親の虐待からの証言。
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのミコばあちゃんです。
此の穏やかな秋の恵みの中においても、愛されるべき子供たちが親からの
虐待を受け、大人になった30台においても親から独立した今も名を、虐待のフラッシュバック
で苦しみ続けておられるという。
聞けば信じがたい話にも聞こえる。
でも未成熟の親はどこにいてもおかしくない。
親になれないままで、子供が生まれてしまったケースは少なくないはず。
人間として、親からの愛情を受けることなく大人になった虐待志向の子の親も
親と同じことを繰り返しているのかもしれない。
私は、かつて施設勤務していたことがある。
近所のお店のおばさんが来られ施設の児童がお店の娘さんに必要以上に
付きまとい、体を触りまわるのだと言ってきてくださった。
当時の私は社会に出たばかりで右も左もみな物珍しく
まだ大人にもなり切れていませんでした。
夕食後その子と二人きりで談話室で向き合った。
まず実態についての詰問するが、彼はしゃべろうとはしなかった。
そのころの私ときたらこのような子どもが「なぜ」?鹿ありませんでした。
その子供には大人びたところもあり屈託のない笑顔などは
どこからも見い出すことなどできませんでした。
改めて自動記録から彼の生い立ちを知ろうと紐とくと
母子家庭で、お母さんも無職野中恵まれもしない生活環境だけは知ることができました。
沈黙を破ったのは対面から二時間後でした。
幼い時の思い出話など聞くにつけ彼がぽつぽつと話し始めてくれました。
この時、私の思いを伝えるために施設の団体行動においては
たぶうとされてはいましたが温かいココアとクッキーを彼に勧めました。
アパート暮らしの一部屋で、母親が入れ代わり立ち代わり
男性を家に連れてきてはセックスしていた様子を幼いころから
見て育ったのだという。
それが常態化する中、自分がすることにも何ら疑問も、後ろめたさも
なかったという。
「こんな俺をどうして止められるのか」と児童はおくびれもなく
等々と語る
私は児童の思いのたけを聞き、思わず強く強く抱きしめていた。
親に愛されなく育つ子供もいるのだとその時初めて体感することとなった。
新聞に寄せたこの子は、おばあちゃんに愛される体験を持っていたことは
この子の将来の道しるべのためにもとても良かったとは思うが。
このような体験でトラウマとなりくるしみい続けておられるお方は多くおられると思う。
同じ体験者との出会いが待たれます。
産経より。
食事は床に置かれ、母は「口で食え」と言った 「親から虐待」の傷は、大人になっても深刻だ
『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』(dZERO刊)に収録された100の手紙か
ら、3日連続で1つずつ紹介していく。2日目の今日は、関東に住んでいる30歳の女性の書いた「
親への手紙」だ。
保護監督の責任を支配に利用する親権者
パパとママへ。私が3歳か4歳くらいの頃、おばあちゃんが入院し、ずっと離れていたあなたた
ちと一緒に住まなければいけなくなった。
「パパ、ママ、あのね」って声をかけた時、パパは「おまえにパパって言われる筋合いねぇ」と
私の頬をビンタ。
ママも「ママって言われると虫唾が走る。あっち行けよ」と蹴り飛ばした。びっくりして痛くて
泣いたら「うるせぇんだよ。静かにしろよ」とパパに蹴られた。
ママは私の髪を引っ張って「ギャーギャーうるせぇよ、汚い顔して泣きやがって黙れ」って床に
顔を押しつぶした。
私がジュースをこぼしたり、きちんとフォークやスプーンが使えないとビンタ。パパが「なんで
使えないの??犬か??だったらこうやって喰え」。
髪の毛を引っ張ってお皿に顔を押しつけて食べさせられた。ママは「笑える。ワンって言ってみ
な」って髪の毛を引っ張って頬をつねる。痛くて怖くて早く辞めてほしくて「ワン」って言っ
たら、「コイツ、ワンって言ったよ」と笑う二人。
それから私の食事は床に置かれた。スプーンやフォークは渡されず、手づかみで食べようとする
とパパが殴る。ママは「おまえは犬。口で喰え」。髪の毛を引っ張られて、お皿に顔を押し当
てられた。顔のまわりや服も汚れてしまう。ママが「汚ねぇな、しかも臭せぇし」って私の髪
を引っ張ってお風呂場に連れて行き、冷たい水のシャワーで私の髪を濡らした。
