認知症。当事者からのメッセージ。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 天気予報では,マイナス気温であったがさほどの冷えはまだのようです。

 若年性認知症のお方の側のご意見お聞かせできたことで

これは我が身に置き換えても一語一句納得できる内容でしたので

全文を載せました。

どのようなお方の、どのようなご病気においても

素直に届く内容でした。

お医者さんであったり、ケアーされるお方においても当事者に話すことなく

すべて家族でないと意思伝達できないくらいに考えておられる

お方はほとんどです。

こんなことから、本当に当事者と向き合っていただいているのかと

疑念ばかりが頭をよぎり、信頼性など生まれもしません。

 前面サポートなのではなく、当事者の依頼に耳を傾けそのようなショートプランも

当事者の希望に沿って施工願いたいものです。

「できることはなるべくしたい」といった自立志向のお方も多くおられもします。 

当事者の初期は、不安、恐怖、偏見等に苦しみ出口さえ見つからないお人が

多くおられます。これはお仲間の同じ悩みに触れることでどれだけ

気分が落ち着くかしれません。

また失われたものに、こだわり苦しむことも少なくありません。

同病者との出会いがあればこそ元気にも、

巧妙さえも得られる早道ではないかと確信してもおります。

     アサヒコムの記事より。

認知症とともに生きるには 日英の専門家が語るシンポから

東京と大阪で今月、日英の専門家によるシンポジウム「認知症になっても安心して暮らせる街を

めざして」(認知症の人と家族の会、朝日新聞厚生文化事業団など主催)が開かれました。講

演と議論の内容を紹介します。

〈介護とわたしたち〉

■「できると信じ一緒に考えて欲しい」 丹野智文さん(43歳) 当事者メッセージ〈全文〉

皆さん、こんにちは。本日はこのような場で話をさせていただく機会をいただきまして、ありが

とうございます。ただいまご紹介いただきました丹野智文です。

私は大学卒業後、自動車販売の営業をしていました。お客さまの顔がわからなくなり、いつも一

緒に働いているスタッフの顔や名前もわからなくなり、ストレスかなと思い病院へ行きました

脳神経外科へ行き、物忘れ外来のある大きな病院へ行き、さらに大学病院で何週間も検査入

院をして、39歳のときに若年性アルツハイマー型(認知症)と診断されました。

その後、私よりも先に不安を乗り越えた、元気で明るい認知症当事者との出会いにより、10年

たっても元気でいられることを知りました。元気な当事者との出会いにより、その人のように

生きたいと思うようになりました。私が選んだのは、認知症を悔やむのではなく、認知症とと

もに生きるという道です。

診断されてから、もう少しで4年になります。診断後は、認知症イコール終わりだと思い、不安

や恐怖から、夜、泣いてばかりいました。それは泣きたくて泣いているわけではなく、ベッド

に入ると自然と涙が流れてくるのです。それだけ不安と恐怖があり、押しつぶされそうになっ

ていました。それが、元気な当事者やサポートしてくれる人たちとの出会いにより、少しずつ

ですが不安が解消されてきたのです。

昨年、スコットランド・ワーキンググループのジェームス・マキロップさんと出会って、国や国

境が違っても、認知症の診断直後に不安や恐怖を感じ、偏見が怖くて家に閉じこもるなど、共

通することが多く、共感することができました。国や国境が違うのに、まるっきり診断直後の

悩みは一緒だったのです。

そして、話を聞いているうちにスコットランドへ行ってみたいと思いました。スコットランド

は当事者が声を上げ、当事者団体が数多くできています。どのようにしてでき上がったのか、

なぜ当事者が出てくることができたのか、スコットランドで成功したことは日本でも参考にな

るのではないかと思ったからです。

それと、ジェームスの人にやさしく紳士的なところに魅力を感じ、認知症当事者としてではなく

一人の男性として尊敬できるジェームスに、また会いたいと思ったからです。

私は、研究者が行って見てくるのも大切ですが、当事者が見て、感じてくるのが大切ではないか

と思ったのです。そして昨年9月にスコットランドへ行って、当事者と出会う旅を実現してき

ました。

多くの認知症の当事者と出会い、話を聞くことができました。最初は偏見や支援にばかりついて

聞いていましたが、当事者と出会い、話をしているうちに、日本の当事者と違う点があると感

じてきました。進行していっても自分のことは自分でやろうという気持ちが強く、周りの支援

者も自立させるための最低限のサポートを心がけているのに気づき、私は、認知症とともに生

きるということは、どういうことなのか考えるようになりました。

スコットランドでは、当事者の支援をするための考えとして、「ストレスをなくす」「不安をな

くす」「自立をする手助けをする」という三つを考えていると言われていました。私は、日本

では、「ストレスをなくす」「不安をなくす」「守るイコール何でもやってあげる」の三つだ

と感じていました。

スコットランドの当事者は、進行していっても自分のことは自分でしていきたいと言っています

