脳性麻痺(22歳)  生きていればこそ。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 残存機能といえばわずかなものです。

いつも寝たっきりで、お人に

お世話いただく中でのお暮らしの中。生まれた美しい詩です。

 脳性麻痺として生を受け「22年」

強く生き抜く意思を感じ、ピスケットにも表現されているように

とても清く美しいやさしさにウルウルさせていただきました。

 目覚めて窓をいっぱいに開け、すがすがしい空気

小鳥たちの小さなささやきまでも

一杯のコーヒーまでも

自分の意志で飲んでる私

なんと、ぜいたくな時間を浪費しているのだろうか・・・。

初夏の太陽に恵みさえ感じようともせず

雨でも降ろうものなら、疎ましくさえ感じてしまう。

これがいまのわたしそのもの!

 本当に反省させられたすてきな詩でした。

     朝日コムより。

<せかいのなかで>

このひろいせかいのなかで

わたしはたったひとり

たくさんの人のなかで

わたしとおなじ人げんは

ひとりもいない

わたしはわたしだけ

それがどんなに ふじゆうだとしても

わたしのかわりは だれもいないのだから

わたしはわたしのじんせいを

どうどうといきる

<いきていてこそ>

いまつらいのも

わたしがいきているしょうこだ

いきているから つらさがわかる

しんでいったともだちは

もうにどと

ともにつらさをあじわえない

いまのつらさもかんどうも

すべてはいきていてこそ

どんなにつらいげんじつでも はりついていきる

<いけないことをしてみたい>

わたしは

いままでのじんせいでいちども

じぶんのいしで

いけないことをしたことがない

つみのいしきにさいなまれる

けいけんがしてみたい

いけないことをいけないと

わかってやるとは

どういうことだろうか?

してみたいけど かなわない

しかたがない

<たくさんのビスケット>

たくさんあるから はんぶんあげるね

はんぶんになっても まだたくさん

まだあるから はんぶんあげるね

すこしへったけど まだあるから

そのまたはんぶんあげるね

とうとうあとひとつになってしまったけど

それでもはんぶんにわってあげるね

つぎにきたこには もうわけてあげられないから

のこったはんぶんの ビスケットをあげるね

ぜんぶあげちゃったけれど

ビスケットとおなじかずの

やさしさがのこっているよ

なにも知らずにこの詞に触れたとしたならどうでしょう?