「ホームレスさんこんにちわ」のエッセイから見えた松島智子

   ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 本日の当地の予報気温35度の酷暑とか…

 贅沢とはいえ、来る日も来る日も茄子、きゅうり、ピーマンにも悲鳴が上がりそうです。

 南天の根が広がり、対峙してもすぐに、またすっくと伸びる様には

驚くと同時に根絶法はないものだろうかと思案橋

 松島智子さんといえば、子役としてもその存在感と

少女雑誌の表の顔が印象に残っています。

 nhkの対談で現在のご様子に触れ、そのお人柄にすっかり吸い込まれ

その人物像に触れてみたくなりました。

 40代で、ケニアにおいての撮影中にライオンと表に襲われているにもかかわらず

仕事の穴をあけてはならないとの思いから

頭蓋骨が外された状態で、再び撮影に臨み

今度は表に襲われ、首ががりがりと音を立てて

砕け散る様子を認識したのち、意識不明状態になったといわれています。

 意識回復後の松島さんは、猛獣には罪はありませんと

語るその後様子にもひょうひょうとしたその明るさと

その内面までも垣間見せてくれるかのような性格に

ただただ感動あるのみでした。

松島トモ子は、はじめライオンに噛まれ、10mあまりも引きずられたことで頭部がパ

ックリと割れ、大量出血したにもかかわらず、近くに病院がなく、瀕死の状態に陥りま

す。翌朝ようやく病院に行きましたが、「6時間以上経った猛獣の傷には雑菌が入ってい

るから縫わない」方針で、傷口は縫合されなかったそうです。

自身の不注意に責任を感じたのでしょうか、なんと3日後には病院を抜け出して撮影を

再開した松島トモ子。頭部がパックリ割れた状態で、ヒョウのいる動物保護区へ赴いた

のです。そこで2度目の恐怖に襲われることになるとは、誰が予測できたでしょうか。

松島トモ子を再び襲ったのは、ヒョウでした。ヒョウに噛まれた時は、ライオンに襲わ

れたとき以上に想像を絶する体験だったため、自身もなかなか口外できなかったという

松島トモ子。後に語られた当時の様子は、首の骨がガリガリと音を立て粉砕し、血が噴

き出し、「死んだ」と思いながら気絶したというものでした。

 その後、松島さんは何度となくがんを発症され

乗り越えられたお姿はまるで神がかりのよう…

4年前、認知症を発症する少し前の母・志奈枝

戦死されたお父さんとの暮らしから、親子二人の生活は長く続きました。

写真2枚

95才までヒールパンプスを履きこなし、いつもおしゃれで上品だった母が、突然暴言を

吐いて「軍服の兵隊が見える」と言い出した──。レビー小体型認知症になった母を在

宅で支える松島トモ子さんに話を聞いた。

「なんで私をいじめるの!」

絶叫にも似た罵詈雑言が響く。その内容に思い当ることはなく、突然、口汚い言葉が飛

び、時には居間の椅子が飛んで来る。これが、松島母娘の日常の光景だ。

◆お嬢様気質の母が激変。地獄のような日々が始まった

松島トモ子さんの母、志奈枝さん(98才)は95才のころ、レビー小体型認知症を発症。

それまでは、体は健康、頭もキリッと明晰。長年一緒に暮らす中でも“老い”を感じさ

せることはなかったという。

「母は本物のお嬢様なんです。大きなお屋敷で育ち、18才で香港のペニンシュラ・ホテ

ルで社交界デビュー。家にいるときも朝、昼、晩と着替え、いつもおしゃれでキチンと

していました。

言葉遣いや立ち居振る舞いも美しくて、私の友人にも母のファンがたくさんいます。そ

んな母を見ていたので、私は年を取ることが全然、怖くなかったの。母のようにいられ

るなら、年を重ねることが楽しみにさえ思えましたね」

そんな志奈枝さんの異変に気づいたのは親しい人に囲まれた95才の誕生会でのこと。

「いつも気遣いのある母が、お客様の話に無関心のように黙々と食べ続けていて、まる

で別人のようでした」

心配して声をかけると突然失禁。思いがけない出来事に松島さんは絶句したという。こ

れをきっかけに介護認定調査を受け、認知症で要介護1の認定。そのころから、冒頭のよ

うな暴言をはじめ、さまざまな症状が出始めた。

「驚くことばかりでしたね。“戦車が来た!”と言って浴室から飛び出してきたり、夜

中、外に出て行ってしまったり。母は健脚ですから徘徊というより遁走。もう追いかけ

るのが大変でした」

当初、訪問医が診察していたが、「認知症をもっとしっかり治療したい」との思いから

、ケアマネジャーに相談して認知症専門医を受診。そこで初めてレビー小体型認知症

診断され、治療が始まった。

「病名がきちんとついたことで気持ちが楽になりました。症状は変わらないけれど、母

は壊れたんじゃない。病気なのだと思えたから。

それでも2年半くらいは、地獄のようでした。私もパニック障害に陥り、仕事も1年あま

り休みました」

 今ではそのお母さんを見取り、車いすダンスのお世話までなさっています。

エッセイ 「ホームレスさんこんにちわ」

何気なく立ち寄った日比谷公園

日比谷公園に花が咲き出しましてね、つい、居着いちゃいました…」。日比谷公園

マンハッタン、2つの場所でホームレスたちが語る様々な人生の軌跡。女優、松島トモ

子が彼らと向かいった優しく生きる記録。

 気軽に同じ目線で語るホームレスさんの人生の一コマ一コマ

まるで隣人であるかのようなそのお話しぶりは人の境界などまるでありはしない。

松島さんの底抜けの明るさは、どこから来るのだろう…?

 私の中で「ホームレスさんこんにちわ」のエッセイを

ひも解く中で人の中にすうっと、溶け込んでいけるお人柄には人の壁など

みじんも感じることはできなかった。

このキャラこそは松島さんそのもの…

 できないことさがしであったり、マイナー思考で自分を縛ることはもうやめよう…!

 まるで太陽のような松島智子さん

本当に素晴らしいの一言です。

青空と太陽、そして松島智子