教育現場の把握は、待ったなし。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。秋のさわやかな澄み切ったこの青空のもとにも

悲喜こもごもの日々が繰り広げられることでしょう。

 福井における自殺者については返す返すも悲しすぎます。

先生の人格上の未熟さ、それを見守らざるを得なかった校長、教頭様

叱責を受け続けてまでも登校し続けた真面目な生徒にもその心境のほどが

いかばかりであったろうかと胸詰まる思いでなりません。

一度教員になったらそれが定年まで継続が許されること自体以上です。

教員の一人一人の資質が問われなければなりません。

指導を逸脱した行為においてはきちんと対処すべき機関もほしいものです。

希望と夢を持った生徒が能力と可能性を伸ばすところが学校の役割です。

教師として人格上不適切な人には、指導があるべきです。

子供たちも見て見ぬふりを自己保身のために決め込むことも指導の欠如です。

これは社会に出てそのまま反映されることになるからです。

でも同僚の教員まで、その詩的と注意までもなされなかったのですから

生徒の指導は限界なのかもしれませんね。

学力がこの学校においては優先されるあまり

放置の対象になったのかもしれないと妄想したりもします。

学力評価は教師の指導評価とはきちがえてはいませんか?

生徒の心の芽生えまで摘み取られてはいませんか

政府は教育現場の把握をもっともっとすべきです。

人間関係の希薄な今においては丁寧な生徒の気配りがなされなければなりません。

また教職員の職場の不満にみみをかたむけるきかんもひつようなのではありませんか?

 単純に愛された感覚が薄いまま大人にならざるを得なかった現実が

教育現場においても蔓延しているように思えて仕方ありません。

学校の現実がベールの中でなく健全化ある教育現場であってほしいと願います。

教育現場から自殺ゼロは当たり前の一日も早いこと願うばかりです。

     中国新聞より。

福井の中2自殺 執拗な叱責許されない

2017/10/31

子どもたちの健やかな成長を支えるべき教員が、自殺へと追い込んでしまったことになる。

 福井県池田町の町立中で3月、2年の男子生徒が校舎から飛び降りた事件である。町教委が今

月公表した報告書は、担任や副担任から厳しい指導を受けた精神的ストレスによる自殺、と結

論付けた。幼い心をどれだけ痛めていたのだろう。あまりにもむごい死である。

 報告書からは、男子生徒が教員の指導に戸惑い、苦しんでいた姿がありありと浮かび上がって

くる。

 課題の未提出などを巡って副担任から叱責(しっせき)され、土下座をしようとしたこともあ

った。自殺の直前には、やはり課題について責められ、過呼吸のような状態になったという。

 母親にも「僕だけ強く怒られる。どうしたらいいか分からない」「副担任は何を言っても言い

訳と決め付ける」と、つらい思いを打ち明けていた。厳しい指導と生徒の受け止めは、まるで

かみ合っていなかったと言っていい。

 第三者から見ても違和感があったようだ。マラソン大会を巡り、男子生徒を怒鳴る担任を目撃

した生徒は「聞いている者が身震いするぐらい怒っていた」と証言する。自殺後に調査委員会

が生徒や保護者に行ったアンケートや聞き取りでは、副担任の叱責について「執拗(しつよう

)で、弁解を許さず、追い詰めるような感じ」と不満の声が多かった。

 報告書からは、男子生徒が追い詰められた理由が幾つも読み取れる。裏を返せば誰かが介入し

、男子生徒を救う機会が何度もあった、とは言えないか。しかし実際に救えなかったのは、な

ぜだろう。それを突き詰めて考えない限り、不幸は繰り返されるに違いない。

 生徒の過呼吸などについて、担任は副担任から報告を受けたのに、校長や教頭、家族に連絡し

なかったのはどうしてか。校長や教頭、他の教員たちは、厳しく執拗な指導を見聞きしたこと

があったにもかかわらず、なぜ止めるまでに至らなかったのだろう。

 教員たちの心の底には、「生徒のため」であれば多少の叱責もやむを得ない、という感覚が潜

んでいたのではないか。それがはびこり、叱責が日常的になっていたとすれば、見過ごせない。

 男子生徒の母親は手記で、報告書について「叱責と表現することに納得がいかない」「イジメ

だった」と述べている。心に届かぬ指導は結果としてイジメになると、学校現場は改めて受け

止めるべきである。

 文部科学省が今回の事件を受け、「特性や発達段階を十分考慮せず、いたずらに注意や叱責を

繰り返すことは、児童生徒を精神的に追い詰める」と強調し、適切な指導を促す通知を出した

。当然だ。

 子どもは一人一人に個性があり、得意、不得意がある。対人関係の苦手な発達障害のある子も

いる。その子が、その子自身のスピードで伸びる。そんな指導こそ望みたい。教育現場で子ど

ものペースを大切にできたら厳しく執拗な叱責は必要あるまい。叱る時も、穏やかに粘り強く

、その子が納得できるように工夫すべきだ。これが正しい、という教員の「独善」は、常に自

重しなければならない。