人間の教科書、「君たちはどういきるだろうか。」

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

「君たちはどう生きるだろうか」は、吉野源三郎の本に触れました。

 人間性の在り方は世代を超えて相通じる者があるので

子供向けに描かれていることもあって

納得しながらの読書でした。

幅広い人間性の出会いは心の起爆剤でもあります。

身近に叔父さんのように熱く語れる人の出会いは

あまりにも少ないと思います。

 これはだれがいつ読んでも幅広く傍らに置いておきたい本だと思っています。

本書の主人公は、コペル君というあだ名の15歳の少年である。成績優秀だが、いたずら

好きで憎めないところのあるコペル君は、自分の見た情景や、学校の友人たちの行動を

きっかけに、哲学的な考えを深めていく。本書は、そんなコペル君の日常の物語と、彼

に向けて叔父さんが書いた「ノート」のパートで構成されている。 

コペル君は、自分とは異なるタイプの様々な友人に出会って視野を広げるが、その中で

、自分の弱さに打ちのめされる経験もする。多感な時期の少年が、友人や叔父との交流

を通して精神的に成熟していくさまは少しほろ苦く、その何倍も頼もしい。読者は、コ

ペル君の心の動きに、いつか感じたことのある感情を重ねて、引き込まれてしまうだろ

う。そして、叔父さんの包容力と知性によって、心の学びを新たにすることになるだろ

う。叔父さんは、コペルくんが落ち込んだときには、力強く、温かい言葉で激励する。

そして、ときに生産関係の仕組みや万有引力の法則も織り交ぜながら、人間のあるべき

姿を説く。そこには、人格者で知られる著者の人柄が存分にうかがえる。 

1930年代に、若い読者へ向けて書かれた本書は、幅広い年代の読者を獲得しつづけなが

ら今日まで読み継がれている。「君たちはどう生きるか」という問いに、あなたならど

う答えるだろうか。そして下の世代に、どう答えてほしいだろうか。ぜひあなたなりの

答えを見つけてほしい。

80年前の児童書が今もなお支持される理由

親たちは口癖のように言っていた。

それは彼らの目標であり自戒でもあったか、若い世代

への叱咤激励であったか不明ながら ”立派な人” に込め

られた意味は、成功して金持ちになる以上の「社会に

役に立つ人」を示していると何となく理解した。

時代や社会が変わろうとも「尊い人間性」に変わりは

ない。今も昔も “人のこころ” の成長の目標として輝き

を失わないもの、そのことを改めて意識させられた。

失敗に「意味」を見出し、損得を越えた新たな価値を

見出す著者の姿勢こそ、フランクルの「ロゴセラピー」

の核心である。

古き良き時代の懐かしさに、読後はしばし思考停止

池上彰が解く「君たちはどう生きるか」の真髄

『教えてもらう前と後 池上彰と日本が動いた日「君たちはどう生きるか」SP』(制作:

毎日放送MBS)「この本は生きるために本当に大切なことはなんなのかを考えさせてく

れる名著です」

池上氏はそう語る。原作は第2次世界大戦の始まる2年前に出版され、著者である吉野源

三郎は雑誌『世界』初代編集長としても知られる人物だ。

「ざっくり言うと子どもに向けた哲学書です。今は現代版の道徳の書として読まれてい

るのではないでしょうか」(池上氏)

主人公は加藤清史郎さん演じる旧制中学2年生のコペル君こと本田潤一、15歳。銀行員だ

った父親を早くに亡くし、父親に代わって相談役を買ってでたのが母親の弟で"無職でイ

ンテリ"の叔父だった。インテリで無職であるのには理由がある。『大学は出たけれど』

という映画があるように、原作が出版された第2次世界大戦直前の日本は不景気だった。

東京帝国大学を出ても就職先がないという人が当時はたくさんいたのだ。

「おじさん」は、潤一の鋭い視点に感心し、「コペル君」というあだ名をつけた。天文

学者のコペルニクスからとった名前だ。

「こんな立派な人と同じ名前だなんてなんだか恥ずかしいよ。でも心のどこかで願って

るんだ。周りの人にどんなに間違っていると言われても自分の考えを信じ抜く立派な人

間に僕もなってみたい」(コペル君)

     物語の中心は「いじめについて」。主な登場人物は物静かな水谷君、男らし

くガッチンと呼ばれる北見君、豆腐屋の長男で家業を手伝いながら幼い弟や妹の面倒を

見ている浦川君、そしていじめっ子の山口君だ。同番組では、物語を要約した形でドラ

マ化しお届けする。

浦川君は、山口君からいじめの標的にされていた。豆腐屋のせがれであったことからお

弁当のおかずがいつも油揚げだったからだ。山口君は浦川君の貧しい境遇をさげすむよ

うに「アブラアゲ」と呼んでからかった。

クラスメートは山口君の愚行をどう見ていたのか。実は「いじめられている浦川君を助

けたい」というのが本音だった。しかし山口君には乱暴な男兄弟がいた。「文句のある

奴は兄貴に言いつけてやる!」そう豪語する山口君にクラスメートはおびえ、抗うこと

ができなかった。

『教えてもらう前と後 池上彰と日本が動いた日「君たちはどう生きるか」SP』

いじめの背景にあったのは貧困や格差だ。現在、中学校は義務教育だがコペル君が通う

旧制中学とは現在の高校にあたり、受験という難関を突破したエリートが通う狭き門だ

った。同級生の多くは有名な実業家や役人などの子どもばかり。そんな中、浦川君の存

在は異色だった。家庭が貧しかったのだ。時代は変われど、いじめの根っこの部分は変

わらない。

「今でいう『空気を読む』という同調圧力の概念は80年前にも存在した。読者は作中に

描かれる『いじめっ子』『いじめられっ子』、当事者になろうとせずはたから黙って眺

めているだけの『傍観者』のいずれかに自分を投影し、物語を自分ごと化するのではな

かろうかだからこそ世代を問わず、多くの人が共感するのではないでしょうか」(池上

氏)

