正常心まで奪ってしまう介護の闇!

                ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

  先の見えないお年寄りの介護!

もうそれだけで鬱々思想でもあります。

一生懸命なればなるほど、深い孤独の闇の中にと

はまり込んでしまい、出口が見えないのも長期にわたる介護の落とし穴です。

 みこちゃんも12年にわたり介護の体験を体験しました。

 父とは幼いころから価値観の相違から

言葉を交わした過去がありません。

それほどに苦手意識がひどかったように思います。

 我が家の暮らしは母の馬力便りのために貧しさは当たり前のように生活してきました。

でもこの貧しさこそが今のみこちゃんの元素と感謝でもあります。

 母はみこちゃん「32歳」の時の惜しまれた旅立ちに

その立ち直りにもかなり、時間を要したようには思いますが

仕事の忙しさがそれを救ってくれたように思います。

 母は、農作業に加え、仕事、習い事と忙しさの中で

逃げ道を見つけてもいたように思います。

 母亡きあと5年ほどで、父が脳卒中経度を発症し

おばたちの援助にすがりながら、何とかやり過ごしていましたが

1年たつ頃にはおばたちも悲鳴を上げるようになり

みこちゃんが我が家からの通勤に切り替えはしたものの

父との会話などは成立しませんでした。

みこちゃんが長期の介護ができたことは

父目線で過ごすことができたことではないのかと思っています。

父の病気に向き合うことなく前面指定していたなら

きっとみこちゃんの精神も錯乱していたと思えています。

     お気楽介護川柳。

独身かい ほんなら来んかい 孫の嫁

何時きけど 母の面かげ ヨイトマケ

マヒせし手 勝負はグーで 決めている

なんてんの 葉ゆらす風の日 足痛む

物入れて 炬燵は母の 秘密基地

寝たままも 笑顔絶えない 母が好き

介護して 心の曇り 晴れて来る

母担ぎ 身をふき母の ホクロ知る

お花見に 皺いっぱいの 笑顔見せ

花ふぶき 鼻の頭に 春うらら

老いた厳父(ちち) 嬉しい酒で ウトウトと

手と手と手 無数の愛で 支えあい

雇ってよ 100歳なっても 就活中

スタッフの 笑顔で施設 決めました

ベッドから 「ちゃんと食べてる?」 母の声

介護され それでも威張る 父のヒゲ

今では父が守り続けてくれているようなあったかい気持ちで暮らせる

幸せなみこちゃんです。

     東洋経済よりの引用です。

介護に疲れ67歳の母を絞殺した41歳娘の告白 -       

少しぽっちゃりした体型に紺色のポロシャツ、天然パーマ気味で白髪混じりのボブヘア。近所のスーパーで買い物でもしていそうな、どこにでもいる風貌だ。被告である彼女は2015年10月、介護疲れの果てに自分の母親(67歳=当時)の首を絞めて殺害した。

こちら

「お母さんを、痛みのない世界へ連れて行きたかった。そして介護から解放されたいという気持ちがありました」

2016年9月のさいたま地裁301号法廷。法廷に佐々木由美被告(仮名、41歳=当時)のおえつ交じりの言葉が響く。公判で明かされたのは、その孤独な介護生活の末の決断だった。

「母がうつらうつらしているとき、ベッドの右側に立ち、首を両手で絞めました。……最初、向き合って絞めていたんですけど、疲れてしまって、ベッドにまたがって、同じように両手で首を絞めました。そのあと、お母さんの口から『くーっ』ていう声が、苦しいのか、空気が抜けるような感じで聞こえて、私の右手をつかむ感覚がありました。……それで、母が、抵抗してきたと思ったんですが、私はそのまま首を絞め続けました」

生きる気力を失った母親

被告の母親は「脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)」を患っていた。脊柱管には背骨、椎間板、関節、黄色靱帯などで囲まれた脊髄の神経が通る。これが背骨の変形や椎間板が膨らむことなどによって狭くなり、神経を圧迫する。下肢の痛みやしびれなどが主な症状だが、進行すると下肢の力が低下し、尿もれなどが起こる。

事件から2年前、母親はリハビリ中に腰を強く痛め要介護3となった。これを悲観し、母親は同年10月、手首を切り病院に搬送された。さらに事件前年の3月、自身で首も切ったという。

一方、佐々木被告のほうも長らくうつ病を患っていた。母親の2度目の自殺未遂は、佐々木被告に大きな衝撃を与えた。

「買い物から帰ってきてベッドのところに行ったら、首から血を流してました。ショックを受けて……自分が介護してるのに2回も自殺未遂……自分が介護してていいのかなと思いました」

加えて、佐々木被告はこれ以前から、母の介護をめぐり弟からたびたび意見も受けていた。

一家は二世帯住宅に住んでいた。1階には佐々木被告と母親、そして佐々木被告の弟。2階には佐々木被告の兄とその妻、彼らの子ども2人。母の介護は主に佐々木被告が担っていたが弟もかかわっていた。ただ、その弟が佐々木被告を追いつめていた面がある。

