新見死刑執行者、妻の証言!

     ご機嫌いかがでしょうか。

       視界ゼロのみこばあちゃんです。

オーム死刑執行からはや、4か月。

オーム事件は許すことのできない犯罪であることだけは確かです。

 でもなぜ一時に13名がほとんど同時に死刑が執行されたかについては

疑念がクすぼり続けています。

 来年の国の行事の一連が考慮されたにしても

罪の重さ、それによる波及力を懸念したものであるにせよ

犯罪者の動機付けなどはっきりしない事柄を

信仰からの出発点に全部を理解しようとしていることだ。

死刑囚の中には、きっと葛藤の苦しみを経て、マインドこんとーロールにより

精神を保ってきた人も少なからずいたのではと思います。

罪を重ねるおーむ事件対策が遅れをとった反省もいるのではないのだろうか?

 坂本弁護士一家の殺害の時の対処が誤らなかったならば

このような多くの犯罪者を生まずに済んだのではと怒りさえ覚えます。

この感想は多くの国民も抱いていたのではないのだろうか

今もって、坂本弁護士のお母さんの息子のご無事をねがっって

街頭に立たれていたお姿が鮮明に思い出されます。

 確か、弁護士仲間においては坂本弁護士の生存はありえないと

直観されていた人もおられました。

坂本さん宅に、オームのブローチが残されていたにもかかわらず

なぜにきめ細かく踏み込まなかったのだろうかと

単純な疑問が沸き上がる!

 死刑の生々しいお話はあまりにもことばを失うものがありますが

やはり犯罪の罪深い事件が多いい中にあっては

死刑制度が少しでも犯罪者のブレーキになってほしいと願わないわけでもありません。

   新見死刑執行者の妻の手記です。これは引用です。

2018年7月にオウムの元教祖や幹部など13人に死刑執行がなされて4カ月が経つ。日本中

を覆った衝撃も既に過去の出来事として忘れられつつあるように見える。しかし、関係

者にとっては、まだ死刑執行の重たい現実は鮮明に記憶されているようだ。 

 11月7日発売の月刊『創』(つくる)12月号に、元オウム幹部・新實智光死刑囚の妻

が詳細な手記を発表した。13人の死刑執行については直後から大報道がなされたが、こ

んなふうに近親者が詳細な経緯を明らかにするのは、松本智津夫元死刑囚の家族が一部

、遺体の様子を公表した以外は初めてのことだ。いや、この元オウムの執行に限らず、

死刑執行をめぐって近親者によって生々しい経緯が明らかになること自体、極めてまれ

だと言えよう。 

 全文は『創』を読んでもらうことにして、ここでは生々しいその一部を紹介しよう。

 

 3月に夫の身柄が大阪拘置所に移送されて以降、間もなく執行かと言われる中、妻は

毎日、夫のもとへ接見に通った。そして7月6日、いつものように朝8時に夫への接見申

し入れを行ったにもかかわらず、その日に限って「きょうは会えません」と言われた。

 

