笹木陽平さんがインドにおいてガンジー平和賞受賞。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 笹川陽平サンガこの度日本人として初めて

インドにおけるガンジー平和賞を受賞されました。

なんとグローバルに福祉活動の継続を

なされてきたのであろうかと脱帽あるのみです。

幼少期からのお父様の教育に裏付けられる

今のご活躍が見て取れるようでもあります。

裕福な生活を戒め福祉活動資金に投じた生涯でもあったともいわれています。

 もしよろしければブログを参照くださいませ。

日本人にもこのようなお方もおられることに

心に灯を感じてしまいます。

     産経寄りの引用です。

ガンジー平和賞に日本財団笹川陽平会長、日本人初 (2019年01月23日)

 インド政府は、2018年の「ガンジー平和賞」受賞者に、公益財団法人「日本財団

」の笹川陽平会長(80)を選出した。日本人の受賞は初めて。世界的なハンセン病

圧活動などが評価されたという。

 笹川氏は世界保健機関(WHO)ハンセン病制圧大使を務めるなど、40年以上にわ

たって慈善活動を続けている。患者数が多いとされるインドにも度々足を運び、患者や

回復した人の自立支援のほか、差別撤廃なども訴えてきた。産経新聞の正論メンバーと

しても活躍している。

 同平和賞は、インド政府が1995年にインド独立の父、マハトマ・ガンジー生誕1

25年を記念し創設した。過去の受賞者には南アフリカネルソン・マンデラ元大統領

や同国のツツ元大主教など、ノーベル平和賞受賞者らが名を連ねており、国際的に権威

のある平和賞の一つとされる。

 インドのモディ首相はツイッターで「彼は多くの慈善事業の最前線にいる」とたたえ

た。受賞決定に笹川氏は、「取り組んできた成果が認められ、私が代表して受賞するも

のと考えております。共に活動してくださっているすべてのみなさまに御礼申し上げま

す」などとコメントしている。

笹川陽平ブログ(日本財団会長)

http://blog.canpan.info/sasakawa/

1945年当時6歳。母と二人浅草寿町に住んでいた。 

3月10日東京大空襲時には、隅田川に避難するべきところ泳ぎが苦手だったため二人は別

の方向へと進む。これが幸いして町内の人たちのほとんどは死亡したが二人だけは奇跡

的に助かったという戦争体験を持つ。 

父・良一のもとで高校、大学と多感な時期を過ごした。当時東京都文京区小石川にあっ

た良一の家は食客、来客が多く、「笹川旅館」とも呼ばれるほど、連日賑わっていた。

「学問などしなくていい。社会勉強は俺が教えてやる」が良一の教育方針であり、早朝

から掃除、洗濯、靴磨きを終え登校、午後4時には帰宅させられ買物、料理、風呂掃除な

ど、連日深夜までの手伝いをさせられていた。そんな厳しい父親のもとで様々な教育を

受けた笹川だが、父親に対しては今でも、「一切反発することはなく、父であると同時

に私の人生の師でした」と過去の取材に答えている。 

笹川の行動哲学は「情熱」、「継続」、「忍耐」だが、このような生活環境のなかで不

満も言わずに育った経験が現在の活動に生かされている[要出典]。笹川は、日本財団

の公益財団法人社会貢献支援財団の理事長に就くよう、安倍晋三夫人の安倍昭恵に要請

をした[2]。 

交友範囲は幅広く、笹川のブログ(日本財団会長笹川陽平ブログ)にはその日に面談し

た人の名前を書き連ねている。また保守派の新しい歴史教科書をつくる会副会長を務め

たこともあるノンフィクション作家の工藤美代子は「完璧な紳士」と『余韻のある生き

方』(PHP新書)で評価している。一方で2012年2月に刊行した笹川の著書『紳士の「品

格」』(PHP研究所)には、下ネタや昭和を感じさせるギャグなどが随所に見られる。 

ミャンマー[編集]

2012年6月11日、日本国・外務省は、かねてよりミャンマー国内で様々な活動をしてきた

笹川をミャンマー少数民族福祉向上大使に委嘱。軍政時代からミャンマーで、ハンセン

病対策、伝統医療品の普及、小学校建設などを支援してきた実績が評価された。特に辺

境地であるシャン州に小学校建設を計画した時は、少数民族が対立する同地域で学校建

設が成功するわけがないと、専門家は失笑したが、200校完成した。今後は、宗教対立が

激しいラカイン州に200校の建設も計画している。 

     本日のスタートメニュー

 ごはん、鮭のかす汁

厚焼き玉子 ほうれん草の胡麻和え  リンゴ ヨーグルト

 穏やかな日差しにありがとうと一言。