樹木希林三流人生の極意。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 75年の人生を納得しながら努力されたのが樹木希林さんであったような気がする。

女優としての条件は決して恵まれていたとは言えない。

そのような中で女優としての生涯を送るのであれば

その演技力は他者以上に求められたに違いない!

 私生活も満足とはいえる内容ではなかったろうが

 破天荒に生きた夫「内田勇也」の人生を引き受け続けたキリンさんの人生おもしろが

っていきるわけにもいくまいが・・・!

これも人としてのすけーるを感じないわけにはいかない!

彼女なりのライフスタンスでやり過ごしたとはいえ

その努力のほどまでうかがわれるような気がしております。

家庭の掃除と整理は欠かすことがなかったといわれていた。

ひょうひょうと語る先のお人柄は本気で向き合える

気配りのできた人ではなかったろうかと妄想もできます。

 マイナスをプラスにとの思考回路は

誰にでも想像は膨徴することはあっても

その実効の継続はやはり努力しかない。

その実効性といえばそれぞれの戸惑いと格闘はつきもの!仕事がきちんと出来る人はこ

の整理がうまい!

苦難坂を極めた人ゆえのお人柄がうかがえてもいます。

みこちゃんも人生の節目は何度となく経験したことで

その極意といえば考えるより行動あるのみと悔やむに足りぬ人生は

おくらないようにだけはつとめたようにおもう!

現実逃避だけはしたくない!

 これってなにからきているのかしら?

樹木希林さん「難の多い人生は、ありがたい」 -

石井志昂(以下・石井) 今日はありがとうございます。まずは一番気になっていること

からお聞きします。なぜ『不登校新聞』に出ていただけるんですか?

樹木希林(以下・樹木) いやあ~、こんな新聞があるんだな、と。私も年を取りました

けど、まったく知りませんでしたから。最近はほとんど取材を受けてないんですが、ぜ

ひ新聞をつくっている人に会えたらと思ったんです。ただ、読んでみたらなんてことは

ない、私もその傾向があったなと思います。小さいころからほとんどしゃべらず、じー

っと人影から他人を見ている、自閉傾向の強い子でした。当時は発達障害なんて言葉は

なかったけど、近かったと思います。

夫・内田裕也はありがたい存在

石井?私が取材したいと思ったのは、映画『神宮希林』のなかで、夫・内田裕也さんにつ

いて「ああいう御しがたい存在は自分を映す鏡になる」と話していたからなんです。こ

れは不登校にも通じる話だな、と。

樹木?あの話はお釈迦さんがそう言ってたんです。お釈迦さんの弟子でダイバダッタとい

う人がいます。でも、この人がお釈迦さんの邪魔ばっかりする、というか、お釈迦さん

の命さえ狙ったりする。お釈迦さんもこれにはそうとう悩んだらしいですが、ある日、

「ダイバダッタは自分が悟りを得るために難を与えてくれる存在なんだ」と悟るんです

私は「なんで夫と別れないの」とよく聞かれますが、私にとってはありがたい存在です

。ありがたいというのは漢字で書くと「有難い」、難が有る、と書きます。人がなぜ生

まれたかと言えば、いろんな難を受けながら成熟していくためなんじゃないでしょうか

今日、みなさんから話を聞きたいと思っていただけたのは、私がたくさんのダイバダッ

タに出会ってきたからだと思います。もちろん私自身がダイバダッタだったときもあり

ます。ダイバダッタに出会う、あるいは自分がそうなってしまう、そういう難の多い人

生を卑屈になるのではなく受けとめ方を変える。自分にとって具体的に不本意なことを

してくる存在を師として先生として受けとめる。受けとめ方を変えることで、すばらし

いものに見えてくるんじゃないでしょうか。

病気になって年を取って

石井?そう思うきっかけはなにかあったのでしょうか?

樹木?やっぱりがんになったのは大きかった気がします。ただ、この年になると、がんだ

けじゃなくていろんな病気にかかりますし、不自由になります。腰が重くなって、目が

かすんで針に糸も通らなくなっていく。でもね、それでいいの。こうやって人間は自分

の不自由さに仕えて成熟していくんです。若くても不自由なことはたくさんあると思い

ます。それは自分のことだけではなく、他人だったり、ときにはわが子だったりもしま

す。でも、その不自由さを何とかしようとするんじゃなくて、不自由なまま、おもしろ

がっていく。それが大事なんじゃないかと思うんです。

石井?なるほど、それでは樹木さんがどんな子ども時代を送ったのかを、お聞きしてもい

いでしょうか?