寒くて「やめて」って叫ぶと、ママは「うるせぇよ」ってお風呂に私の顔を沈めた。苦しくても
がいて顔を上げ、泣き声を出したらまた沈められ、「おまえは臭い。汚いんだよ。きれいにし
てやってるんだ。ありがたいと思えよ、クソが」。
どれくらい経ったのかな。意識を失っていて、気がつくと親戚のおばさんの顔が目の前に。あま
りにも悲痛な子どもの叫びが響き渡り、ご近所の人が警察を呼んでくれた。叔母(おばあちゃ
んの妹)が駆けつけてくれて、なかなか家に入れようとしない両親を振りきり、私を探し回り
、見つけて愕然としたそうです。
泣き声を出さないようになった
こんなことがあってもパパとママは逮捕されず、一層私を殴るようになった。大きな声で泣けば
、もっと強く殴る、蹴る。私に声を上げさせないために。
だから、殴られても蹴られても泣き声を出さないようになった。大人になった今も、悔しかった
り、かなしかったりすると手を噛む。声を出して泣けない。鏡を見ると自分の顔が汚い。パパ
とママが「おまえの顔は汚い」って言う声が、今も聞こえる。
こんな日もあった。私を置いてどこかでお酒を飲んできたパパとママは上機嫌。いつもは「あっ
ち行け。目障りだ。視界に入ってくるな」って言われるのに、2人に初めて「こっち来い」って
言われてうれしかったから、そばに行ったの。
パパが「おまえも吸ってみろ」って私の口にタバコを押し当て、煙が嫌で気持ち悪くて咳き込ん
だら、二人は「はい残念。ダメでした〜」って笑った。
「怒られる。殴られる」って思ってたから、パパとママが笑ってくれたこと、うれしかったんだ
よ。でも、ママは突然、私の腕にタバコを押し当てた。「ギャー!」って悲鳴を上げたら、ケ
ラケラ笑い転げたね。
この時の跡、残ってるの。20年以上も経ってるのに。見るたびに思い出す。苦しくて怖くて痛
くて、発作が起きるの。発作の間、あのケラケラ笑った声が頭から離れない。
あなたたちは離婚し、私のことなんて考えずに暮らしてる。でも、私は今もお風呂に入るのが恐
怖。何度も何度も吐く。あなたたちの顔なんて思い出せないのに、恐怖感だけよみがえってく
る。
私を殴る時、ママは叫んでいたよね。
「おまえのせいだ。おまえが悪い。私の体に一生残る傷をつけた。おまえなんか死ねばよかった
。なんでまだ生きてんだよ」
大人になってわかった。私、逆子だったんでしょう??正常の位置に戻れば自然分娩だったのに
、戻らなくて帝王切開した傷がママにとって一生の傷だったから、私を恨んで殴り続けたので
しょう。私、どうすればよかったの?
ねぇ、パパ。いつもイライラしてたよね。パチンコに負けたり、仕事で思い通りにならなかった
時、階段を上る音ですぐわかった。殴られる。蹴られるって。パパは私を見つけると、「気持
ち悪い」って蹴り飛ばした。痛くて、怖くて、私、いつも土下座してた。ごめんなさい、ごめ
んなさい。悪くないのにずっと謝ってた。でも、やめてくれず、ずっと私を蹴ってた。
無言で蹴り続けてスッキリすると、いつも笑った。あなたたちが私にしたことは、思い出すたび
に吐き気がする。思い出したくもないのに勝手に私の気持ちに入り込んで痛めつけてくる。
虐待された子は、虐待した親を殺しても罪に問われない。そんな法律ができるなら、私は喜んで
実行する。最後に笑うのは私……って、そんな間違った正義を振りかざさないよう、毎日毎日
自分と戦っている。
息を引き取る直前まで、おばあちゃんはこう言ってたの。
「パパとママを怨んじゃだめ。怨むなら、おばあちゃんを怨みなさい」
大好きなおばあちゃんを怨みたくない。悲しませたくない。ただそれだけの気持ちで、あなたた
ちを殺さずにいるの。だから早く私を解放して。これ以上、私を苦しめないで。人を怨まず、
人を愛せる私になりたい。
今日も日本のどこかで…
上記のような虐待は、決して珍しいものではない。昨年(2016年)春、日本小児科学会は、虐
待死の可能性がある15歳未満の子どもが全国で1年間に約350人に上るとの推計値を発表した。
今日も日本のどこかで子どもが親に殺されている。
『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』に執筆できた100人は、そうした虐待
から必死の思いで生き延びてきたサバイバーたちだ。
彼らがつらい過去を思い出しながらフラッシュバックに苦しんでも「親への手紙」を書き上げた
勇気を思う時、あなたは「子育ての苦労もわかって」と言えるだろうか?