全盲夫婦だって、普通の家庭?

    ご機嫌いかがでしょうか。 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

今季最大の寒気団とか

マイナス気温ではなくとも、温暖化であったことから体がぶれーき ブレーキで

昨日はごみの管理日で、行き場生で地理おーさむにただ体が丸くなる。

正眼者が、視覚障碍者をどうな視点から認知されているのだろう?

 みこちゃんがかつて入っていたメーリングにおいて、

全盲夫婦ながら親の背中を ついも観てきた息子は幼いころからお買い物、視力の代行

者として当然かのごとく接してくれ

お母さんの作るお料理は最高の味付けと

いえる息子に感動もしました。

それによると物心ついたころから、親の手を引きお店に買い出しに

手紙を読む行為は無論のこと、ともからのいじめがあったかどうかは親に告げることな

く社会人になり今では、息子が柔道整復師となり、また息子さんが親の本まで出してお

られる。

その中に日常がつづられていて、親の仕事ぶりにいつも感銘していたとつづられていま

した。

全盲夫婦は、休みのたびに外出し、奥さんの手料理が、ご主人は最高とのサイン♪

我が家には冷蔵庫三大がいつもフル回転!

また孫も小さいころから、ジジババの手を引き外出もできていたようだ。、どこまでも

恥ずかしがらずに行ける子育てもできている…。

NHKのハートネットにおいても、障碍者家族のことがかつて取り上げら

障碍者兄弟の苦悩ぶりが取り上げられ、また障碍者家族もそれなりの苦悩もあるもんだ

人の視線を受ける行為は、少なくなっているとはいえあるけれど

そんな世間様には悔やむことなく、今においては社会の日陰で

それなりの息遣いができたならばと思ってもいる。

心あるお方の出会いは最高の心の栄養剤♪

 人生終着駅がどうぞご無事でありますようにとただただ願うばかり…。

生きることはそれなりに苦しいけれど、心あるお方の出会いは最高のエッセンス♪

 東洋経済からの引用。

 

全盲の親」に育てられた子が感じてきた"葛藤" -

耳が聞こえないお母さんなら筆者の知り合いにもいるので多少イメージできるのですが

、目が見えない人の子育てって、困難過ぎはしないか??しかも3人も、どうやって?

こちら

取材応募フォームから届いた「両親ともに目が見えない、きょうだい3人の家庭で育ちま

した」というメッセージを読んで、まず頭に浮かんだのは「いったい、どうやって?」

というクエスチョンマークでした。

連絡をくれた室橋結子さん(仮名・40代)の住まいは遠く、残念ながら直接会うことは

かなわなかったため、スカイプで取材することに。約束の時間に連絡すると、スマート

フォンのディスプレイにさっぱりした感じの女性が現れました。時折、結子さんの飼い

猫が、画面の隅をゆるりと通り過ぎていきます。

小さい頃は目が見えていた両親

結子さんの父親は、昭和一桁の生まれでした。幼少期は目が見えていたのですが、戦争

が始まった小学生の頃に受けた手術がうまくいかず、間もなく完全に視力を失うことに

。戦後すぐに生まれた母親も、4歳の頃に「突然視界がハレーションを起こしたような感

じ」になり、それから徐々に時間をかけて視力を失っていきました。結子さんを産んだ

頃には、部屋に明かりがついているかどうかがわかる程度だったといいます。

2人とも中途失明で、原因は複合的でしたが、ビタミンなどの栄養不足も大きかったよう

です。食糧難で、日本中が貧しい時代でした。

両親が知り合ったのはなんと、点字の同人誌だったそう。母親が書いた文章に惚れ込ん

だ父親が、点字の手紙を送って文通に発展し、あっという間に結婚に至ったとのこと。

共働きで、父親は自宅で鍼灸マッサージの診療室を営み、母親は結子さんが小さい頃か

ら病院で仕事をしてきました。父親は数年前に亡くなられたということです。

さて、目が見えない両親は、どうやって結子さんたちを育ててきたのでしょうか?

