後期高齢化、団塊世代の未来の福祉!

   ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 今日も太陽の恵みいっぱい。

悲鳴を上げながらも、いまさらのように温暖化の副産物に泣きたい気分!

 戦後のベビーブーまーたちも、生涯の終焉は、その日の暮らしも大変!

過ぎてみれば、あの世まで安心のお導きもない…

 介護難民として行き場を失った団塊世代

容易に見えても来ます。

 焼き場だって、一週間待ちは当たり前!

働き倒した週末は、もはや疎まれる時代…

 加えて、引きこもりのわが子の身を案じなければ

死にきれない時代でもあるようだ?

 パラサイトシングルが、息が切れようとするその日まで

ぶら下がり続ける世代でもあるのかも…?

 年功序列の元、気に入らなくても、馬車馬のように

働いてきた年代でもあります。

社会人であれば労働はいわば当然…

「働かざる者,食う無からず」を代名詞のごとく

さいころからたたきつけられてきた年代でもあります。

 就職列車で金の卵のように労働者として東北から関東に向け

中学卒業から,懸命に働き定年を迎えた人はなんと大井いことだろう…

 孤独死はあちこちで見られる団塊の世代

 先祖バカも子供がいながら、平気で「永代供養」にお願いする時代でもあります。

国は地域ボランティアに望みをかけるしかない…。

 親を見ることのできない子供世代が他人の親の見守りが期待できるのでアロうか

 これは自己責任を促している西か他ならない。

 団塊世代のお年寄りは覚悟の週末がいるとしか思えません。?

(2)意味 1947-1949年生まれ・全共闘世代・          ビートルズ世代・70年安保世代・グ     ループサウンズ世代

→戦後のベビーブーマー(679万      人)

(3)注目点 戦後の民主教育教授・高度経済            成長期の申し子・ニューシルバー・            年金セーフ組(勝ち組)

→退職金市場60兆円?

これが、団塊世代の人生そのもの…

   産経寄りの引用。

【朝晴れエッセー】カアサン・5月17日

 「カアサン」。そう言って無意識に右手を差し出した。それは「溺(おぼ)れるものは藁(わら)をもつかむ」といった心境だった。「大丈夫、しっかりしなさい」。そう言って握り返してくれた女房の手のぬくもりが心に染みた。

 昨年の8月、突然、病魔に襲われた。急に胸が圧迫され、吐く息はできても吸うことができず、手足が痺(しび)れた。もう駄目だと観念した。必死になって女房を呼んだ。

 驚いた女房が救急車を呼んでストレッチャーに身を委(ゆだ)ねたときの出来事だった。不思議なことだが、亭主関白そのもので生きてきたこの俺(おれ)は、女房を呼ぶのには「オイ」か「ヒロコ」の2つの称号しか使ったことがない。そんな俺がなぜ「カアサン」と呼んだのか、今もって分からない。

 医師たちの迅速な処置により意識が正常に戻ったのが午前3時ごろだった。どうやら5時間ほど、朦(もう)朧(ろう)とした状態が続いていたらしい。目を開くとベッドの横に女房が座っていてくれた。

 「カアサン」、そう言った。「すまないな」。そう言った途端、不覚にも涙が頬(ほお)を伝った。「いいですよ、何にも言わなくて、静かにして眠りなさい。もう大丈夫だから」

 そう言った女房の顔を見たとき、俺はこの女性を女房にして50余年、どんなものを得るよりもはるかに、至高の宝物を得たんだな、とつくづくそう思った。それ以来、今日もまた、「カアサン」と呼んでいる。

団塊世代後期高齢者になる時代の福祉

https://www.sankei.com/life/news/190516/lif1905160036-n1.html