一読したいガンディー思想!

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

ガンディーは決して政治的身分などは求めはしませんでした。

人を動かす原動力はただひとがらそのもの!

 ガンディ-と言えば、裕福の家庭に育ち

非暴力思想に目覚めたのはいわれなき人種差別が

大衆行動を起こす引き金となったようだ。知的エリートとして育ち何の不自由のない環

境下において

 暴力ではなく精神の力でインドを独立に導いた指導者マハトマ・ガンディー(1869~1

948)「インド独立の父」とも呼ばれ、彼が身をもって実践した「非暴力不服従主義」の

思想は、今も多くの人に巨大な影響を与え続けています。とりわけヤラヴァーダー中央

刑務所に収監中に、弟子たちに宛てて一週間ごと書き送られた「獄中からの手紙」には

、ガンディーの思想の精髄が込められているといわれています。「100分de名著」では、

この「獄中からの手紙」に新たな視点から光を当て、現代に通じるメッセージを読み解

いていきます。

 ガンディーは、グジャラート地方で裕福な家庭に生まれ知的エリートとして育てられ

ました。イギリス留学後、商社の弁護士として南アフリカに赴任した際、いわれなき人

種差別にさらされ、社会活動の道を歩み始めます。約20年にわたって人種差別撤廃運

動を行ったガンディーは、1915年にインドに帰国。これまでに経験を糧にインド独立運

動を開始します。国産品を愛用する「スワデーシー」、塩税法への市民的不服従を示し

た「塩の行進」、「ハルタール」という名の仕事の一斉放棄など、イギリスへの非暴力

服従運動を次々に指導していきました。それらの運動によって全国民的なうねりが巻

き起こり、ついに1947年、インドは独立を勝ち取ったのです。

  彼の行動や思想がここまで多くの人々を突き動かしたのはなぜでしょうか? 政治

学者の中島岳志さんは、ガンディーが「思弁的で難解な宗教思想を、誰にでもわかる、

そして誰の心にも響くような行為によって実践したこと」にあるといいます。たとえば

、「塩の行進」にみられる「炎天下を歩き続ける」という行為は、ヒンドゥー、ムスリ

ム、仏教といった宗教の違いを超えて共有できる「宗教的行為」といえます。自分たち

と同じような粗末な格好で炎天下を歩き続けるガンディーの行為は、同じような日常を

すごす庶民たちの想像力を喚起し、文字すら読めないような人々の「内発的な力」を呼

び起こしました。その結果、わずか数人で始まった「塩の行進」は数千人という巨大な

うねりとなっていたのです。

  「歩く」「食べない」「糸紡ぎ車を回す」といった日常的行為を通して、政治の中

に宗教を取り戻そうとしたガンディー。彼の人生は「宗教的な対立や抑圧を起こすこと

なく、政治と宗教の有機的なつながりをつくるにはどうしたらよいか」「すべての生命

の意味を問い、近代社会の問題や人間の欲望と対峙しながら、具体的な政治課題を解決

していくことは果たして可能か」といった壮大な課題に取り組み続けた人生でした。そ

の精髄が込められた「獄中からの手紙」を読み解くことで、「宗教と政治の本来の関係

とは?」「自分の欲望とどう向き合うのか?」「非暴力は現実に立ち向かえるのか?」

といった現代にも通じるテーマを深く考えていきます。

1:アイルランド訛りの英語を話した

これはあまり語られていない事実ですが、ガンディーが話す英語にはアイルランドの訛

りがあったそうです。

2:ボーア戦争時陸軍に勤めていた経験から、戦争の恐ろしさを悟り、暴力に対する反対

運動を始めた

1899年南アフリカのトランスパトレ・オレンジ両国へのイギリスの侵攻で19世紀のベト

ナム戦争と呼ばれたこの戦争。この時彼はイギリス大帝国への幻滅を感じ、後の独立運

動へと踏み出したのでした。

3:ガンディーは4大陸12カ国の市民権運動に責任があった

彼の影響力はインドだけにとどまらず、世界的な支持をうけていたと言えます。あまり

の存在の大きさに改めて敬服です。

4:ガンディーは生涯を通して1日18キロ歩き、これは地球2周分に相当した

有名な「塩の行進」では1930年3月12日から4月6日までグラジャート州アフマダードから