「子どもを産んだ私の友達に、よく聞かれます。『あなたの親、どうやって子どもを育

てたの??うちらは何も障害はないのに、たった1人の子育てでもヒーヒー言ってる。そ

れを目が見えないで3人も育てるって、どういうこと??魔法使いなの?』って(笑)」

近所の人も、同様に感じたのでしょう。結子さんは5歳の頃、団地から一軒家に引っ越し

たのですが、当時こんなことがありました。自宅裏に住んでいたおばさんが、「結子ち

ゃんのお母さん、目が見えなくて大変ね。いつもお弁当を買ってきて食べてるんでしょ

??みんなでこれを食べて」と言って、おかずを差し入れてくれたのです。

もちろん、親切です。しかし結子さんたちにとっては非常に“的外れな親切”でした。

なぜなら彼女の母親は目が見えなくても誰よりも料理がうまく、食事に困ったことなど

いっさいなかったからです。

「このときは子どもながらに憤慨して『おばちゃん、これいらないよ!』って突っ返し

てしまいました。いま思えば親切な人でしかないのですが……。母親が台所に立って料

理している姿を見ていないんだから、わからなくてもしょうがないですよね(苦笑)」

なるほど、結子さんの憤慨もわかりますが、近所のおばさんが心配したのもわかります

。筆者も「視力なしで料理をする」という状況が、話を聞いてもまだうまく想像できま

せん。

そこで試しに動画を検索してみたところ、いろいろと見つかりました。全盲のお母さん

が、玉ねぎを切り、フライパンを火にかけ、調味料で味付けをし、ごく「ふつう」にお

いしそうな料理を作っている映像もありました。

視覚以外の感覚をフルに使って

結子さんの話を聞いたとき、「お母さんが特別すごい人だったからできたのでは?」と

思ってしまったのですが、目が見えなくても料理ができる人はたくさんいるようです。

もちろんできない人もいるでしょうが、それは目が見える人も同様です。視力の有無だ

けで、料理をできるかどうかの判断をすることは、適切ではなかったのでした。

目が見えない人の生活を想像するとき、私たちはどうしても「今の自分が、急に目が見

えなくなった状況」を想像します。だから「大変だ!?何もできない」と思ってしまうの

ですが、実際はだいぶ違うのでしょう。視力なしで長く生きてきた人たちは、ほかの感

覚をフルに使い、われわれが想像するよりはるかにいろんなことをできるようです(も

ちろん人によって異なりますが)。

裏のおばちゃんも「料理は不可能」と勝手に決めつけず、手助けが必要なことがあるか

、あればどんなことなのかを、先に聞けたら喜ばれていたのでは。

なお結子さんの母親は、揚げ物は「菜箸の先から伝わってくる振動や音」で火の通り具

合を察知し、液体を注ぐときの音で、お湯か水かさえ区別できたそう。お母さんの提案

で、視覚障害のある人向けの料理講習会もやっているといいます。

料理だけではありません。母親も父親も、子どもたちのことを「めちゃめちゃよく見て

」いました。もちろん目ではなく、ほかの感覚を使っていたのですが、そのアンテナ感

度の高さは、結子さんが「恐ろしい」と感じるほどでした。

中学生の頃、結子さんは両親に叱られながら椅子の上で胡坐をかいていたところ、父親

は「ちゃんと姿勢を正しなさい」と言ってきたといいます。父親は全盲でも“お見通し

”だったのです。

大抵のことを器用にこなす両親だったとはいえ、目は見えないのです。よその家との違

いを感じることもあったのでは?と尋ねると、「私たちにとってはこの家族しかないの

で比べようがない」と断りつつも、いくつかのことを挙げてくれました。

「親が子どもを呼ぶ回数は、健常者の家庭より3、4倍は多かったんじゃないですかね。

例えば、父親は診療室で使うタオルが古くなるとミシンを使って雑巾にしていたので、

糸の色を布と合わせるのに、『ちょっと結子、糸を見て。白いのどれ?』と聞かれたり

。あとは『(2階から)降りてきて、ちょっとこの書類を見て』とか。

こういうのは『ふつうの家』ではないことですよね。中学や高校の頃はうざく思ったこ

ともありましたけれど、ほかの家でも子どもが家の手伝いをすることはありますよね。

うちは“手を貸す”代わりに“目を貸す”だけで、(ほかの家と)違うと感じたことは

なかったです」

筆者は昨年、コーダ(聞こえない親をもつ、聞こえる子どもたち)のドキュメンタリー

番組を見たのですが、コーダの人たちもよく親に呼ばれて“通訳”を頼まれていました