。そして、周りの人たちの支援の仕方や当事者の意識の持ち方が、日本とイギリスでは違うと

感じました。

自立を考えるうちで重要なのは、自己決定をして、自分の過ごしたい生活を過ごせているのかど

うか、自分らしい生活ができているのかというのがポイントです。私たち当事者は、守られる

のではなく、目的を達成するために支援者の力を借りて課題を乗り越えることが必要だと感じ

ます。

しかし日本では、まだまだ守られていると感じます。リスクはありますが、守られることで機能

の低下を招くと思います。スコットランドの当事者はリスクを冒してでも行動しており、家族

も制限をかけずに、自信のある当事者を見て誇りに思っています。

スコットランドの当事者も進行していないわけではなく、進行していっても当事者それぞれが工

夫することで自分が困らないことを知っています。自分でやることで自信を持っています。で

も、これらはスコットランドでもすべての当事者ではなく、一部の当事者です。

しかし、そのような自立している人たちは10年たっても元気で笑顔でした。私が出会った当事

者は、何をするにも、まだあきらめておらず、希望を持ちながら進行していっていると感じま

した。

スコットランドにはリンクワーカー制度(専門職が診断直後から支援する制度)があります。リ

ンクワーカーは最初、「これから、何をしたいの?」と聞くそうです。そして、それを実現す

るための計画を立てます。私は、診断直後、「何がしたいの?」と聞かれたことはなく、介護

保険や支援の使い方を説明された記憶しかありません。計画を立て一緒に実現することで、リ

ンクワーカーもその人を知り、その人に何が必要なのかをわかってくるので寄り添うことがで

き、信頼感が増してくるのだと思います。

日本の場合、一方的な介護保険の支援の話しかなく、「一生懸命教えてあげる」の目線なので信

頼関係ができないのです。そして話をしていても、当事者にではなく家族に説明しているので

す。

私は、スコットランドのようなリンクワーカーが早急に必要だとは思いません。日本には、既に

地域包括(支援)センターがあり、その人たちの当事者に対しての意識が変わればリンクワー

カーと同じ役割があると思うからです。

家族ではなく、きちんと当事者の話を聞く。支援の話に、すぐに結びつけるのではなく、その人

に何が必要で、どうしたらよいのかを一緒に考える。この話をすると、皆さんは「そんなの、

当たり前でしょう」と言うと思います。当たり前のことができていないのが現実なのです。で

きるか、できないかではなく、どうしたらできるのか、できると信じて一緒に考えてくれる人

が日本にも増えてくることを願います。

私も、これから進行していくことには不安もあります。しかし、進行していってもサポートして

もらいながら、そのとき、そのときを楽しく過ごしていくことができれば、それが認知症とと

もに生きるということなのかなと、スコットランドの旅で考えました。

そして、スコットランドから学んだことで、「当事者一人一人が自分の周りから変えていくこと

が必要」「ストリートから」という言葉が心に残りました。スコットランドでも全域でリンク

ワーカー制度や認知症フレンドリーが普及しているわけではなく、地域差があることが現状で

、それが課題になっているようです。だからこそ当事者が声を上げ、自分の身近なところから

よくすることで全域に普及していくのだと言っていました。

私も、まずは仲間と一緒に地元仙台から変えていこうと思います。仙台では、入り口の「おれん

じドア」があり、認知症カフェや集いのような居場所があり、次に、発信するワーキンググル

ープができ上がりました。

日本には介護保険制度があり、施設もよい施設が多くあり、進行していったときの支援がたくさ

んあります。日本のよいところ、イギリスのよいところがそれぞれあり、合わせることができ

れば、認知症になった人が幸せな社会になると思います。だからこそ交流が必要なのだと思い

ました。

病気になったとき、やはり最初の一歩を踏み出すのは大変なことでした。認知症になっても、当

事者や家族は、どうしても認知症になる前の姿を追い求めてしまい、できなくなることを受け

入れることができません。そのことで今までとは違う姿を見せたくないと思っている人も多く

います。

実際に、今までのようにはいかない、できなくなったことを受け入れ、よい意味であきらめるこ

とで、できることを楽しんで生活するようになった、全国にいる私の仲間たちは、とても輝い

ています。

私も、営業の仕事、好きだった車の運転はあきらめましたが、今まで想像ができなかった講演活

動など、人生が大きく変わりました。人生は、認知症になっても新しくつくることができるの

です。

認知症と診断された後、病院では薬を出してくれますが、それだけではだめだと感じます。病気

を受け入れられる環境が必要で、本人や家族が安心して暮らしていける環境がなければ、だめ

なのです。本人や家族は不安でいっぱいなのです。病院や役所で、いろいろな話をもっと教え

てあげてほしいと思います。

私が告知され、不安でいっぱいだったとき、どこに何を聞いたらよいかもわからずにいました。

何もわからないことが不安を増し、本人や家族を、うつなどのほかの病気にしてしまうのだと

思います。