「母が息苦しいと言っていたので病院に行き薬を調整してもらいました。その後、(弟から)『お母さんを自分の安心する道具にするな、自分が安心したいがために病院を連れまわすな』と言われました」

不安の末、被告は自殺を試みる

介護について意見を交わすというより、弟の意見に従う生活を続けていたようだ。

「弟はショートステイに反対で『初めてのところに泊まりに行かせると、自宅でやっているように関節を動かしてあげたりマッサージなどができないから、余計に体が動かなくなる』と言っていました。私は月に1回でも利用させてみたいと思っていたけど、弟には言えませんでした。たとえば『向こうでケガしたらどうする、責任取れるのか』と……。そういうふうに言われたら、利用させたいけど、言えなくなってしまった」

事件直前、佐々木被告が作った食事の内容でもめて、弟が兄夫婦一家の住む2階へ“家出”する。数日間、母との2人暮らしとなった被告は不安が高まり、「入水自殺」を試みている。

「お母さんは寝たきりで要介護、重症なほうなので、何かあったときに1人で対処できるか、心配で心細かったです。3日目の夜、薬を持って、自転車に乗って、川に向かいました。死のうと思ってたからです。そこにいるのがいたたまれなくなって、1人で心細くて……。心が弱い、ってのはあったと思うんですけど、薬を飲んで川に入りました」

だが死ぬことはできず、ずぶ濡れで帰宅した。

実は事件直前、母親は要介護4の認定を受けた。そのため本来ならば翌月から訪問リハビリが可能になるはず。だが、これも被告にとっては肉体的負担や心理的負担を取り除くニュースではなかった。

「ケアマネさんが、こんなことができるようになると、いろいろな話をしてくださいましたが、ショートステイも弟が利用するのを嫌がっていたので……自宅で看たいと……。あと以前、福祉課で断られていたので期待してなかったです」

なぜ母親を手に掛けたのか

事件当日、母親と2人で夕食を食べた後のことを問われ、佐々木被告はやはり泣きながらこう語った。

「ご飯の後、自分のベッドに戻って『どっか痛い?』と聞くとやっぱり『足痛い』とか『腰痛い』とか言われる。だから私は一応さすってあげる……。20時くらいになり、急に母がいつも以上に足を痛がりはじめて、私はさすってあげてたんですが、今まで以上に『痛い、痛い』と……。一生懸命さすっていたら、一時は効いたみたいで和らいだのか静かになり、でもまたしばらくしてぶり返したのか、痛い痛いと……。私がさすろうとしたら『痛いから触らないで』と言われ、何もできなくなりました。こう言われたことは前にもあったんですけど、この日、いつも以上に顔が痛そうで……」

その結果「痛みのない世界へ連れて行きたい。介護から解放されたい」と母親に手を掛けた。ギリギリまで追いつめられた末の悲劇だった。

被告にはこの公判で懲役3年、執行猶予4年の判決が下された(求刑懲役5年)。執行猶予がついたのは、弁護側が「圧倒的なうつの影響で心神喪失にあった」と主張して、うつ病による心神耗弱が認められたことが大きい。

介護殺人については、事件が起きるたびに多くのメディアが高齢化社会の“負の側面”として報じてきたが、現在もその構図に変化はない。

厚生労働省平成28年度『高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律』に基づく対応状況等に関する調査結果」内にある『高齢者虐待の年度別虐待による死亡例の推移』は、毎年20数件と横ばい状態が続く。

対して同省が発表している「自殺の統計」によれば、介護や看病を理由にした自殺者数は毎年200を超える。事実、介護殺人の公判では被告のように殺害前後に自殺を試みている被告が多い。

家族同士の助け合いや苦労を美徳とする価値観がいまだ根強いなか、家族を殺す、もしくは自分で命を絶つことを考えるほど追いつめられた介護者に対する効果的な対策は講じられていないのが現状である。

介護に疲れ67歳の母を絞殺した41歳娘の告白 -

少しぽっちゃりした体型に紺色のポロシャツ、天然パーマ気味で白髪混じりのボブヘア。近所のスーパーで買い物でもしていそうな、どこにでもいる風貌だ。被告である彼女は2015年10月、介護疲れの果てに自分の母親(67歳=当時)の首を絞めて殺害した。

こちら

「お母さんを、痛みのない世界へ連れて行きたかった。そして介護から解放されたいという気持ちがありました」

2016年9月のさいたま地裁301号法廷。法廷に佐々木由美被告(仮名、41歳=当時)のおえつ交じりの言葉が響く。公判で明かされたのは、その孤独な介護生活の末の決断だった。

「母がうつらうつらしているとき、ベッドの右側に立ち、首を両手で絞めました。……最初、向き合って絞めていたんですけど、疲れてしまって、ベッドにまたがって、同じように両手で首を絞めました。そのあと、お母さんの口から『くーっ』ていう声が、苦しいのか、空気が抜けるような感じで聞こえて、私の右手をつかむ感覚がありました。……それで、母が、抵抗してきたと思ったんですが、私はそのまま首を絞め続けました」