樹木?私が生まれたのは昭和18年1月15日、戦争の真っ最中でした。生まれたのは神田の

神保町。母親はカフェをやっていて、父親は兵隊にとられていました。何度も住む場所

を変えながら暮らしたそうです。記憶に残っているのは、青梅街道のバラック街。見渡

すかぎりのバラックのなかで、幼少期をすごしました。私が4歳ごろのある日、中2階の

布団置き場で遊んでいたんです。そしたら、そこから落っこちてしまったんです。打ち

所が悪かったんでしょうね、それからというもの毎晩おねしょをするようになりました

。たしか10歳ごろぐらいまでは続きました。だから、私の家では毎朝、布団を干してい

たし、友だちの家に泊まりに行くときはビニール持参(笑)。

それ以外で記憶にあるのは、いつも友だちがいなかったこと、一人で遊んでいたこと、

幼稚園に通うのがイヤだったこと、スポーツが苦手だったこと、人とはほとんどしゃべ

らなかったこと。しゃべらないのは近所でも評判でね。私がテレビに出始めたとき、ま

わりはだいぶ騒いだそうです。ほとんど声を聴いたことがないのにって(笑)。

今ふり返ってみるとポイントだったと思うのが、小学6年生の水泳大会のとき。小学校6

年生となれば、背泳ぎだ、クロールだ、とみんなすごいでしょ。私はからっきしダメ。

なので水泳大会の「歩き競争」に出されたんです。プールのなかを歩いて向こう岸まで

競争するレース。つまり、泳げない子たちの特別な競走で、私以外は小学校1年生~2年

生ぐらいのレースでした。

歩き競争が「よーい、ドン」で始まると、小っちゃい子たちがワチャワチャやってるな

か、私だけすぐゴール。断トツの一等賞よ、なんせ身体が天と地ほどもちがうんだから

(笑)。でもね、表彰式で私ニンマリ笑ったらしいの。私も誇らしかったのを覚えてい

ます。これが私の財産なんです。まわりと自分を比べて恥ずかしいだなんて思わない。

おねしょだって恥ずかしいとは思ってなかった。こういう価値観を持てたのはありがた

かった。勝因とさえ言ってもいい。これはもう親の教育に尽きますね。親がえらかった

思い返せば、うちの両親はとにかく叱らない親でした。「それはちがうでしょ」と言わ

れた記憶がない。記憶にあるのは「あんたはたいしたもんだよ」と言われたこと。子ど

もってヘンなことを言うでしょ、ヘンなこともやるでしょ、それをいつも「たいしたも

んだよ」と両親は笑ってる(笑)。子どもを見ているヒマのない時代でしたが、ふり返

ってみれば、それでもえらかったなと思うんです。

石井?私の祖母も「誰かと自分を比べるような、はしたないことはダメ」と言ってました

が、その一言は、不登校だった私を支えてくれました。

樹木?そう、そういうことを昔の女性は言えたの、ホントに立派だわ。こう言っては悪い

けど、そこらへんのおばあさんでしょ。お坊さんでもなんでもない、ただのおばあさん

が「比べるなんてはしたない」と言えるんだもの。

子どもはちゃんと自分で挫折する

石井?樹木さんが親になられてからも「叱らない」というのは気をつけていましたか?

樹木?干渉はしなかったです。気にしていたのは食べることだけ。どんなにまずくても、

そこらへんのものでは間に合わせず、自分たちでご飯を出していました。でも、それだ

けですね。

石井?お孫さんがいらっしゃるんですよね?

樹木?しょっちゅう迷惑をかける孫がいるんですよ。よく親のほうが鍛えられてます(笑

)。

まあ娘にも言ってるのが、「そのうち、ちゃんと自分で挫折するよ」って。まわりはや

きもきするけど、あれもこれも親が手を出してあとから「たいへんだったんだから」と

言うよりは、本人に任せていくほうがいい、と。

子ども若者編集部メンバー?話は変わりますが、私は人間関係で難しいな、と思うことが

よくあります。どうすればいいのでしょう?

樹木?それはへんなかたちで自分を大切にしているからでしょうね。これも親の教育の賜

物で、私は自分の評価にこだわらなかったから、本当に自分をぞんざいに扱ってきまし

た。というか、人と揉めるのがへっちゃらなの。たとえば人から贈り物をいただく。で

も、だいたいの贈り物って始末に困っちゃう。だから、贈り物に「いりません」って書

いて送り返したりしているんだから(笑)。

子ども若者編集部メンバー?すごい(笑)

樹木?どうぞご放念くださいってやつよ。まあ、そのせいでだいぶ苦労してきましたけど

ね。一度、女優・杉村春子さんに収録現場で「へったなの」って言ったこともあったか

ら。

一同?ええっ!!

