原発避難者が抱える苦悩!

 

ご機嫌いかがでしょうか。

視界ゼロのみこばあちゃんです。

 東大震災、福島原発からもう8年。

 冷たい雨そして暖かい日の訪れに

沈丁花の香りも花をくすぶり、花々も開花に向けて

一斉に日ごとにその様子を変えています。

 福島の風景はすっかり変わってしまったとのことです。

 今日、nhkで魚屋さんが語られていました。

 2年くらいは風評被害で商売にもならず

魚の入荷も少ない状態であったが

ここに来て、新鮮は美味しいと購入者も増え

ありがたいとの言葉に、「よくぞ」と最敬礼です。

福島にはまだまだ原発の爪痕は根深く

避難者のいわれなき差別の嵐の渦中にいる子供はそこここにある!

 みこちゃんが印象に残っているニュースにおいて

福島産の桃を試食していた人が福島と知るやいなや口に入れていた桃を

大衆の面前において吐き散らかした光景です。

これはニュースとしても取り上げられはしましたが

では自分が当事者であったならどうだろう

東京電力福島第1原発事故で福島県から横浜市自主避難した中学1年の男子生徒(1

3)が、転入先の市立小学校でいじめを受けて不登校になった問題で、生徒側の代理人

の弁護士が15日、記者会見し、生徒の手記と保護者の声明を公表した。生徒は手記の

中で「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつ

らいけどぼくはいきるときめた」などと書き記していた。

原発事故の)賠償金をもらっているだろうなどと言い掛かりをつけられて金銭を要求

されたり、ばい菌と呼ばれ「放射能の影響ではないか」と不安になったりした経緯が記

されている。いじめは小学2年から5年まで続いたという。  

代理人によると、手記は生徒が「同じようにいじめられている子どもの励みになれば」

という思いで公表した。  

金銭の要求については「ばいしょう金あるだろと言われむかつくし、ていこうできなか

ったのもくやしい」と心情を吐露。「ていこうするとまたいじめがはじまるとおもって

なにもできずにただこわくてしょうがなかった」とつづった。  

ばい菌と扱われたことには「ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。福島の人は

いじめられるとおもった」と明かした。  

また、学校の対応について「いままでいろんなはなしをしてきたけど(学校は)しんよ

うしてくれなかった」などと振り返り、「なんかいもせんせいに言(お)うとするとむ

しされてた」と絶望感をにじませた。

まず親が偏見を持たないこと、悪口を言わないことですね。 

「触るな、避難民が」出身隠した22歳、再び原発を語る

https://www.asahi.com/articles/ASM332CX3M33UGTB002.html    福島避難者の手記

です。

小学生のこどもたちを放射能から守るため、

母子3人で自主的に避難してきました。

夫は、いまだに福島に残って仕事をして、生活を支えてくれています。

避難してくる前に住んでいた福島県郡山市は、原発から50~60キロ離れたあたりに

あり、

国が定めた避難地域に入っていません。

しかし、いまだに放射線管理区域である0.6マイクロシーベルト/時を超える0.7マイ

クロシーベルト/時の空間線量があり、非常に放射線の高いホットスポットも存在す

ると

ころです。

そのため、自主的に避難する人と、避難しない人に分かれる地域です。

そのため、311に大地震が起こり、原発が爆発してからずっと、放射能から避難すべ

きか悩む日々が続きました。

パソコンがなかったため、テレビにかじりついて、いつ避難指示が出るのか、どう

いう状態ならば避難してもいいのか、判断材料を求め続けました。

しかし、枝野大臣は「ただちに健康に影響はない」というばかりで、判断材料とな

るべき情報を何も示してはくれませんでした。

早い段階で、SPEEDIの情報を公表してくれていたら、原発が大爆発する映像

をテレビで流してくれていたら、もっと早く避難できて、こどもたちに余計な被曝

をさ

せなくて済んだのに…と悔しくてなりません。

何も知らず、避難地域に指定されなかった郡山は、たいした被害はないのだと思い

こんでしまいました。

危険な状態なら、国が何もしない訳がないと思っていました。

そんな中、高い放射能が降る中を、地震の影響で断水で水が出ないため、スーパー

にもほとんど物資がない中、生活するための水や食料を得るため、スーパーの長蛇

の列

にこどもたちと並んでしまっていました。

それから、私の小学生の長男の体には、異変が起こりはじめました。

口内炎、湿疹、発熱、鼻血などの症状が出てきたのです。その時には、まだ知りま

せんでしたが、それはチェルノブイリ原発事故の後に、その周辺の人たちに多く表

れた

放射性物質による健康被害の初期症状そのものでした。

そうした症状は、私の長男だけでなく、多くの福島県に住むこどもたちや、東北・

