京アニの放火で犠牲になったお父さんの手記。

ご機嫌いかがでしょうか。

視界ゼロのみこばあちゃんです。

当地の朝も雨のスタートです。

 昨日は結局避難訓練で終わり

よかったよかったの一日でした。

 雨は時折夕立のような雨に見舞われるくらいで

ツクツクボウシが静かに初秋を奏でています。

 我が家財が水につかってしまったらと妄想すると

もう何年も使っていないものの中で

またいつか使えると小札付きの不用品になんと

囲まれているのだろうと呆然とするばかりです。

 断捨離品の回収は9月の中旬にお願いしているので

もう後は火事にでもあったつもりで

おさらばする覚悟です。

  お金のプールはゼロ

あるのは「高齢になったら」と買い込んだ荷物にうつうつと暮らすことはもうおさらば

にしなければと思っています。

 ですから、消費税のアップに対しても、買い込みだけはもう予想とどっしり構えてい

ます。

 私の後は、ご近所のお茶飲み場所として使っていただけたならと思っています。

 [京アニ]の放火事件から、早いもので40日を過ぎようとしています。

 この報道がなされ日本列島を震撼させたこの事件

なぜか「またか」と思わずにはいられなかった。

 この時期にあたっての被害者の人命が公表された。

まさにミライアル若者ばかり

ご家族に配慮してとの公表のようでした。

 ご家族様にとって降ってわいたようなこのような事件

気持ちの受け入れもない中でのマスメディアの加熱した報道だけは

してほしくなかったことはとっても理解できます。

夢と希望を世の中に発信し続けた多くのアニメーターたち

理不尽とも思えるこの事件      

このような犯人を産んだ社会の負の遺産

この原因を少なくする方法こそ我が国のテーマとして

語られたいものです。

 このような、犯罪の後を絶つことは非常に難しい。

貧困者にと、子ども食堂の輪が広がっているように

もやもやとやり切れない思いを吐き出すことのできる

止まり木のようなものも欲しいものです。

 昔はなんだかんだ言いながら、じじばばがその一翼を

担ってきたようにも思うのですが…?

避けたいほどの退陣。

でもその退陣が、わが心の支援者となりうることも又

避けて通れない人の道。

 京アニで被害者となった息子さんえの父親の手記。

 [・基志さんが読み上げた言葉

 京都アニメーション第1スタジオで起きた放火殺人事件で亡くなり、身元が公表され

た石田敦志(あつし)さん(31)の父、基志(もとし)さん(66)が27日の会見

で読み上げた文書の内容は次の通り。

     ◇

 私どもの敦志は、私にとっては、できすぎた息子でありました。温厚で人と争うこと

が嫌いな、優しい子でした。

 夢を追いかけ、高いハードルを何度も自力で飛び越え、夢をかなえました。そして、

数々のアニメ作品に参加し、私たちに多くの夢と感動を残してくれました。本当に素晴

らしい子でした。

 小さいころからアニメに興味を持ち、「大きくなったらアニメの仕事がしたい」とよ

く言っておりました。最初は、子どもがプロスポーツに憧れるようなものだ、と私は思

っていました。しかし、長ずるにつれ、これは本気だな、と思うようになりました。け

れども、私の知る限りでは、アニメ業界のクリエーターの環境は決して恵まれた環境で

はないと、調べれば調べるほど不安になり、アニメ業界に入ることを私は最初、反対し

ました。それでも敦志は決して諦めず、私が与えた課題を拒否することもなく、きっと

私ども親を苦しめたくなかったんでしょう。アニメの勉強と学業を両立させ、自力で次

々とクリアしていきました。そして、この最後の課題、私が与えた最後の課題が京都ア

ニメーションでした。

 クリエーターたちにとって、過酷な環境が多いアニメ業界において、京都アニメーシ

ョンは、唯一といっていいと思います。クリエーターの生活保障がしっかりしていて、

リエーターを大事にする会社と知ったからです。もしここに入ることができるのなら

、私も心から応援できると思いました。しかし今思えば、ずいぶん遠回りをさせてしま

ったと反省しています。

 それからこんなエピソードもございます。入社間もないころ、先輩から「アニメータ

ーはやはり、原画を目指すべき」というアドバイスを頂いたそうです。そのことは、本

人も納得しつつも、ここが敦志らしいと思いました。しかしながら、動画を自然にしか

も美しく動かすことも非常に魅力を感じると、私に言っておりました。実に敦志らしい

な、とその時思ったものです。自然にしかも美しく動かす。ここにこだわった10年間

であったように思います。やっと円熟期にさしかかった、これから彼が本当に磨きがか

かる、これから彼が本当に表現したかった「自然にしかも美しく」に磨きがかかるのを

楽しみにしていたのに、31歳の志半ばで逝ってしまいました。

 この悲しみと怒りは筆舌に尽くしがたいものがあります。人生の過酷さは知っている

つもりではありましたが、人生にこんなにも理不尽で、悔しくて、苦しくて、悲しいこ

とがあるとは思ってもいませんでした。胸が張り裂けそうであります。

 入社が決まり、敦志の引っ越しの時、京都アニメーション本社にごあいさつに行った

時の話です。わざわざ専務と、当時の総務部長がわざわざ対応されて、その専務の言わ

れるには「この業界に息子さんを送り出すのにはさぞご心配でしょう。でもお父さんご

安心ください。弊社で3年頑張れば、この業界、どこにいっても通用する人材になるこ

とは間違いありません。そういう人材しか採用していません。どうか応援してやってく

ださい」とのことでした。

 私はそのころにはすでに京アニファンになっておりましたから、素晴らしい作品を生

み出した京都アニメーションで我が息子がお手伝いできるのは大変光栄です、と私が応

じると、専務は「そうではありません。お父さん。手伝うのではなく、一緒に作るんで

す」。まだ入社もしていない息子を一人前として処遇する専務のお言葉に大変感激した

のを今でも鮮明に覚えています。その後、今回被害に遭った第1スタジオに案内してく

ださり、有名な監督を直接ご紹介していただき、感激もひとしおでした。最後に玄関口

でごあいさつをと思った時に、その壁に私が京アニ作品の素晴らしさに出会った最初の

作品である「AIR(エアー)」のポスターが目に入ったので、私が別れのごあいさつ

のつもりで、「こんなに素晴らしい作品のお手伝いを……」と言い終わらないうちに、

今度は総務部長が「いえ違います。お父さん。一緒に作るんです」とのことでした。私

はその言葉で、これは単なる外交辞令ではないなと感じ、ここなら大丈夫。と確信した

ことを昨日のように覚えております。

 京都アニメーションの経営理念はクリエーターと作品を大事にする素晴らしい会社で

す。この度、たった1人の卑劣な犯罪者のために、まだまだ多くの素晴らしい作品を輩

出したであろう、才能と想像力にあふれた多くの人材が亡くなり傷ついたことは、私ど

も遺族や被害者家族のみならず、日本の大きな損失です。なくしてはならない存在です

。このような人材は決して一朝一夕にできるものではありません。残念でなりません。

 どうか皆さま、これからも敦志が愛した京都アニメーションを応援してあげて下さい

。そして、石田敦志というアニメーターが、この京都アニメーションに確かにいたとい

うことを、どうか、どうか忘れないで下さい。心よりお願い致します。