。反応はそれぞれで、子どもがストレスを感じているケースもあれば、そうでないケー

スもあるようでした。

意外だったのは、車についてのエピソードです。さすがの両親も車の運転だけはしよう

がなかったのですが、最近になって母親に聞いたところ、子どもたちは3人が3人とも「

いいな、何々ちゃんの家は日曜日にお父さんの運転でドライブに行くんだって!」と1度

は言ってきた、というのです。

「ばかだな、って思うんですけれど(笑)。でも、ほかの家にあるものは、うちに全部

あったんですよ。テレビ(両親は音を聞くのみ)も電子レンジも洗濯機もミシンもある

、でも車だけがない。違いがあまりなかったから、両親の目が見えないということと、

運転ができなくて車を持てないということが、うまくつながらなかったんでしょうね」

「大変ね」「えらいね」、でも助けてはくれなかった

嫌だと感じたのは、よその家との違いではなく、周囲の人々の態度でした。たとえば親

と出かけるとき、子どもたちはいつも親と手をつなぐか、腕をとってサポートしながら

歩いていましたが、すれ違う大人たちが無遠慮に、ジロジロと見ていくのです。結子さ

んは小さいとき、それが嫌でたまらなかったそう。

「かわいそうね、こんな小さな子を杖代わりにして」。わざわざ親にも聞こえるような

声で言ってくる人もいました。結子さんはカチンときていましたが、プライドの高い父

親は、いっさい聞こえないふりをしていたといいます。

子どもたちは小さい頃からよく「(親の手伝いをして)大変ね」「えらいわね」と言わ

れてきましたが、これも聞きたくない言葉でした。

「そっとしておいてくれない?という感じです。だって私は生まれてからずっとこの家

庭ですから、『大変』と思ったこともないし、『えらいでしょ』と思ったこともない。

しかも『大変ね』と言いながら、『お手伝いしましょうか?』とか言ってくれる人は少

なかった。だったら、どうして『大変ね』なんて言うんだろう?と不思議でした」

忘れられない光景があります。小学校に入った頃、結子さんはある駅のホームから改札

まで、父親の手をとって歩いていました。このとき、人ごみに気圧された結子さんが一

瞬何かに気を取られたすきに、父親が階段を3段ほど転げ落ちてしまったのです。

しかしこのときも、父親や結子さんに手を貸してくれる人、声をかけてくれる人はいま

せんでした。皆遠巻きで、父と結子さんの周囲にはぽっかりと丸く空き地ができました

「40年前は、本当に(声をかけてくれる人が)いなかったですね。今は、昔より手助け

をしてくれる人が増えている気がしますけれど」

もし本当に増えているなら、うれしいのですが。今も当時と同じだとしたら、悲しいこ

とです。

障害のある親をもつ子どもの気持ちとは

ただ、声をかけられない人の気持ちも少しはわかります。筆者もつい最近、駅のホーム

で何か探している白杖のおじいさんに声をかけたのですが、無反応でした。声のかけ方

を間違えたのか??次に同じ場面に居合わせたときにどうしたらいいか、結子さんに尋ね

ると、すぐに答えがわかりました。

「私だったら、肩を軽くたたいて『何かお手伝いしましょうか?』って声をかけるかな

。触らないで話すと、視覚障害の方は、自分が話しかけられているのかほかの人が話し

かけられているのかわからないので。実際、自分が話しかけられたと間違えて返事をし

た父が、恥ずかしそうにしているところを何度か見た記憶があります」

それです!?私が声をかけたときも周囲に人がいたので、男性は声をかけられたのが自分

だと確信がもてず、反応できなかったのでしょう。知らない人に話しかける際、先に身

体に触れるのはちょっと気が引けますが、目が見えない人には必要なことだったのです

「手だと、他人にいきなり触られたら嫌じゃないですか。腕をつかまれてグイグイ行か

れるのも怖い。だから触るなら、肩か肘の後ろ辺りがいいと思います。

ただ、その人が助けを必要としていない場合もあるので、もし『いや、けっこうです』

と言われても、それはそれで気を悪くしないでくださいね」

目が見えない親をもつ子どもを通して、目が見えない人々のことを、もっともっと世間

に知ってほしい。結子さんだけでなく、障害のある親をもつ子どもには、そんな気持ち

が大きいように感じます。

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