「老い老い、達者かい」、元気は出すもの!

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 人生百年時代がマスメディアを駆け巡っています

これは国家が抱える国難でしょうか

 老人から高齢者にと呼び方は変わってもその中身は

何ら変わるものではありません。

働き盛りであってもいずれは非生産人口となり

後期高齢者となりやがて死は間違いなくやってきます。

 人の関係も希薄となり、人助けは当たり前といった

観念差へ薄れた実態は今の若者が年を取って

人手が欲しくなった時初めてまなぶことになるのでしょう・・・?

 みこちゃんはもう20年以上にわたりごみステーションの後片付けを

自ら申し出てやっていますが

正直暴風雨の時はツライものがあります。

でも感謝の言葉をいただくことは少ないです。

これも今の人の在り方なのでしょうね。

みこちゃんはお人には常にこうべをたれて過ごしたく思っている。

65歳以上の高齢者は5人に一人と言われています。

みこちゃんもこの年代に差し掛かり思うことは

経済的にはかなり緊縮生活さえ受け入れることで

わが百歳の設計図は40歳より実行してきたことでこれのクリヤーはできてもいます。

 お仏壇も甥が気持ちよく引き受けてくれたので引き継ぐことができました。

甥は5歳のころから電車の中でも大声で「般若心経を」となへ

とても恥ずかしい思いをしましたがこれも懐かしい

思い出の一つとなっています。

社会人になってからもお墓参りは親に言われなくても

なぜかやってくれていたので頼もしく思えている35歳です。

その子も結婚と同時に小学一年生と小学5年生の親となっています。

この子は少年時代は暴走族として親を 随分悩ませた子でもありました。

 姉は言います。

姉は警察に努めていて、警察沙汰になったときはずいぶん悩みも舌が職場に支えられ

退職せずに済んだと感謝しています。

息子が帰るまで冷たい冬も家の外で夜明け近くまで待ったことはどれほどあったろうと

涙が足りの話として聞くこともあった。

 そんな息子18歳が無事に帰った時には

息子を思いきり抱き締めて二晩共に寝たと言う。

 こんなきっかけが

甥を真っ当にさせたのだろうと姉にもこうべを垂れたい思いでもあります。

 老いたる今、この時この瞬間、駆け巡るような日々に

今のこの時を気持ちだけでもみずみずしくありたいものとため息一つ♪

     中日からの引用です。

高齢者」という言葉が使われ始めたのは1980年前後から… (9月22日)

 「老人」に代わって「高齢者」という言葉が使われ始めたのは1980年前後から。

お年寄りを蔑視しないという意味合いで広く受容されてきた。それが今ではどうか

認知症、介護、孤立死…。高齢者というと負のイメージが先行する。 75歳を境に前

期と後期に選別する行政の線引きも不自然。近年は「多死社会」という新語も登場し、

為政者が「国難」と叫ぶ。その声に寂しさや疎外感を覚える人もいよう

人口動態でみると、昨年の死亡数は134万人、出生数は94万6千人。両者の差は約

40万人に膨らんだ。しかし、戦後長らく人口増と長寿を両立させてきた日本で死亡数

増が続くのは当然。問題の根源は少子化にある

100歳以上の長寿者は今月15日現在で6万9785人と過去最多を更新。今も元気

で農業などに従事する人は多い。65歳以上の就業者は807万人に達し、社会のさま

ざまな分野で「老人」が活躍している

「老」は元来奥深い言葉だ。物事をよく知る人、熟練者らも指す。中国語では「年季が

入って価値が増す」という意味があり、先生は「老師」、ベテランは「老手」などと表

現される

超高齢社会が抱える問題は多い。けれども長寿は喜ぶべきこと。この国が発展、成熟し

た証しでもある。その価値を前向きに捉えることも大事だろう。あすは秋分。日増しに

穀物が実り、山々が鮮やかに色づいていく姿は人の年輪とも重なる。

=2018/09/22付 西日本新聞朝刊=