関東に住むこどもたちにまで、広くでています。

例年とは違うこどもの体調の変化に、多くの母親は直感的に危機感を感じ、データ

をインターネットで調べて確信を深め、様々なものを失いながらも避難を決意して

いま

す。

もし今、母親の私が避難を決意しなかったことで、大切なこどもたちが3年後5年後1

0年後に命を失うような病気にかかったとしたら、命を失うとしたら、私は自分で自

分を

許せないだろうと思いました。枝野大臣が言い続けた「ただちに健康に影響はない

」と

は、「いずれは健康に影響がある」ということです。

テレビなどでは大々的に公表はされていませんが、すでにチェルノブイリ原発事故

の時のデータでは、事故から3年後から甲状腺ガンが増えはじめ、10年後にピークに

達し

ていることは分かっています。

ただちに、健康に影響はなくても、放射線を浴びつづけたら、近い将来、健康に被

害があらわれることは、すでに分かっているのです。

自分の命に代えても惜しくないこどもたちの命が脅かされているとしたら、何を失

っても避難しなくてはと思い、福島第一原発から600キロ離れた大阪まで避難してき

まし

た。

しかし、その安全だと信じた大阪が、今、放射性物質のついた震災瓦礫を受け入れ

ようとしています。

大阪で受け入れるのは、岩手の瓦礫ということですが、京都で燃やされようとした

岩手の松からセシウムが検出されたことがニュースになったように、岩手といえど

もす

でに放射性物質に汚染されているのです。

その瓦礫を大阪で焼却したら、今、奇跡的に汚染を免れて安全な大阪までも放射能

汚染されてしまいます。

私たちは、放射能からこどもたちを守るために、はるばる身寄りのない大阪まで避

難してきたのに、その大阪までもが汚染されてしまったら、私たちはどうすればい

いの

でしょうか?

震災瓦礫を大阪で受け入れることによって、私たちのように被曝したものは更なる

命の危険に脅かされるばかりか、今まで被曝していない大阪のこどもたちまで被曝

させ

る危険があるのです。

大阪の人たちにまで、私たちと同じ苦しみを味わってほしくありません。

福島でも、原発は安全かのように言われていましたが、今回の事故によりたくさん

の人が健康に被害を受け、将来に不安を抱え続けることになりました。

大阪でも、瓦礫の受け入れは安全かのように言われていますが、それを鵜呑みにし

て受け入れたら、福島の二の舞になってしまうと思います。

瓦礫の受け入れが、被災地の支援のように言われていますが、私はそうは思いませ

ん。

大阪で処理できるくらい安全な瓦礫なら、岩手で処理したいと陸前高田市長は言っ

ています。

その方が被災地の処理業者が潤いますし、雇用が生まれるからです。

被災地の支援をしたいという気持ちには、とても感謝していますが、瓦礫の受け入

れだけが、被災地の支援ではないと思います。

被曝しても死なない瓦礫を受け入れるより、いまだに被曝し続け命を脅かされてい

る福島のこどもたちの避難を受け入れること、その方がずっと命の方を向いた支援

だと

思います。

いまだに、福島に残るこどもたちはたくさんいます。

放射線管理区域以上の空間線量が存在する中を、放射能汚染された食品を食べさせ

られて暮らしています。

私たちが住んでいた郡山の学校では、避難したのはクラスで3人しかいません。

割合で言うと避難したのは一割で残り九割のこどもたちは残っています。

そして、郡山の学校給食では、去年高い放射能の降った土に育った米を使用したご

飯や、セシウムが18ベクレル検出された牛乳を使用しています。

保護者が、そうした給食を改善するように教育委員会や学校に働きかけても、今ま

での業者との繋がりがあるからと改善に至っていません。

また、郡山のこどもたちが集団疎開できるように避難の権利を求める裁判をおこし

ましたが、棄

却され、控訴しているところです。

郡山の友人には、せめてこどもに給食の牛乳を飲ませないように、ご飯は安全な産

地のものを自宅で炊いたものを持っていくように頼みましたが、ムラ意識のせいか

「み

んなと違うことは、できない」と、そういった防護すらできない状態です。

チェルノブイリ原発事故のデータから、被曝してしまったこどもたちでも、安全な

場所に短期間でも避難して安全な空気を吸い安全な食べ物を食べれば、深刻な病気

から

免れていることが分かっています。

どうか、被災地に遠慮なく、震災瓦礫の受け入れ反対の声を上げてください。

そして、瓦礫の受け入れより、避難者の受け入れに目を向けてください。

いまだに、原発から20キロ圏内以外の放射能汚染から避難するための補償はされて

おらず、

それが経済的負担となり、命を救うための避難を妨げています。

瓦礫受け入れに反対して、避難できる安全な大阪を守っていただくことが、福島を

はじめとする被曝し続ける人たちの命を救う支援になります。

これ以上、福島の悲劇を繰り返さないためにも、大阪が汚染されないように瓦礫受

け入れを防ぐこと、

よろしくお願いします。