ウサギとお月様伝説。

   今日二度目の投稿です。

 昼前より、太陽ギラギラdayとなり、満月を

仰ぎ見ることも可能

幼いころは、なぜかお月様の中にウサギがいると信じていたころもありましたっけ!野だての行事もあちこちで繰り広げられることでしょう。

夕食には、さと芋を月に見立てたお吸い物を作りたく思っています。

 昭和の申し子としては、幼いころより、いろいろお供えを体験しながら育った時代でもあります。  また家々には必要不可欠な、神様として

水、火などに感謝しながら育ったものです。

 今まさに、千葉における大型停電、本当にお見舞い申し上げます。

 中秋の名月の行事に際しても、いろいろな収穫した初物を

お供えすることで感謝の気持ちを表現していたのだろうと思います。

お月見のときにお供えするものとしては、まず「月見だんご」があります。旧暦の8月15日の夜(中秋の名月)と、同じく旧暦の9月の十三夜のお月見に供える団子のことをいいます。

お供えする数も、十五夜のときには15個、十三夜のときには13個と決まっている地域もあります。また、そうでない場所もあります。

この旧暦の9月の十三夜のときには、枝豆を供えるという風習があります。そのためこの十三夜を「豆名月」と呼ぶこともあります。栗を供えることもあり、「栗名月」と呼ばれることもあります。

また、中秋の名月に里芋を供えるという習慣も一般的です。里芋は、この時期は収穫期の始めにあたりますが、この出はじめの芋を煮る、あるいは蒸してお供えします。この里芋を供える風習は、少なくとも室町時代にまで遡るものです。

これに関連して、秋によく行われる芋煮会が、月見の行事と関係しているという説もあります。

中秋の名月に芋を飾ることから、この名月を「芋名月」と呼ぶこともあります。

さらに、お月見の風物詩としてよく出てくるのが、すすきです。これも、中秋の名月でお供えすることが一般に行われています。

さて、このようにいろいろな食べ物をお供えして月を愛でるのはなぜでしょうか。

秋はちょうど、いろいろな作物が収穫の時期を迎えます。上で述べた、枝豆、里芋、そして団子の材料となるお米なども、秋が収穫のシーズンです。

月は、ほぼ30日で満ち欠けを繰り返します。夜空で規則的な満ち欠けをする月は、古来から、カレンダーとして重宝されてきました。

農耕ではカレンダーが重要となります。種まきや収穫の時期をいつにするか、といったときに、昔から、月の満ち欠け、あるいは月の満ち欠けを基準とした暦を頼りにしてきました。そういった、農耕に役立ってきた月に感謝の意を込めて、収穫された作物をお供えして感謝の意を表した、ということがそもそものお供え物の意味だったのではないでしょうか。

仲良く暮らす、うさぎときつねとさるが居ました。

3匹は、いつも

「自分達が獣の姿なのはなぜだろう?」

「前世で何か悪いことをしたからではないだろうか?」

「それならば、せめて今から人の役に立つことをしよう!」

ということを話し合っていました。

この話を聞いていた帝釈天たいしゃくてんは、何かいいことをさせてあげようと思い、老人に姿を変えて3匹の前に現れます。

帝釈天=古代インド神話においては、最強神とされています。

何も知らない3匹は、目の前の疲れ果てた老人が「おなかがすいて動けない。何か食べ物を恵んでほしい。」と話すと、やっと人の役に立つことができる!と喜んで、老人のために食べ物を集めに行きました。

さるは木に登って木の実や果物を、きつねは魚を採ってきました。

ところが、うさぎだけは一生懸命頑張ったのに、何も持ってくることができなかったのです。

うさぎは、「もう一度探しに行ってくるから火を焚いて待っていて欲しい」そうきつねとさるに話すと、再び出かけていきました。

暫くすると、うさぎはまた手ぶらで戻ってきました。

そんなうさぎを、きつねとさるは嘘つきだ!と攻め立てます。

するとうさぎは、「私には、食べ物を採る力がありません。どうぞ私を食べてください。」と言って火の中に飛び込み、自分の身を老人に捧げました。

これを見た老人は、すぐに帝釈天の姿に戻ると、

「お前達の優しい気持ちは、良く解った。今度生まれ変わる時には、きっと人間にしよう。それにしても、うさぎには可愛そうなことをした。月の中に、うさぎの姿を永遠に残してやろう。」とおっしゃいました。

こうして、月にはうさぎの姿が残ることになりました。

この神話・・・読むたびごとに、むなしい気持ちになります。

うさぎが火の中に自分の身を投じ、黒焦げになった後のこと・・・

うさぎを哀れんだ老人が、うさぎの焼けた皮を剥いで月に映すと、皮を剥がれたうさぎは生き返りました。

という話です。