認知症は決して恥ずかしい病気ではありません。誰でもなり得る、ただの病気です。病気によっ

てできなくなることもありますが、できることもたくさんあります。これから、ますます増え

てくる認知症、皆さんも、いつなるかわかりません。ぜひ、みんなでつながる社会をつくりま

しょう。

私も認知症ですが、同じ認知症の仲間を支えていきたいと思っています。今年のADI(による

国際会議)をきっかけに世界の交流を盛んにして、認知症にやさしい社会に世界がなることを

望んでおります。

ご清聴いただき、ありがとうございました。

認知症の人と家族の会宮城県支部

〈ADIによる国際会議〉 ADI(国際アルツハイマー病協会)が主催して今年4月に京都市

で開く、認知症関係の国際会議。

■「地域社会が支援を」 ジェレミー・ヒューズさん講演

認知症をサポートする地域社会があれば、明るく、積極的な人生を送ることができます。当事者

の孤立を防ぎ、地域の一員としての自尊心を育むことにもなる。そのことを提唱したい。

英国では、大小様々な220の地域社会が、そのためのプログラムに取り組んでいます。独立し

た組織による実施基準で運営され、認定を受けるためには、認知症の人を中心に据えた体制が

必要です。取り組むべき優先順位を決め、またPR活動も怠らず、声を上げていくことも求め

られている。

日本で始まった認知症サポーターの仕組みを、英国でも取り入れています。180万人がサポー

ターになり、理解が広がったというデータもあります。日本と英国は、世界的な規模で認知症

のリーダーシップをとる立場に立っています。両国が学びあうことで、認知症に優しいコミュ

ニティーを各国に広げていけると考えています。

(英国アルツハイマー協会長)

シンポジウムは、4月に京都である国際アルツハイマー病協会の国際会議のプレイベントとして

開催。会議の詳細はホームページ(〈http://www.adi2017.org/ja/〉)で。

■「スピード感と目標が大事」 パネルディスカッションから

後半のパネルディスカッション。認知症にやさしい街として知られる英国プリマス市のイアン・

シェリフ氏がネット中継で参加。前半に講演したヒューズ会長も加わりました。抜粋して紹介

します。司会は堀田聡子教授。

〈登壇者のみなさん=敬称略〉

横山絵里 京都府宇治市健康生きがい課係長

イアン・シェリフ 英プリマス大学認知症学術パートナーシップリーダー

徳田雄人 NPO法人認知症フレンドシップクラブ」理事

宮腰奏子(かなこ) 厚生労働省認知症施策推進室長

堀田聡子 国際医療福祉大学大学院教授

堀田 認知症にやさしい街づくりに、様々な業界を巻き込むためには何が必要か。

横山 宇治市では、自治体や企業など様々な団体を巻き込んだ「認知症アクションアライアンス

」に取り組んでいる。その最初の課題が、民間とどうつながるかだった。従来の役所のやり方

では、あっさり断られてしまった。

そこで、定年退職した民間出身の人にアドバイザーを頼み、「行政的なやり方、時間をかけてと

か、お願いしてやるやり方は違うだろう」と教わった。1分の説明でトップに納得していただ

き、動いてもらう。そういうスピード感と目標が大事だと知った。

堀田 プリマス市はどうか。

シェリフ リーダーシップを持つグループが情熱と体系的なプランをもって関わらないと、交渉

はうまくいかない。彼らのビジネスにプラスになることを明確に示さないといけない。我々の

プログラムに参加する企業は、成長度合いを高めている。顧客を重視する考え方が浸透するか

らだ。

徳田 私たちは自治体や企業の橋渡しをするNPO活動に取り組んでいる。企業が認知症に関わ

り始めるパターンは、新規事業の開発、高齢社会への対応などいろいろだ。例えば今、あるメ

ーカーとプロジェクトをやっている。認知症の方が洗剤や柔軟剤を飲み物と間違えて誤飲して

しまうのはなぜなのか、一緒に考えたいという話をいただいたことが始まりだった。こういっ

た関わり方もある。

堀田 英国では国レベルであらゆる分野の人を巻き込んでいる。

ヒューズ 私たちはリーダーシップを重視する。首相直轄の政策グループには例えば金融やエネ

ルギー、スーパーマーケットなどの業界からリーダーシップと責任を取れる人を一人ずつ選ん

だ。また業界で憲章をつくるため、それぞれの業界で委員会を設定し、彼らが責任感を持って

臨んでいる。

宮腰 若年性認知症の方が仕事を続けることへの理解と取り組みが広がるよう、国として事業主

向けのガイドラインを作っているが、なかなか広がらない。今のお話でトップに理解していた

だくことが重要だと改めて感じた。(浜田知宏、友野賀世)

〈日本の認知症施策〉 国レベルでは2015年に認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン

)を策定。認知症の人の意思が尊重され、できる限り住み慣れた地域で自分らしく暮らし続け

ることができる社会の実現を目指す。やさしい地域づくりと、認知症の人やその家族の視点の

重視は、認知症への理解を深める普及・啓発、適切な医療・介護の提供、若年性認知症施策の

強化、介護者への支援、予防法や治療法などの研究開発とその成果の普及とともに戦略の柱と

なっている。