風と共に去りぬ、配信停止に?

   ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

朝のスタートがすがすがしく、新たに迎えられる喜びは幸せそのもの…

 米国において、たびたび差別問題は消えては浮上を繰り返すこの社会現象…

黒人男性が暴行死の問題から「風と共に去りぬ」が配信停止になったこと

本当に驚くしかありませんでした。 というよりアメリカにおいては深刻なほどの

帆船運動が繰り広げられたのでしょうか??

米国の国民感情がこの芸実作品にまで、要求水準を 高めなければならないのか?

南北戦争下のジョージア州アトランタ市を背景に、アイルランド系移民の父と、アメリ

カ南部のフランス系名家出身の母を持つ気性の激しい南部の女、スカーレット・オハラ

の半生を、彼女を取り巻く人々ともども、壮大に描いた作品である。十年近い歳月を費

やして執筆され、1936年6月30日に出版、翌年ピューリッツァー賞を受賞した。

1939年(英語版)にアメリカで公開された映画『風と共に去りぬ』は、当時としては画

期的な長編テクニカラー映画であったことも手伝って、世界的なヒット作となり、第12

アカデミー賞にて作品賞・監督賞・主演女優賞・助演女優賞・脚色賞を始めとした9部

門を受賞した。

あくまで南部白人の視点からのみ描かれた本作は、「奴隷制度を正当化し、(オハラの

ような)白人農園主を美化している」ため人種差別を助長するとして根強い批判と抗議

を受け続けている。特に黒人奴隷の描写を非常に強く批判されており、また白人至上主

義団体クー・クラックス・クランKKK)を肯定している点等も強い批判を受けている(

主人公スカーレットの周囲にいる白人男性たちは、レット・バトラー以外のほぼ全員が

クランのメンバーである)[1]。

《・・ 「表現する」という行為は、人の心をざわつかせ、

そこに何がしかの「爪痕」を残す営みである。

それがダメだというなら、人間は芸術活動を放棄する以外にない――。

米国の白人警察官による黒人男性の暴行死を受け、

名画「風と共に去りぬ」の配信が停止された。

人種偏見が含まれているからだと。

何かがおかしい。

「初めて『風と共に去りぬ』を観た時は、

とにかくハリウッド映画のスケールに圧倒されました」 と、まずは映画評論家の北川れ

い子氏が振り返る。

「キャストの衣装の絢爛さやエキストラの数など、何から何まで豪華でした。

また、南北戦争当時の米国南部の大荘園や風俗・文化が再現され、

映画を通じてそれを一般教養として学ぶこともでき、

未だに映画史に輝き続ける作品です」

そんな名作が、米国で一大社会問題と化している黒人差別問題を受け、

今月9日、同国の動画配信会社によって、配信停止の運びとなってしまったのだ。

確かに、同作には「黒人奴隷の生活が美化されて描かれている面はある」(同)。

しかし、脚本家の橋田壽賀子氏が、 「私は『風と共に去りぬ』を黒人差別映画とは思わ

ず、

ラブストーリーとして観ました」 こう語る鑑賞法が、同作の一般的な観方であろう。

橋田氏が続ける。 「黒人差別の描写は、映画の一部分に過ぎません。

そして奴隷制のもと、米国で黒人差別が行われていたことは、

誰しもが知る事実です。

人種差別などあってはなりませんが、

それを乗り越えてオバマ大統領が誕生した。

風と共に去りぬ』は、もうあのような時代には戻らないという視点で、

観るべき映画だと思います。

それなのに、映画の一部の差別的描写だけを理由に配信を停止するのは、

むしろ時代に逆行しているのではないでしょうか」

☆「水戸黄門」もダメ?

放送プロデューサーのデーブ・スペクター氏も、 「私は中学生時代に、『風と共に去り

ぬ』を観て、

後日、クラスでディスカッションをする宿題を出されたことがあります」 として、こう

続ける。

「確かに黒人の奴隷生活が美化されてはいますが、

当時の南部のプランテーションの様子などを学ぶ教材でもある。

この作品を観られなくすることは、

子どもたちから学びの題材を奪ってしまうことになります」

さらに言えば、 「差別的表現に神経質になり過ぎると、

水戸黄門』、『忠臣蔵』、『必殺仕事人』、そして大河ドラマに至るまで、

日本の時代劇は、全て放送できなくなりますよ。

士農工商という差別的な身分制度があった時代を描いたものですからね」(同)

北川氏が「映画論」で締めくくる。 「人類の歴史は、美しいことより、むしろ汚い側面

が多い。

そうした汚 人 さも含めて描くのが、映画です。

ダメなことには一切触れてはいけないとなれば、

戦争や暴力も、映画では描けないことになる。

タブーが増えれば、表現の幅はどんどん狭まってしまいます」

心がざわつかないキレイゴトだけの無味無臭の映画――。

それはもはや、芸術でも文化でも娯楽でもない。        ワイド特集「アラート