生きる気力を失った母親

被告の母親は「脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)」を患っていた。脊柱管には背骨、椎間板、関節、黄色靱帯などで囲まれた脊髄の神経が通る。これが背骨の変形や椎間板が膨らむことなどによって狭くなり、神経を圧迫する。下肢の痛みやしびれなどが主な症状だが、進行すると下肢の力が低下し、尿もれなどが起こる。

事件から2年前、母親はリハビリ中に腰を強く痛め要介護3となった。これを悲観し、母親は同年10月、手首を切り病院に搬送された。さらに事件前年の3月、自身で首も切ったという。

一方、佐々木被告のほうも長らくうつ病を患っていた。母親の2度目の自殺未遂は、佐々木被告に大きな衝撃を与えた。

「買い物から帰ってきてベッドのところに行ったら、首から血を流してました。ショックを受けて……自分が介護してるのに2回も自殺未遂……自分が介護してていいのかなと思いました」

加えて、佐々木被告はこれ以前から、母の介護をめぐり弟からたびたび意見も受けていた。

一家は二世帯住宅に住んでいた。1階には佐々木被告と母親、そして佐々木被告の弟。2階には佐々木被告の兄とその妻、彼らの子ども2人。母の介護は主に佐々木被告が担っていたが弟もかかわっていた。ただ、その弟が佐々木被告を追いつめていた面がある。

「母が息苦しいと言っていたので病院に行き薬を調整してもらいました。その後、(弟から)『お母さんを自分の安心する道具にするな、自分が安心したいがために病院を連れまわすな』と言われました」

不安の末、被告は自殺を試みる

介護について意見を交わすというより、弟の意見に従う生活を続けていたようだ。

「弟はショートステイに反対で『初めてのところに泊まりに行かせると、自宅でやっているように関節を動かしてあげたりマッサージなどができないから、余計に体が動かなくなる』と言っていました。私は月に1回でも利用させてみたいと思っていたけど、弟には言えませんでした。たとえば『向こうでケガしたらどうする、責任取れるのか』と……。そういうふうに言われたら、利用させたいけど、言えなくなってしまった」

事件直前、佐々木被告が作った食事の内容でもめて、弟が兄夫婦一家の住む2階へ“家出”する。数日間、母との2人暮らしとなった被告は不安が高まり、「入水自殺」を試みている。

「お母さんは寝たきりで要介護、重症なほうなので、何かあったときに1人で対処できるか、心配で心細かったです。3日目の夜、薬を持って、自転車に乗って、川に向かいました。死のうと思ってたからです。そこにいるのがいたたまれなくなって、1人で心細くて……。心が弱い、ってのはあったと思うんですけど、薬を飲んで川に入りました」

だが死ぬことはできず、ずぶ濡れで帰宅した。

実は事件直前、母親は要介護4の認定を受けた。そのため本来ならば翌月から訪問リハビリが可能になるはず。だが、これも被告にとっては肉体的負担や心理的負担を取り除くニュースではなかった。

「ケアマネさんが、こんなことができるようになると、いろいろな話をしてくださいましたが、ショートステイも弟が利用するのを嫌がっていたので……自宅で看たいと……。あと以前、福祉課で断られていたので期待してなかったです」

なぜ母親を手に掛けたのか

事件当日、母親と2人で夕食を食べた後のことを問われ、佐々木被告はやはり泣きながらこう語った。

「ご飯の後、自分のベッドに戻って『どっか痛い?』と聞くとやっぱり『足痛い』とか『腰痛い』とか言われる。だから私は一応さすってあげる……。20時くらいになり、急に母がいつも以上に足を痛がりはじめて、私はさすってあげてたんですが、今まで以上に『痛い、痛い』と……。一生懸命さすっていたら、一時は効いたみたいで和らいだのか静かになり、でもまたしばらくしてぶり返したのか、痛い痛いと……。私がさすろうとしたら『痛いから触らないで』と言われ、何もできなくなりました。こう言われたことは前にもあったんですけど、この日、いつも以上に顔が痛そうで……」

その結果「痛みのない世界へ連れて行きたい。介護から解放されたい」と母親に手を掛けた。ギリギリまで追いつめられた末の悲劇だった。

被告にはこの公判で懲役3年、執行猶予4年の判決が下された(求刑懲役5年)。執行猶予がついたのは、弁護側が「圧倒的なうつの影響で心神喪失にあった」と主張して、うつ病による心神耗弱が認められたことが大きい。

介護殺人については、事件が起きるたびに多くのメディアが高齢化社会の“負の側面”として報じてきたが、現在もその構図に変化はない。

厚生労働省平成28年度『高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律』に基づく対応状況等に関する調査結果」内にある『高齢者虐待の年度別虐待による死亡例の推移』は、毎年20数件と横ばい状態が続く。

対して同省が発表している「自殺の統計」によれば、介護や看病を理由にした自殺者数は毎年200を超える。事実、介護殺人の公判では被告のように殺害前後に自殺を試みている被告が多い。

家族同士の助け合いや苦労を美徳とする価値観がいまだ根強いなか、家族を殺す、もしくは自分で命を絶つことを考えるほど追いつめられた介護者に対する効果的な対策は講じられていないのが現状である。