少年の主張。(勇気がだせなくて)・・・。

     ご機嫌いかがでしょうか。 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 「少年の主張」なんて懐かしい響きでしょう。

昔はよく聞かせていただきました。

いろいろな体験に触れ、心揺さぶられるとても素敵な時間でした。

一番嫌いなのは自分であると言う主張者。。

その子の青春真っただ中のキャンバスlife。

グループの中でよく話していたaちゃんのことある日突然

ツマハジキにする話が浮上し、嫌われたくなくて

右にならえ出あくる日からaちゃんを避けるようになった。

自分だけは嫌われたくなくて。

こんな自分許せない。

 aちゃんの笑顔はどんどん消え去り、もうみんなに近づくこともなくなった。

だけれどみんなからきらわれたくなくて・・・。

 彼女も家に帰るとなんでもない友を避け続ける自分が許せなくて

そんな時、ネットでワンフレーズに出あった。

苦しみ続けた中からのすがるような言葉であった。

 過去の自分は変えられはしないけれど

未来の自分を変えることはできる。勇気を出してもう,aちゃんを避けるのはやめよう

あくる日友に気持ちを伝えると、素直にうなづいてくれた。

 友と一緒にaちゃんのもとに誤りに行った。

気持ちはとっても楽になった。

それからはnoが伝えられる人になりたいとの内容でした。

副会長まで務めた、彼はもうこれ以上生きられないと命を絶ちました。

これを見ていた誰かが教員室に駆け込むなり

そのことを勇気を出して言葉にできたなら

なくなる命はなかったかもしれない。

あなたのほんの少しの勇気が命を救えることを知ってほしいと思います。

言葉の暴力は、決してあってはなりません。

しゃくりあげるほどの苦しみ

土下座をすることは正常ではありません。

これは何人かが勇気を出すことで

救われたのかもしれません。

生きてさえいれば、はるかに素晴らしい社会人になっていたと思えます。

亡くなった命はもう帰ることはありません。

人を救えるのもあなたの勇気あるハートです。

ののしる教員二人よりも

はるかに素晴らしい成人になっておられたことでしょう。

 これは教職員などの大人の中にもありがちなことで一般的なように思えます。

自民党の独走に対して,noと言えないお人も数多くおられると思います。

でもお苦しみかどうかは疑問符ですが・・・日本はアメリカにnoといえつづけてきたのかもし

れませんが?

社会に出たならばいろんなしがらみもありますが

喜屋武バスlifeありのまま問題は先送りせずに意思表示はありたいものです。

どうか青春の一ページが後悔の少ない日でありますように

     産経より。

【少年の主張全国大会】主な要旨「もっともっと嫌いな人がいた。それは自分自身だった」

平沢さんの主張「仲間を守る一言」の要旨は次の通り。(表記は原文のまま)

「Aちゃんをはぶろうよ。」仲の良い友達から、突然言われた一言だった。「昨日まで仲良くし

ていたのに、何でいきなり?」しかし、その疑問は口に出せないまま、なんとなくうなずくだ

けで、のどの奥に沈んでいった。

次の日から、身近な友達の全員がAちゃんを無視し始めた。Aちゃんをわざと一人にした。Aち

ゃんから笑顔が消え、やがて近づいてこなくなった。周りの友達は笑っていた。

「こんなのいじめだ」と分かっていた。繰り返される残酷な光景に対し、声が出なかった。これ

を言ってしまったらどうなるのか。自分がはぶられることは、絶対に嫌だった。自分の意見が

言えないまま。Aちゃんを避け続けた。

それからというもの、友達という存在が、「疲れる人」へと変わっていった。嫌われたくないか

ら、とりあえず何でも「うん」と答えた。私はそんな「友達」が嫌いだった。しかし、もっと

もっと嫌いな人がいた。それは自分自身だった。はっきりと「良い」も「悪い」も言えない自

分が大嫌いだった。ある夜、ノートに真っ赤な文字で、「大っ嫌い、大っ嫌い。死ね死ね死ね

……」と書き殴った。はっきりと「自分なんか」と書いていた。

そんな中、インターネットを開き、私はある言葉と出会った。「過去と他人は変えられないが、

未来と自分は変えられる。」ドキッとした。その時やっと気づくことができた。自分が変わら

なければならないことを。私が言うべき言葉は「うん」という「自分を守るための言葉」では

なく、「こんなのいじめだよ。もうやめよ!」という、「大切な仲間を守るための言葉」だっ

たということを。

「もう、やめよ。」次の日、勇気を出して、私は友達に伝えた。「……うん。」友達は私の言葉

を受け止めてくれた。みんなでAちゃんに謝った。

今年6月、県内の中学2年生がいじめを苦にして、自らの命を絶った。もしAちゃんを避け続け

ていたとしたらと考えたとき、私は恐ろしい気持ちになった。周囲の人たちはみな、私のよう

に、救いの一言を飲み込んでしまったのだろうか。「やめようよ。」その一言は、命が失われ

てからでは遅い。いじめは人を死に追いやる。

私は、今では仲の良い友達にも「良い」、「悪い」と自分の思いを伝えている。今でも時々、「

◯◯ちゃんってうざくない?」そんな言葉を耳にする。でも私は、「そんなことないと思うよ

」と、自分の意見を言うようにしている。その一言が、周りの大切な仲間を守る一言になるか

らだ。