村上隼さんって素晴らしい。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 いろいろなニュースに触れ、ミコばあちゃんが一番感動することは

 自らの過去があったからこそ、今がある生き方との出会いには頭が下がります。

 お母さんの家族のために頑張りぬかれた二馬力、しっかりその背中を見て育ち

理髪店におけるよき指導者に出会い尊敬できる人生の揺るぐことのない方向性を

見い出すことができたことは、そうそう出会えることでもないし、また本人の気持ちの問題も大

きく社会貢献の道筋が描くことができ、それに向かって邁進んされるパワフルなエネルギーに

 ただただ感動させていただきました。

 なかなか御人の本ねの付き合いのできる関係は難しいでしょうが、本木戸の伝わる人の構築が

あれば、若者の良きオアシスになれることでしょう。

またそこから青空一杯はばたかれる若者たちを心より応援させていただいております。

     東京新聞より。

<ひと ゆめ みらい> 理容店の傍ら若者の更生支援・村上隼さん(40)

刑務所や少年院を出た後に頼る先や帰る場所がない人などを一定期間保護し、自立を支援する更

生保護施設がある。経営する理容店の営業終了後、訪ねてくる施設の若者の髪を無料でカット

する。

手を動かしながら相手の話を聞き、自分のことも話して励ます。「心をオープンにして、頑張ろ

うとしている人を応援したい」との思いからだ。

きっかけは五年前。刑務所を出て再出発する人を追ったドキュメンタリー番組を見て「自分にも

できることがあるのではないか」と考えた。施設を訪ねて入所する若者たちと話すと「絵が得

意だ」と言って赤ちゃんを抱くお母さんの絵を見せてくれたり「自分には生活がない」ともら

したり。複雑な生い立ちを感じ、十代の自分を思い出した。

母子家庭で三人兄弟の次男として育った。母は、昼は化粧品販売の仕事をし、夜はスナックで働

いて一人で家計を支えた。自分は中学時代から夜遊びをするようになり、高校三年の時には集

団のけんかをして鑑別所に入ったこともある。

それでも、母や担任教諭らに支えられ、高校卒業後は夢だった理容師になるための専門学校に進

学した。一年間学び、就職した店での師との出会いが、人生の転機になる。

大田区蒲田にある店で、寮に住み込んで働いた。師匠は中谷人志さん(73)。営業終了後、集

中力を欠いた練習をする弟子たちに、自らやってみせて修業の厳しさを教えた。大事な大会に

弟子が遅れた時、率先して頭を丸めたこともあった。

「それまで接した大人は言葉で抑え付けようとしたが、先生は自らの行動で示す。この人につい

ていこうと思った」

三十歳で独立する際、支店を譲ることで後押ししてもらった。弟子を育てるだけでなく、被災地

への寄付など社会貢献にも取り組む師匠から言われた。「俺に恩返ししなくていいから、社会

に恩返ししろ」との言葉は、常に胸にある。四人の子どもの父となり、あらためて十五年前に

他界した母が喜ぶ生き方をしたいと考えるようになった。

「一生懸命取り組めば、きっと応えてくれる人はいる。自分の足で歩けるようになれば、だめだ

った過去も『あれがあったから』と思えるようになる」。自らの経験を基に、立ち直ろうとす

る若者たちの応援を続けるつもりだ。 (北爪三記)

村上さんの理容店「髪to(かみと)」(千代田区内神田2の9の6祥司ビル1階)は神田駅西

口から徒歩約5分。受付時間は平日午前10時半〜午後8時、土曜午前9時半〜午後7時で、

日曜祝日定休。問い合わせは、同店=電03(5256)8655=へ。