ダーンディー海岸までの約380kmを歩いています。確固たる意志と、湧き上がる力が彼に

行動をおこさせたのでしょう。

5:ガンディーはノーベル平和賞に5回もノミネートされていた

ノミネートこそされたものの、受賞はしていません。その理由はわかりませんが、2007

年6月にガンディーの誕生日10月12日は「国際非暴力デー」と定められました。

6:アインシュタインヒトラーなど多くの著名人を応対していた

ヒトラーへは「親愛ある友よ」と語りかける手紙を送り、アインシュタインは彼の葬式

で「将来の人はとても信じられないだろう。このような人間が地球上に実在したことを

」と語りました。

7:ガンディーは最後の最後まで正式な政治的地位につかなかった

大衆のリーダーとして活動した彼でしたが、政治家をいう肩書きは最後まで持ちません

でした。そこにいるだけで大きな存在を示した彼には正式な役職など必要ではなかった

のでしょうか。

8:ガンディーの葬儀の列は8キロにも及んだ

遺体には赤と白の布が置かれ棺の上にインドの国旗がかけられました。棺を乗せた車は

長い麻綱で兵士たちが引いて火葬場へ向かったのです。空からはインド空軍がバラをま

き、道々は多くの民衆が引きつめた花々で埋め尽くされました。そして涙で彼の死を悼

んだのです。

9:ガンディーが独立のために戦ったイギリスで、死後21年後に彼を尊重した切手が発売

された

21年という長い歳月が経ってなお、彼の偉大さは、当時支配していた歴史のある国が尊

重するほどに大きいものだったということでしょう。 

ガンディーを知るはじめの一冊 

ガンディー自らの言葉で綴られた一冊。

気短ですが誠実で勇敢な父と、清らかな母との間に生まれたところから本書は始まりま

す。幼い結婚後、法廷弁護士を目指してイギリスへの渡航や、インドに帰国してからの

失敗。その後渡った南アフリカでの出来事など、彼の前半生に起こった出来事が淡々と

綴られています。 

ガンジー自伝 (中公文庫 M 204)

ガンジー自伝 (中公文庫 M 204) 

作者 ガンジー

出版社 中央公論新社

出版日  情報なし 

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キニナル本

人は彼をマハトマ(偉大なる魂:聖人)と呼ぶけれど、本人はとても嫌がっていた

のでした。というよりも、苦しみを覚えていたらしいことは、とても意外な事実ではな

いでしょうか。

所々に写真や地図があって当時のインドの様子を垣間見ることができ、ガンディーとい

う人物を知る上での基本の一冊です。ただひたすらに真実と非暴力を信奉しつづけた彼

の生の言葉がちりばめられています。

一読した後は皆がイメージする聖人君子とはまた違う、悩み苦しみながら葛藤した人間

、ガンディーを少し理解することができるかもしれません。一人静かに読みたい一冊で

す。 

ガンディーによる、目が覚める格言集 

非暴力・非服従を信念に生きたガンディーの講演や著述からの抜粋をまとめた1冊で

す。どこからでも読めるのがこの本のおすすめポイントでもあります。

ガンディーの人生哲学が彼自身の言葉で語られているこの本は、講演や著述の抜粋です

が「第一章」自伝からはじまり「第9章」の雑録まで、読み応えのある1冊です。 

今こそ読みたいガンディーの言葉 ALL MEN ARE BROTHERS

今こそ読みたいガンディーの言葉 ALL MEN ARE BROTHERS 

作者 マハートマー・ガンディー

出版社 朝日新聞出版

出版日  2011年09月20日 

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キニナル本

非暴力・不服従を掲げた彼は決して抵抗せず、しかし絶対に屈服することはなかっ

たのです。この情熱が数々の言葉に置き換えられ世界へのメッセージとして残されまし

た。

「私は悪事の多いことをもって人を裁かない。」「溺れているものに他人を救うことは

できない。他人を救助できるようになるには、自らを救わなければならない」(『今こそ

読みたいガンディーの言葉 ALL MEN ARE BROTHERS』本文より引用)

生涯をかけて人間の本質を問うた彼の数々言葉の価値は、一読に値します。