不幸
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
おはようございます。
今日は上天気の小春日和。
つくしが生え この世の春を演出。
小さな春があっちこっち♪
不幸も幸せも隣り合わせのよう…。
みこちゃんといえば、いつもわが人生を 最大の不幸と仕立て上げ、
苦しくもあり、寝られないほどの坂をどれほど過ごしてきたことか…
高齢になり始めて苦しむ根っこを断ち切り、従妹のように青空いっぱいには
爆笑いはできないまでも、グリーンシャワーを神髄まで吸い込み
小鳥たちのさえずりとともに過ごすことで不幸の種は少なく「なんくるないさ」とご気
楽トンボに過ごせていて今が最高の幸せ感を手にすることもできてます。
雑草たちの小さな花にも幸福感を感じ
一日太陽のもとで過ごせる幸せを 極上に感じています。
不幸の種を 頭で求めることなく行動により、良くも悪くも払拭できてます。
社会的に見れば不幸の人と定義づけられるかもしれないけれど
今のみこちゃんは極上に幸福♪
アランは、日常的に自分の感情をコントロールすることをすすめています。気分をリラ
ックスさせるために、意識的にあくびをするとか、背伸びをするとか、簡単なことから
始めるとよいといっています。
「情念」をコントロールせよ
「心のうちにある、理性的には片づけられないもの」を「情念」と呼びます。その分類
は哲学者によって異なりますが、「憎悪」「嫉妬」「不安」「絶望」「驚き」「喜び」
「悲しみ」などです。意志で制御することが難しく、ときに人を激しく突き動かすさま
ざまな感情のことを指します。アランは、情念の暴走こそが、不幸の根本的な原因であ
ると考えました。
では、暴れがちな情念を鎮めるにはどうすればよいか。アランは「意志」と「行動」が
大事だといいます。すなわち、情念を意志と行動でコントロールすることこそが、アラ
ンの説く「幸福になる方法」です。
しかし「情念を意志と行動で制御せよ」と言われても、まるで修行僧のようで大変に感
じられるかもしれません。そこで、「不機嫌な人には椅子を差し出せ」「あくびや背伸
びをせよ」というアドバイスを、思い出してみましょう。これなら難しくないはずです
。
身体の疲れやこわばりが取り除かれると、人の心はスーッと落ち着くもの。難しく考え
て何もしないようでは意味がない。まずは行動に移すことが大切であるはずなのに、こ
の真理が見過ごされがちだというのがアランの考えです。
情念の制御法として、「ピアニスト」の例も挙げておきましょう。
あるピアニストが演奏前、「うまく弾けるだろうか」「間違えたらどうしよう」という
不安に支配されていました。しかし、いざ演奏し始めたら、その不安はどこかへと消え
てしまいます。平常心を取り戻したのです。
不安を追い払ったのは指の動作、すなわち「思考」ではなく「行動」でした。行動せず
、思考ばかりがぐるぐる回っていると、不安がどんどん高まってしまいます。だから「
考えるよりも行動しなさい」とアランは伝えているのです。
幸せをただじっと待っていても、何も始まりません。しかし自分の意志で何かを始めれ
ば、大きな困難があっても、最後は達成感に包まれるかもしれません。自分の人生なの
に、自分自身が傍観者になってしまってはいけないのです。
イライラや恐怖は伝染する
このやっかいな「情念」。これは、個人の中だけで完結するものではありません。まわ
りの人はもちろん、組織全体、さらには社会全体にも「伝染」します。
アランは、レストランで1人の客の不機嫌が、隣の客やボーイに伝わったことで、店全体
、さらにはボーイの夫婦関係までおかしくなる例を挙げています。これはたしかによく
あることです。
例えば電車の中で、肩がぶつかったなどと、言い争いが起きることがありますが、その
ことで車内全体も、「負の情念」に包まれたような雰囲気になります。「うるさいな」
「外でやれよ」とイライラする人もいれば、「怖い」とビクビクする人もいるでしょう
。
逆に、客にも店員にも笑顔があふれている店だったら、気分が落ち込んでいた人であっ
ても、幸せに食事を楽しめるはずです。
このように情念は「場の空気」を形作るものです。現代はインターネットがあるので、
情念がアランの時代よりはるかに伝染しやすくなっているといえます。もし世間に広ま
っている情念が、想像力によって生まれた悪い幻にすぎず、それが世界を動かす力を持
ち始めてしまったら、私たちはどうすればいいのでしょうか。
「情念」に訴えかけると、論理が破綻していても、情念の力で正しく見えてしまうこと
が起きます。先ほど例に挙げた、想像によって敵への恐怖や憎悪がふくらむ事例はまさ
にそうです。情念を抑えることは、社会全体の幸福のために大切なことなのです。
笑うから幸せになれる
アランはまた、こんなこともいっています。
私たちは、苦境に陥った人に対して、哀れみや同情を感じることがあります。しかしア
ランは、そうした感情は、むしろ逆効果になると指摘しています。
こんな話を聞いたことがあります。ある医師の方が言っていたことでしたが、治すのが
難しい患者さんを前にしたとき、「気の毒だな」「つらいだろうな」と感じると、それ
が相手に伝わってしまうので、つい機械的な対応をしてしまうという話でした。そうし
たなか、病気の人やその家族が集まる飲み会が開かれ、医師も参加したそうなのですが
、明るい雰囲気で、笑い合い、楽しい時間を過ごすことができたといいます。医師と患
者の壁がなくなり、できる限りのことをしようという勇気が湧いたそうです。『幸福論
』が、「あわれみや同情」ではなく「快活な友情」を示すことをすすめていたのは、ま
さにこのことだと思います。「一緒に飲む」という行動が、情念を乗り越えて、共に前
に向かって歩む力を生み出したということなのでしょう。世の中、自分の力ではどうに
もならないこともあります。しかし「笑う」ことによって、自分と社会をよりよい方向
に変えることは、たしか
「自分を不幸にする人」が陥りがちな思考のクセ NHK「100分de名著」制作班
https://toyokeizai.net/articles/-/336952
「自分を不幸にする人」が陥りがちな思考のクセ NHK「100分de名著」制作班