樹木?映画監督・小津安二郎さんの映画だったんだけど、何度もNGが出るから、「なんだ

よ」って思っちゃたのよ。まあ、そういうように人とぶつかるのが苦じゃなかったの。

さいころから変わっていて、若いころもそんなんだから「なんだか生きづらいな」と

思っていましたが、楽は楽よ。ガマンとか辛抱とか、そういう記憶がないんだもの。

あなたも、自分をよく見せようとか、世間様におもねらなければ楽になるんじゃないで

しょうか。だいたい他人様からよく思われても、他人様はなんにもしてくれないし(笑

)。

子ども若者編集部メンバー?僕は小学校6年生で不登校をして5年間、ひきこもっていまし

た。自分が不登校だったことを、なにか活かせないかと考えているんですが、どれもこ

れもうまくいかないんですね。

人間として幸せなのは適職に出会うこと

樹木?計画性があるから挫折するんでしょうね。夢を持つのは大事なことなんだけど、そ

こに到達できなかったからって挫折するのはバカバカしいことじゃない。方向を変えれ

ばいいの。もし、どうしようかと迷ったら、自分にとって楽なほうに道を変えればいい

んじゃないかしら。

子ども若者編集部メンバー?ただ、この前も成人式に行ったら、友人は大学に行ったり、

働いていたり。どうしても自分とまわりを比べてしまうというか……。

樹木?わかる。私もデパートガールを始めた同級生がものすごく輝かしく見えていたから

(笑)。私が18歳のとき、行くところがなくて劇団「文学座」に入ったんです。今もそ

うだけど劇団員なんて先が見えない仕事でしょ。まわりが銀行員になったり、大学に行

ったりする。花が開くと思われた4月に自分はなにもない。おまけにまわりの劇団員はみ

んなキレイ。「取り残された」っていう実感はそりゃあもうリアルでしたよ。

でも、いま考えればバッカみたいだけど(笑)。

この地球上にはおびただしい数の人間がいます。人間として幸せなのは適職に出会うこ

とです。自分がこれだと思うことに仕えられるほど幸せなことはありません。もちろん

、たくさんのお金を儲けたから適職ってことじゃないし、仕えるのは会社ともかぎりま

せん。そういう、「これだ」と思える適職に出会えた人は一握りしかいないんです。つ

くづく私も「芸能界には向いてないな」って思うんです。まあ、もうこの年になったら

向くも向かないもないんだけどね(笑)。

だから、あきらめるしかないんだけど……って、あなたの質問にちゃんと答えているか

しら?

子ども若者編集部メンバー?たしかに大学に行った友だちが「あんまり楽しくないぞ」と

言ってました。

樹木?そういうもんなの。あなた、このなかで一番ハンサムだから。別に好きでその顔に

生まれたわけじゃないと思うけど、その顔で生まれなかった人からすればうらやましい

はずよ。その顔を活かすのに命を懸けたっていいじゃない。

私は、よく思うんだけど、誰だってチャーミングなところがあるのに、ほとんどの人が

それにふたをしちゃってるんです。たとえば、俳優の小林亜星さんっているでしょ。ド

ラマ『寺内貫太郎一家』(74年放送)を始めたとき、私たちが主役は小林亜星さんがい

いって言ったのよ。亜星さんなんて太ってるぐらいしか取り柄のない人でしょ。

一同?いやいやいや(苦笑)

樹木?あの人はホントに太っている人のよさをすごくわかっている。所作がちがう。ああ

いうのが大事なの。今や、女優もアナウンサーも、最近じゃスポーツ選手もみんな同じ

顔だからね。同じような顔に同じような服を来て、それで若い女優さんは「役が来ない

」ってこぼすんだから、もうこっちはケンカ腰よ(笑)。

親もいっしょに降りて寄り添うしかない

石井?最後に自分の子どもが不登校やひきこもりだったら、つまり、御しがたいダイバダ

ッタのように見えたら、親としてどう向き合えがいいのかについて教えてください。

樹木?うん……、きっと自分だけが助かる位置にいちゃダメなんだろうと思います。自分

も降りていかないと。夫は「不良になるのも勇気がいる」と言ってましたが、道を外す

のも覚悟がいることです。親も子も今の環境や状況を選んだわけじゃないだろうし、そ

うならざるを得なかったのかもしれません。でも、それはそれで親子ともどもいっしょ

にやっていこう、と。路上でもいっしょに生活しようという覚悟を私ならすると思うん

です。いっしょに住んでいる人はホントにたいへんだと思いますが、結局、親はその子

の苦しみに寄り添うしかないです。言って治るようならとっくに治っています。最初の

話に戻りますが、自分が成熟するための存在なんだと受け取り方を変えるのがいいので

はないでしょうか。

石井?なるほど

樹木?最後になっちゃったけど、この新聞はたいへんなお仕事だと思いますが、かならず

救われる人がいると思いますし、ぜひがんばってください。もちろん自分にとってもい

い出会いができると思います。今日はどうもありがとうございました。?

一同?こちらこそ、本当にありがとうございました。

(2014年12月15日『不登校新聞』掲載)