すばらしい旅立ち橋田寿賀子

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

が昨年の4月に95歳の4月に旅立たれました。 多くの脚本をてがけた橋田壽賀子

  桜咲く、最も輝かしい時の旅立ちはまさに橋田さんの素晴らしい演出としか言えな

い絵になる風景である。

も nhkのラジオ番組で生前の対談が放送されていて

片づけしながら何となく聞き流しました。

橋田さんは会話の運びも見事で気配り型と拝聴。

それから 何冊かの本に触れる機会を得て夢中に読破

健康年齢も意識され

週に3回はジムに通い筋力アップであるスクワット、ダンベル体操などの負荷を用いる体

操も心掛け

家で最期を迎えるためのサポート体制も視野に

一人最後のシミレーションもしっかりできてもいた。

食事の配慮は無論のこと

経済体制も強力なる体制がとられてもいた。

身軽こそがポリシーと孤独をどこまでも大切にしている。

「大衆に受け入れられてこそ価値のある作品」という信念のもと、数多くの作品でヒッ

トを飛ばした。『おしん』(1983年 - 1984年、NHK)や『春日局』(1989年、NHK)、『

渡る世間は鬼ばかり』(1990年 - 2019年、TBS)など、いずれも後世に残る作品といえ

る。

NHKやTBSの制作作品で脚本を担当することが多く、テレビ東京での仕事はまったくない

(これは同局がドラマをほとんど放映しないことも原因している)。

脚本[編集]

脚本の台詞が長く、演出家や俳優による台詞の変更、アドリブを許さないことで有名(

橋田作品で主役級である泉ピン子は「自分の台詞が台本1ページもある」と語ったことも

ある)。

助詞(「てにをは」)一字の言い間違いすらも許されず、アドリブも一切禁止とされる

(松竹時代、脚本を担当した映画の撮影過程で、監督から「映画は絵で見せるものだか

ら(台詞を)もっと短くしろ」と言われたり、俳優たちが台詞を勝手に削ったりしたこ

とによる映画界への反発・怨念によるもので、「映像なんて信じていない」という信念

から来るもの[19])。

もはや死語となったような上品な表現の台詞が多く発せられるのも特徴。主なものとし

ては、「作る」を「こしらえる」、「味噌汁」を「おみおつけ」、「?して頂く」や「?

させて頂く」などの謙譲語の多用が挙げられる。「長幼の序をはっきりさせ、きれいな

日本語をテレビだけでも使いたい」という思いによるものである[19]。

長台詞については、「主婦が家事をしながらでも、テレビ画面を見ることなく台詞のみ

で話の筋が分かるように配慮している」(=ラジオドラマ化)ともインタビューなどで

述べている[19]。

橋田ファミリー[編集]

泉ピン子などに代表される、「橋田ファミリー」に属する役者が頻繁に起用される。

ただし、ファミリーのみでのドラマ制作は無論限界があり、かつ、主人公を演じられる

俳優は限られるため、赤木春恵山岡久乃八千草薫渡辺美佐子池内淳子、佐久間

良子、宇津井健泉ピン子、橋田の盟友・石井ふく子と共に高く評価していた三田佳子

大原麗子、石井親子と二代に渡り交流のあった杉村春子山村聰や森光子などが主役

・準主役・あるいは特別出演扱いで出演している(森繁久彌とは接点がなかった)。

丹波哲郎小林桂樹も重要な役どころで出演しており、いかりや長介伊東四朗が役者

として活躍するきっかけともなった。

橋田が俳優として努力する様子に感じ入ったというガッツ石松も、良い役を与えられ、

幾度となく出演している。

子役は坂上忍伊藤淳史えなりかずきに目を掛けていた。

また、イケメン・美女・美少女を登場させる場合には、ジャニーズ事務所石原プロ

ーション、オスカープロモーションからの出演が目立つ。

多くの橋田作品のプロデューサーを務める石井ふく子とは公私ともに親しく、「石井さ

んには(石井プロデュースではない作品でも)何でも相談する」と公言している。

作詞[編集]

自らの作品を題材にした『おしん音頭』『渡鬼音頭』で作詞を手がけるが、両曲とも作

品の雰囲気から大きく逸脱しているとして物議を醸した。

備考[編集]

来宮神社の氏子としても知られ、当地熱海市上多賀・同西山町の賛同する付近の民芸品

店などには、橋田ドラマの掲示が数多く掲げられている。また、毎年節分に来宮神社

開催される豆まきには、20年以上参加している。自宅は相模湾沿いから比較的近く、地

元から手伝いに訪問する同年代のファンも多い。

日本で離婚が増加してきたことについて、「結婚に男女平等はあり得ない」「若い人た

ちが相手に何かを求めすぎている」と苦言を呈した。また、夫・岩崎からは「どんなこ

とがあっても、俺の前で脚本を執筆するな」と言われ、主婦業に手を抜かず、岩崎が寝

ている時や不在の時に執筆活動した。これを岩崎が死去するまで徹底的に守り通したと

いう[20]。

夫・岩崎の遺言である「不倫と人殺しの話は絶対書くな」という言葉を守っている。共

テレビ朝日のドラマである『相棒』や『科捜研の女』を視聴する一方、両作いずれも

「初期の方が面白かった」と評している[21]。

2013年10月12日放送分の『サワコの朝』では昨今の若者について「わからないし嫌い」

「努力しないで成功を求める」と批判した。また、『渡る世間は鬼ばかり』に出てくる

若者は(インタビュー当時から見た)現代の若者のような人物ではないと話していた。

一方で「一流の脚本家は、山田太一倉本聰向田邦子。だから私は二流」と謙遜して

いた。

タレント活動[編集]

1990年代後半、その独特の風貌(加藤浩次からは「ミニラ」と呼ばれた)やキャラク

ー、物言いが女子高校生などに受け、改編期に橋田の旅番組が制作されたり、フジテレ

ビ『森田一義アワー 笑っていいとも!』(1998年 - 2001年)にレギュラー出演したりす

るなど、一時期はレギュラー番組を多数抱えた(「スガコブーム」)。しかし、相手の

トークを遮って突然喋り始めることもあり、基本的にバラエティ番組に不向きな性格だ

ったことが次第に明らかになって、「スガコブーム」は終わりを告げた。

ただし、橋田本人は「話好き」「目立ちたがり屋」と公言しており、声がかかればテレ

ビ番組にも積極的に出演していることから、以降も他の著名脚本家と比べればメディア

への露出度は群を抜いて高かった。特にTBSの番組には、自身の番組宣伝も兼ねて出演す

ることが多く、期首期末特番『オールスター感謝祭』などにも頻繁に登場した。公私共

に親しい泉ピン子と一緒に出演することも多かった。