 どうして会えないのかと拘置所側と応酬している、その時に、実は死刑執行がなされ

ていたのだった。 

 折しも土砂降りとなった悪天候の中、大阪拘置所を去れないでいる妻のもとへ、電話

があった。そこから手記を引用しよう。 

「16分も吊るされてたんだ、と思いました」

《10時過ぎに拘置所から電話があり、「本日執行を行いました」と言われた時、初めて

涙が流れました。 

「奥様への伝言があります。こんな時に申し訳ないですが、荷物と遺体引き取り人が奥

様に指定されていますが、来られますか?」と言われ、すぐに「行きます」と言いまし

た。 

 拘置所にはマスコミがいましたが、正門で担当の方の名前を言うと迎えに来られまし

た。 

 応接室に通され、3名の職員の方とお話しました。 

「夫の最期はどんな様子でしたか?」と聞くと、「立会人は別の人間だったが、非常に

落ち着かれていたと聞いています」と言われました。 

 渡された死亡診断書を見ると、死因の欄には「刑死」と書かれてありました。 

 執行時間は8時33分、死亡確認時間は8時49分でした。 

 16分も吊るされてたんだ、と思いました。 

 わたしが拘置所正門に着いたころに夫は独房にお迎えが来て、夫が教誨室にいるころ

、私は夫のためにトイレで髪をとかしていたようです。そして刑務官から夫に会えない

と言われ執行を悟ったのは執行される2~3分前でした。 

 職員によると、拘置所では夫の遺体と対面は出来ない、また葬儀会社は拘置所が紹介

してくれるとのことでした。そして、葬儀会社が遺体搬送をしにくる昼過ぎまで、応接

室で待ちました。 

 職員の方が「大雨だしマスコミもいるので、我々が葬儀会社まで車でお送りします」

と言ってくださり、昼12時過ぎに車に乗り込み送っていただきました。 

 マスコミの車が数台ついてきました。》 

 この後、葬儀会社で妻は夫の遺体に対面した。再び手記の一部を引用する。 

《棺の小窓から覗く夫を見た時、初めて夫が亡くなったことを実感しました。 

「蓋をのかしてもらえますか?」と聞くと、棺の蓋をずらして開けてくださいました。

顔に触れると温かく、「まだあったかい」と泣いているわたしに、スタッフの方は会釈

をし、部屋から出て行かれました。 

 服の下に手を入れ、心臓の上に手を置くと、熱いままでした。本当に穏やかな顔でし

たので、「やっと楽になれたんやね」と言いました。 

 しばらく2人でいた後、スタッフの方に「もう大丈夫です」と伝えると、「では今か

ドライアイスの処置をします」と言われ、私は葬儀プランの打ち合わせに入り、火葬

は月曜日の午後3時からに決めました。 

 スタッフの方は「マスコミが外にいるし、ご自宅にもついてくるだろうし、近所の方

のこともあるから、こちらの葬儀会場で安置されては?」と何度も言ってくれましたが

、わたしは「いいえ、どうしても連れて帰りたいんです」と言いました。 

 物理的に棺では自宅に入れないためストレッチャーに乗せていただき、私も搬送車に

乗り、自宅まで連れて帰ることになりました。 

 やはりマスコミ数台と警察車両がついてきましたが、そんなことはどうでもよかった

のです。》 

「首の包帯を捲ってみると、縄の跡がくっきり凹み紫色になっていた」

 妻は移送した夫の遺体を自宅に置き、4日間、一緒にいたという。 

《それから夫は我が家で3泊4日することになるのですが、夫の横に布団を敷き、ずっ

とそばにいました。枕に血が広範囲に滲んでいましたので、首の包帯を捲ってみると、

縄の跡がくっきり凹み紫色になり、首の右側から出血したようでした。 

 月曜日のお昼前に葬儀会社がみえました。自宅前にはやはり警察車両がおり、葬儀会

社までついてきました。葬儀会場にも警察車両がいました。 

 その後、火葬場に行き、夫は荼毘に臥されました。》 

 手記は、このほか、この妻がどういう経緯で夫と獄中結婚することになったのか、実

の両親は猛反対したが、今回夫が死刑執行された時、あれほど反対していた母親が涙を

流したことなどが綴られている。 

 もちろんオウム教団が行った地下鉄サリン事件などの凶行は許されることではない。

ただ元幹部らへの死刑執行についてはいろいろな意見もあるし、13人の死刑執行でオウ

ム事件は本当に決着がついたと言えるのだろうかという意見もある。何よりも13人の大

量執行というのは、極めて異例のことで、それをめぐっては今でも様々な議論がなされ

ている。 

 死刑制度の存廃論議は以前からなされてきたが、死刑執行をめぐる情報公開は極めて

制限されており、これまで刑の執行がどんなふうに行われているか具体的なことがわか

らないままの議論が続いていきた。欧米の先進国で死刑廃止が趨勢となるなかで日本で

は逆に死刑執行が増えている。そうした現状について議論を深めるためにも、死刑をめ

ぐって、もっと我々は実情を知る必要があると思う。 

 手記の最後を、新實元死刑囚の妻はこう結んでいる。 

《死刑制度自体にはわたしは反対の意見ですが、夫は日本では死刑に値する罪を犯しま

した。 

 それに対して夫は、命をもって罪を償ったんだ、とわたしは信じています。》 

 妻にとってもこの夫への死刑執行は衝撃的な出来事だったようで、今回、手記公表と

同時に、妻は本名は伏せながらも、誌上にて顔写真を公開している。 

※月刊『創』12月号の内容については下記を参照のこと。 

オウムの死刑執行については『創』9月号で大きな特集を組んだが、その中から松本智

津夫元死刑囚のかつての弁護人であった安田好弘弁護士の報告をヤフー雑誌に公開して

いるので、ぜひご覧いただきたい。 

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180822-00010000-tsukuru-soci

100年以上前に戻った13名のオウム大量死刑執行 安田好弘