田中内閣が伝えるもの。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 昭和46年からの田中内閣の打ち出した「日本列島改造論」には

国民のほとんどが何か変わるかもしれないと思えた一フレーズでした。

 田中ビジョンは大きなうねりと流通の流れを確かなもの歳

衝撃的であったのが新幹線の誕生でした。

そして何より、生活実感の変化でした。

昭和46年ころより給料のアップには誰でもがほくそ笑むほどの

給料を家に持ち帰ることができたのではないのでしょうか。

時代を読む力は田中内閣にはあったのだと認めざるを得ません。

経済成長をもたらし暮らしの安定はまさに政治の力と言えるのでは

ないかと思わざるを得ない。

中国との国交復興にも深く新たな道を開いたのも田中内閣。

政治活動はまるで特急並み。

 歳移転の流れも止められないことは、議院の選挙区は地方にありながら選挙活動は東京のため

地方に思いをきたすことなど少ないのではと感じてしまう。

     山陽経済より。

【話の肖像画】元通産事務次官・小長啓一(1) 列島改造論の思いは今に生きる

〈10月の衆院選自民党が大勝した。昭和46年から3年5カ月、通商産業相と首相を務めた

田中角栄氏に秘書官として仕え、その政治手腕を間近で見てきた小長氏は今の政治に何を思う

のか〉

田中さんの原点は新潟県に生まれた郷土愛と戦後復興です。通産相の秘書官になって間もない頃

、田中さんに出身地を聞かれ、「岡山です」と答えると「雪はロマンの世界だよな」とおっし

ゃった。意味が分からずにいると、こう続けられた。「川端康成の小説『雪国』のように、ト

ンネルを越えると雪景色が広がり、料亭で雪を眺めながら酒をめでる。君らにとってはそんな

感じだろう。だが俺にとって、雪は生活との戦いなんだ」。国土開発に関して生活実感に基づ

いて長年取り組んできた田中さんとでは理解の深さが全然違うと思い知らされましたね。「も

っと勉強しなくては」と田中さんが作った33本の議員立法都市政策大綱を読み込みました。

田中さんは、自民党総裁選に出馬する直前の47年6月に「日本列島改造論」を出版しました。

当時は都市の過密と地方の過疎が顕在化していた。道路や鉄道網、空港や港湾をもっと地方に

つくり、東京への「人、モノ、カネ、情報」の流れを地方に大転換すると打ち出した。安倍晋

三政権の「地方創生」も方向性は同じではないでしょうか。列島改造論は狂乱物価と呼ばれた

地価高騰や第1次石油危機に見舞われて実現しませんでしたが、その思いは今に生きていると

思います。目指した「一日交通圏、一日生活圏」も、後の政権でほぼ達成されました。

ただ、根底にあった「1億総中流」の思想は、グローバル化の現代では実現しにくい。一部の人

が富み、中産階級下流化する米国的な現象が生じています。安倍首相も次々と対策を具体化

しておられますが、田中さんだったらどんなダイナミックな政策に踏み切るだろうか、と考え

ることはありますね。

〈小長氏も関わった「日本列島改造論」はベストセラーとなり、全国的なブームを起こした〉

私を含めた執筆チームの作業は1日6時間、4日間にわたる田中さんのレクチャーを聴くことか

ら始まりました。田中さんは開口一番、強調された。「明治の先達は偉かった。日本はまだ貧

乏だったのに全国に小学校をつくり、鉄道を敷いた。経済大国になったわれわれも次世代のた

めに思い切ってインフラを整備し、不均衡な発展を改めないといかん」

列島改造論は発表後、盛り上がりを見せ、審議会の設置計画を公表したら全国から150人も応

募がありました。それに比べれば今は熱気に欠けますよね。中堅・若手官僚の7割が首都圏出

身だし、政治家も選挙区が地方にあっても東京で生まれ育ち、東京の大学を出た人が多い。生

活実感として地方をよく知らないのでしょう。安倍首相は地方を熱心に回り、知る努力をされ

ているので期待しています。(聞き手 田中一世)

【プロフィル】小長啓一(こなが・けいいち) 昭和5年12月12日、岡山県生まれ。28年

に岡山大法文学部を卒業後、通商産業省(現経済産業省)に入省した。46年7月〜49年1

2月、田中角栄氏の通産相と首相時代の秘書官を務めた。その後、通産省官房長、産業政策局

長を経て59年に事務次官。退官後は日本興業銀行(現みずほ銀行)顧問を経て、平成元年、

アラビア石油副社長、3年3月、社長。15年、持ち株会社AOCホールディングス社長。1

9年に弁護士登録し、島田法律事務所(東京都)に所属している。一般財団法人産業人材研修

センター理事長も務める。