その後のおばば様。
オババ様イロうになり真名しの出来事でした。
一人息子が急な病変により、緊急手術を市経過も良好で歩行器で歩く訓練も開始し、まじか
の隊員も告げられていたので一安心の嫁様でも阿多のです。
夜間病院より連絡あり、病変の悪化を告げられ近親者にも連絡して急いできてくださいとの
お言葉に、内容を受け入れられないままに。、病院に行くが既に息絶えていて受け入れられ
ないままに、気丈な嫁様葬儀、法要を済ませ、みーちゃん宅で泣き崩れ、掛ける言葉もあり
ませんでした。御主人とは、なくなるその日も帰ることなどあれこれはなし納得できないが
訴えてみても帰らない人に争ってみても勝ち目の少ない結果を受け入れることになるのであ
ればこのまま消化したほうが良いと語る娵様にうなずくことしかできませんでした。
ばばさまには何も伝えていないので、かおを見ることできずのぞいてないと言っては涙ぐむ
嫁様でした。ばばさまを思いやる緑ちゃんに、
ただただ、あたまの下がるミーちゃんでした。
おばばさまのにんちは60後半より認められるようになってきたのですが、嫁様が、あるが
ままのばばさま受け入れ寄り添い姿勢のスタンスが変わることなく大切にされてきた野
嫁様はばば様に否定する言葉など発することなどなく、あるがままを
たいせつにしてこられ、精一杯された嫁様に真名ぶ部こと多く感じたミーちゃんでした。老
い行く私が物忘れがひどくなっても、同じことを繰り返しても、歩くのが大変になっても、
どうかさえぎらないでほしい、なぜなら旅立つ準備なのだから、旅立つその時がどうか穏や
かでありますように。
でなだらかな認知期間が長く保たれていたように思われる。