産経記者、希少がんとして生き抜く姿勢!!

    ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 日出も日ごとに早くなり、年金生活者のお散歩は4時から活動。

我が家の片隅では、スイトピー、スズランが時期を告げています

開花のいとおしみはないけれど、過去の思い出の回想の中を漂うだけのこと!

 産経新聞政治部記者[堺広志]のがん発症からの記事に

関心を寄せ続けてきた読者として、このような日が

迎えることができるなんて、正直とても思えませんでした。

 読者であるミ子ちゃんのほうが、マイナー思考と、命の見極めまで

関心を寄せ続ける気持ちにはなれないだろうと

胸中穏やかではいられませんでした。

 【希少がんと共に生きる】、 ステージ4の現実は

あまりにも厳しく険しい闘病生活しか想像できませんでした。

 ミ子ちゃんの家計も100%のがん家計!

とても他人ごとではありません。

希少がんを知ることとなった病魔の始まり…

壮絶なる発病に触れそのリアルさにただただ驚くばかりでした。

その後様子はまるで「仕事の鬼」を感じるほどの

記者としての使命感をかいま見る思いでもありました。

 産経新聞社の温かい仲間への思いやりの中で

治療とあの苦しいほどの抗がん剤と戦い続けることができた

職場環境にも温かい血流を感じさせていただきました。

 あの術後の苦しい時期、2年近い抗がん剤との闘い

いまだ腹膜に残留しているがん!

 病魔との開けそうにない苦しみに打ちひしがれながら、家族で会ったり

同病者からの励ましにかろうじて戦うエネルギーを

継続され今日を お迎えされたことの精神力と

記者としての筆を折ることをなさらなかったランドマークにも脱帽の一語でございます

 記事の中からも「生きるぞ、生き抜く」のお気持ちは

記事からもひしひしと受け止めさせていただきました!

幅広い高い志、二度とない人生なればこそ

ひと時たりとも無駄にはできないエネルギーまでも感じさせていただきました。

 ガンサバイバーとしての輝きと「生き抜く頑張り力」の光を

そこここで放ち続けるバイタリティを読者であり続けることで

励みとさせていただきたいと思います。

   産経寄りの引用。

【希少がんと共に生きる】たくましい若きサバイバー 抗がん剤をやめて思うこと (201

9年05月08日)

 小腸がん(ステージ4)に罹患(りかん)してから3年目を迎えている。2年間続け

抗がん剤の服用を、今年1月からやめた。休薬は、担当医と相談の上、効き目や副作

用などを総合的に勘案して決めた。休薬してもなお生き続けるには「絶対生きる」とい

う強い意思が必要だ。そんな折、がんサバイバーの若者たちと接する機会を得た。彼ら

には「生きる力」がみなぎっていた。

 4月20日に東京・新橋で開かれた若年性がん患者団体「STAND UP!!」に

よるフリーペーパー第10号のお披露目会。第10号に体験談を寄稿した内山裕果子さ

ん(31)はマイクを握り、こう語った。

 「東京マラソンを完走することができました。直腸がなく排便障害があるので『激し

い運動は不安』と自分の中で壁を作っていたのですが、そういう自分を変えたかった。

手術をして2年ちょっとで、フルマラソンを走れるくらい元気な人もいる、ということ

を伝えたいと思い挑戦しました」

 会場は拍手に包まれた。客室乗務員だった内山さんは28歳のとき直腸がん(ステー

ジ3a)が発覚した。手術は7時間におよび、大腸から直腸にかけて約25センチを切

除し、まわりのリンパ節も取り除いた。

 昨年3月、ヨガインストラクターの資格を取得した。今後については「心や身体に不

安がある人の癒しになるような活動をしたい」と話す。7月に結婚する予定だ。彼女の

目は輝き、フリーペーパーにつづられた「未来は自分の考え方次第!」という言葉には

力強さすら感じる。

× × ×

 「STAND UP!!」は平成21年に発足し、22年から毎年春にフリーペーパ

ーを発行している。発行部数は毎号約35000部。がん診療連携拠点病院を中心に約

400カ所の病院に置いている。発足当初のメンバーは10人にも満たなかったが、今

では約690人に上る。がんの体験談10人分を毎号載せているのが特徴だ。

 だが、ここまでの道のりは平坦(へいたん)ではなかった。発行は第1号から難航し

た。団体の創設者でもある、24歳で乳がんに罹患した鈴木美穂副代表(35)は10

年前の状況をこう語る。

 「10人の顔出し、実名で体験談を書いてくれる人を見つけるのが難しい時代でした

。顔を出すことに抵抗がある人が多くて、『仮名だったらいいよ』『顔を出さないんだ

ったらいいよ』という人は見つかるのですが…。10人を見つけるだけで約半年かかり

ました」

 団体の事務局長は17歳で急性リンパ性白血病を発病し、21歳で再発した経験をも

つ熊耳宏介さん(36)が務める。熊耳さんによると、置いてくれる病院を探すのも大

変だったらしい。「聞いたことのない団体から『体験談を載せたフリーペーパーを置か

せてください』といわれても、普通、怪しがりますよね」と笑いながら振り返る。

× × ×

 15~39歳頃までの思春期と若年成人(Adolescent and Youn

g Adult)を指す「AYA(アヤ)世代」の患者は進学、就職、結婚、出産など

人生の節目と治療時期が重なり、悩みや不安を抱えることが多い。このため、近年、心

のケアなど社会的サポートの必要性が声高に叫ばれるようになった。

 今でも、がん経験を公にすることに対し抵抗を覚える若者のサバイバーは少なくない

。実際、お披露目会の参加者には「心の整理がついていない」と取材を断る人もいた。

 筆者自身ががんサバイバーだからといって、がんサバイバーの誰しもが気を許してく

れるわけではない。そんなことを改めて思い知った。部位が同じでも、がんの症状や治

療法は千差万別。心に傷を負っているのなら、その胸のうちに土足で入り込むのは避け

なければならない。自分にそう言い聞かせながら、取材を続けた。

 会場では、25歳のときに左ふくらはぎに粘液型脂肪肉腫を発症した鳥井大吾第10

号編集長(30)が「若年性がん患者会とその他のがん患者会の何が違うかといえば『

若さ』かなと。インスタグラムを始めました。これからも新しいことに取り組んでいき

たい」と宣言。お披露目会は和やかなうちに幕を閉じた。

× × ×

 筆者が手術を経て抗がん剤治療を始めたのは29年1月。数々の副作用がある中、「

2年間、よく耐えたな」と思っている。同時に、抗がん剤をやめた途端に、小腸の壁を

打ち破って腹膜に散らばったがん細胞が暴れ出すのではないかという不安もある。

 ただ、希望は捨てていない。休薬後2年間、腹水や転移、再発などがなければ「いけ

たかなと…」(担当医)。がんの病から逃げ切れる可能性があるというわけだ。抗がん

剤を開始したとき、担当医は「がんのすべてを消すのは難しいが、治る可能性は0%で

はない」と語っていた。

 当時、「0%ではない」の意味を「ほとんど治る可能性はない」と解釈した。あれか

ら約2年4カ月。楽観視しているわけではないが、「限りなく0%に近い世界」に足を

踏み入れるときが訪れるかもしれないのだ。ここ1~2年は正念場といえる。

 若者たちから生きるエネルギーを注がれた気分になった筆者は、こう思いながら会場

を後にした。

 あともう一踏ん張り。

(政治部 坂井広志)