笑みで迎え、拍子抜けさせている。
▼本拠地の甲子園と同じ芝だな。土の感触も似ている。「よくやった」と。同じ年のペナントレ
ースのさなか、球団職員の一人に星野監督から封筒が届いた。表に「見舞金」と書いてある。
子供が病気で入院したことを人づてに聞いたらしい。職員は感涙にむせんだ。
▼中日、阪神、楽天。監督として迎えられた先々で、ほろりとさせる人情話の数々が残っている
。球団は選手やコーチだけのものではない。「裏方も含めてファミリーだ」と語っていたのを
思い出す。球史でも指折りのリーダーだろう。星野さんが70歳で亡くなった。
▼ユニホームを着れば感情の沸点は低く、グラウンド上での握り拳が印象に強い。多くのファン
が喝采を送ったのは「打倒巨人」と息巻く異端児への安直な判官びいきではあるまい。「勝ち
たいんや」と明快なベクトルを示す。時代の求める指導者像への賛美だろう。
▼トレードにも哲学があった。「子分」と目をかける選手をあえて手放し、痛みを背負う。中日
監督時代に4選手との交換でロッテの三冠王、落合博満を獲得したときもそうだった。放出さ
れた投手が「星野さんのためになるなら喜んで」と涙ながらに語ったという。
▼非情の人ではなかった証しである。中日、阪神で計3度挑んだ日本シリーズにことごとく敗れ
、「闘将」には長らく悲運の2文字もつきまとっていた。被災地に歓喜を届けた楽天での日本
一は、情に生きたその人への天の配剤に思えてならない。