弱者と強者は一瞬にして入れ替わる

ある日、山口君のいじめを見るに見かねたガッチンが、いじめっ子に食ってかかる。

「誰が何と言ったって、もう許さん!」

それを見たクラスメートらはどう出たのか。ガッチンに賛同し次々と援護にまわったの

だ。山口君とガッチンの力関係は一瞬にして逆転した。

ところが、「ガッチンに同調する流れ」にただ一人抗う者がいた。殴り合いのケンカを

必死になって止めたのは、被害者であるはずの浦川君本人だった。

「よくわからないけど、痛いって感じがしたんだ」

そうつぶやく浦川君は、なぜ自分を苦しめ続ける相手をわざわざ助けたのだろうか。

「一方的にやられるのがどれだけ寂しいか。周りの流れに勇気を出して逆らった浦川

は本当に立派だと思う」

これはコペル君の言葉だ。つまり浦川君は自分自身が悲しい体験をしたからこそ、いじ

められる痛みを理解することができた。山口君にも同じ思いをしてほしくないと願って

の行動だった。

ガッチンと浦川君の勇気ある行動に感化されたコペル君は、ガッチン、浦川君、水谷君

の3人にこんな誓いを立てる。

「僕、ガッチンが(山口君の兄貴に)呼び出されたら一緒に行くよ。止められるかどう

かはわからないけど、ガッチンの前で壁になる。絶対に逃げずにみんなでガッチンを守

って戦おう」

正しい方向に向かうため人は悩む

それから2週間後、山口君の兄貴たちが仕返しにやってきた。約束どおり、浦川君と水谷

君はガッチンの壁になる。3人は上級生の暴力に屈さず、友情を守りきった。

一方、コペル君は――。

偶然、その場を離れていたコペル君は、事態を把握しながらも隠れたまま出てこられな

かった。上級生のゲンコツが怖くて足がすくんでしまったのだ。

傷を負った3人は手を取り合って立ち上がり、「悔しい」と泣いた。そして裏切り者のコ

ペル君を無視してその場を立ち去ってしまうのだった。

「自分がこんなに卑怯な人間だったとは。死にたい――」

仲間を裏切ってしまった自責の念にさいなまれ、不登校を繰り返してしまうコペル君。

追い込まれたコペル君はあることを思いつく。

「そうだ、おじさんに仲裁役を頼めないだろうか。僕を許すよう説得してもらおう」

しかし、「おじさん」から返ってきたのは意外な答えだった。

「コペル君、君の考えは間違っているぞ!?君は勇気を出せずに大事な約束を破ってしま

った。苦しい思いをしたから許してもらおうなんてそんなことを言える資格はないはず

だ」

さらに「おじさん」はコペル君にこんな言葉を送る。

「コペル君、今君は、大きな苦しみを感じている。なぜそれほど苦しまなければならな

いのか。それは君が正しい道に向かおうとしているからなんだ」

コペル君は自分の過ちを受け入れ手紙を書いて謝罪することにした。

本がメンター役を担ってくれる

「おじさん」はコペル君に多くのヒントを与え、コペル君もまたそれらを素直に受け取

る。「それは、『おじさん』とコペル君が「斜めの関係だからにほかなりません。『お

じさん』の言葉はどれも『まっとう』ですが、親子という近い関係で、親から『まっと

う』なことを言われたところで、子は聞く耳を持つでしょうか」(池上氏)

池上氏は、同作は「親から子へのプレゼントとしても売れている」と分析する。まずは

大人が読んでみて大きな気づきを得る。そしてわが子にこそ読んでほしいと願う。しか

しメッセージがあまりに「まっとう」であるために、面と向かって伝えるのは難しいと

考える。だからこそ本をプレゼントして、「読んでほしい」とだけ伝える。

『教えてもらう前と後 池上彰と日本が動いた日「君たちはどう生きるか」SP』

実は、池上氏が原作と出会うきっかけをつくってくれたのも父親だったという。

「ある日、父親が『読め』と言って買ってきてくれたんです。親が薦める本など……と

最初は反発しました。しかし当時はテレビゲームなどない暇な時代です。なんとなく読

み始めるとこれがすごく面白くて、すぐに夢中になりました。父も私に伝えたいことが

あったからこそ、本を託してくれたのではないでしょうか」

社会でも同じことが言える。たとえば上司と部下の関係だと本音で話せないことも、利

害関係のない隣の部署の先輩になら腹を割って語り合えることがある。「斜めの関係」

は精神的な指導者、つまりメンターの役割を担ってくれるのだ。

作中に、池上氏が印象に残っている一節があるという。

“僕たち人間は、自分で自分を決定する力を持っている。だから誤りを犯すこともある

。しかし、僕たち人間は、自分で自分を決定する力を持っている。だから、誤りから立

ち直ることもできるのだ”

私たちは不透明な時代を生き抜かなければならない。世界中のあちらこちらで戦争や紛

争が起きており、そしてシリア内戦は今なお解決の糸口が見えていない。

しかし争いを決めたのも始めたのも人間であり、また人間だからこそ誤りから立ち直る

こともできる。では、世の中のために今私たちにできることとは何だろうか。

君たちはどう生きるか

その答えは、個人の内側にある。

(構成:両角 晴香/ライター)