脳性麻痺(22歳) 生きていればこそ。
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのミコばあちゃんです。
残存機能といえばわずかなものです。
いつも寝たっきりで、お人に
お世話いただく中でのお暮らしの中。生まれた美しい詩です。
脳性麻痺として生を受け「22年」
強く生き抜く意思を感じ、ピスケットにも表現されているように
とても清く美しいやさしさにウルウルさせていただきました。
目覚めて窓をいっぱいに開け、すがすがしい空気
小鳥たちの小さなささやきまでも
一杯のコーヒーまでも
自分の意志で飲んでる私
なんと、ぜいたくな時間を浪費しているのだろうか・・・。
初夏の太陽に恵みさえ感じようともせず
雨でも降ろうものなら、疎ましくさえ感じてしまう。
これがいまのわたしそのもの!
本当に反省させられたすてきな詩でした。
朝日コムより。
<せかいのなかで>
このひろいせかいのなかで
わたしはたったひとり
たくさんの人のなかで
わたしとおなじ人げんは
ひとりもいない
わたしはわたしだけ
それがどんなに ふじゆうだとしても
わたしのかわりは だれもいないのだから
わたしはわたしのじんせいを
どうどうといきる
◇
<いきていてこそ>
いまつらいのも
わたしがいきているしょうこだ
いきているから つらさがわかる
しんでいったともだちは
もうにどと
ともにつらさをあじわえない
いまのつらさもかんどうも
すべてはいきていてこそ
どんなにつらいげんじつでも はりついていきる
◇
<いけないことをしてみたい>
わたしは
いままでのじんせいでいちども
じぶんのいしで
いけないことをしたことがない
つみのいしきにさいなまれる
けいけんがしてみたい
いけないことをいけないと
わかってやるとは
どういうことだろうか?
してみたいけど かなわない
しかたがない
◇
<たくさんのビスケット>
たくさんあるから はんぶんあげるね
はんぶんになっても まだたくさん
まだあるから はんぶんあげるね
すこしへったけど まだあるから
そのまたはんぶんあげるね
とうとうあとひとつになってしまったけど
それでもはんぶんにわってあげるね
つぎにきたこには もうわけてあげられないから
のこったはんぶんの ビスケットをあげるね
ぜんぶあげちゃったけれど
ビスケットとおなじかずの
やさしさがのこっているよ
なにも知らずにこの詞に触れたとしたならどうでしょう?