七草がゆ。
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
今までは 食べ放題の日々であったこともあり、胃袋と言えば伸び放題で
いくら食べても満腹などありません。
このまま食べ放題であったならリフトが移動条件になるのではと心配しています。
今年はまずスイーツは半分くらいにはしなければと思っています。
女性の健康年齢は74歳ともいわれています。
寝たきり状態もかなり覚悟がいると想定しなければなりません。
このように志望体質で寝たきりになると床ずれもひどく
つらい末期を覚悟せねばと思うだけで悲しくなります。
健康年齢のキープは規則正しく、食事にも気配りし
目的意識をハードル低く掲げ
空白の時間を埋めるよう心がけたく思っています。
今年は少し行事食の意味を咀嚼し、胃袋を小さくできないものかと不安に思っています。
引用文からの七草がゆです。
1月7日に食べられる。正月の祝膳や祝酒で弱った胃を休める為とも言われる。
この行事は、平安時代には行われていたが、室町時代の汁物の原型ともされている。
説話[編集]
唐の楚国に、大しうという親孝行者がいた。両親はもう百歳を越し体がままならず、そんな両親
を嘆き悲しんだ大しうは、山に入って21日間もの苦行を行い祈願した。
「私に老いを移してもいいのでどうか両親を若返らせてください」
そこに天上の帝釈天からお告げがあった。
「そなたの願いを聞き入れた。須弥山の南に齢8000年の白鵞鳥がいるが、この秘術をぬしら親
子に授ける。ついては、
毎年春のはじめに七種の草を食べること。
1月6日までに7種類の草の集めておくこと。次の時刻に柳で作った器に種を載せ、玉椿の枝で叩
くこと。
酉の刻から芹
戌の刻から薺
亥の刻から御形
子の刻から田平子
丑の刻から仏座
寅の刻から菘
卯の刻から清白
辰の刻からこれらの種を合わせ、東から清水を汲んできて、これを煮て食べること。
一口で10歳、七口で70歳若返るので、ついには8000年生きることができよう。」大しうはこの
教えを繰り返し暗唱すると、この日は正月であったのですぐに山を降りて7種類の草を集め、6
日の夕方から教えの通り、不思議な心持ちで夜通し草を叩いた。朝になり、東から汲んだ水で
炊いて両親に食べさせたところ、たちまち若返ったのはいうまでもない。これが世に伝わり、
噂を聞いた当時の帝はこの親孝行に感動して位を譲った。[1]
すなわち、七草の由来とともに、ここでは親孝行の功徳を説いた話だったのである[2]。
詳細[編集]
以下は、関東地方の例である。
1月6日の夜、あらかじめ用意したセリ、ナズナ、ゴ(オ)ギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、ス
ズナ、スズシロの「七草」をまな板の上に載せ、以下の歌を歌いながらしゃもじやお玉杓子、
包丁の背などで叩いて細かくする。
七草なずな 唐土の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に ストトントン
明けて7日の朝に粥を炊き、叩いた七草と塩を入れて七草粥にする。そして朝食として食べる。
七草粥は新年の季語とされる。
現在では、七草をセットした商品が、多くの八百屋など小売店にて販売される。
地方での差異[編集]
七草粥は七草すべてが使用されるわけではなく、また地方によっても食材が異なる場合がある。
気候や降雪の関係で七草が摘めない東北地方では、七草を使わない粥を炊く。山形県の村山市周
辺ではゴボウ、ニンジン、こんにゃく、ずいき、油揚げなどを入れた納豆汁、七草汁を1月7日
の朝食として食べる。最上川流域では1月7日に新米の握り飯を12個作り、箕の上に乗せて柳の
箸を刺して「おみ玉」として飾る。その後で握り飯を崩して煮込み、野菜、昆布、干し柿、栗を
入れたものを「七草粥」と呼ぶ。また、青森県や秋田県では1月7日に行事を行う地域は少数で
ある。そのかわり、1月16日の小正月には、けの汁という根菜を大量に炊き込んだ精進料理を味
わって祝う。
巫女ばあちゃんのスタートメニュー
七草がゆもどき・・セリは入れ後は青菜で代用。
焼き寺社もと大根おろし
バナナ、ヨーグルト
ではごきげんよろしゅうに・・・。