自立心は家庭から!

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 昔ではスーパー息子はほとんどともいえます。

 遊びをやっと覚えたころからもう、子守は当たり前。

小学生になると風呂焚き、外回りの掃除

家族の布団じまい、鶏のエサ槍など

その時々の役割を担ってきていました。

むしろ暮らしのための人材として家族の役割が

当然化のようにあり、それをすることは当たり前でした。

今は情報量も沢山在り、プログラミング教育まで

組み込まれる時代となりました。

 自活を養うよりも教育学習が優先される時代となってきています。

 これが良いやら悪いやらは・・・?

 世界規模にあっては今の学習結果の水準は

かなり下のランキングで昔より低迷していることだけは確かです。

社会の構成は子供の在り方でその内容まで

大きく変わらざるを得ません。

 核家族の中で高収益は勉学が優先され親もそれを求めてきました。

 中央官庁などはその最たるものです。

公務員の上から目線の押し付けもずいぶん感じます。

感情むき出しの人も中にはおられとても残念に思うことはしばしばです。

 東洋新聞記事は昔そのままの姿であったような気がしますが

家族会議で医師表現能力とその実効性のプロセスが

大切にしてこられたことはとてもすてきだと思います。

 社会に出たとき自分のあるべき方向性と

その対処策もきっと、フットワーク良い頼もしい社会人が誕生するのだろうとの

感想を持ったものです。

田舎暮らしを奥様も賛成の元ふるさとの田舎暮らしができた家庭にもエールです。

体験は肉体精神力まで強くするものだと信じています。

「スーパー男子」2人を育てた家族会議の凄み -

https://toyokeizai.net/articles/-/238755

  被災地のボランティアの役割を

少しづつ縮小していっています。

これからが被災者に問われる時期となり

自活への果てしない戦いのスタートとなることでしょう。

 避難所であれば文句を言わなければ食事にもありつけましたが

個別生活になると経済負担も加わり

途方に暮れることも数々あるはずです。

ご高齢者の被災には、どこでもそうでしょうが

年金暮らしでどうにか生活を切り開かれた中での被災は

「どうなさるのだろう?」と案じるばかりです。

このような苦難坂、どうきりぬければよいのやら・・・?