衣笠さん、鉄人のまま天国に旅立つ。!!
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
ここにきて星野さん、それに加え衣笠さんまで
行き急がれた旅立ちに驚きました。
死にゆくまじかの野球解説のお声には驚かされもしましたが
人生のendingまで鉄人的な幕引きに、何とも言葉を失ってしまいました。
野球道を、体で多くの人に導き教えたのも衣笠さんでした。
お人柄に触れた人が異口同音に「気配りのできる人でした」と
生前のご様子も語られていました。
選手として、またプロフェッショナルとして
痛みまでも超え、出場し続けた継続の記録は
並々ならぬ努力なくしては打ち立てる記録ではありません。
人生の歩みは、自分に厳しく、闘魂、不屈の精神を
どこまでも貫かれた姿勢間を、いつまでも記憶に留め置きたく思います。
「継続は力なり」を実証された努力の人でもありました。
だからこそ国民栄誉賞も受けられたのだと思います。
本当に偉大な人でした。
またあの世でも野球チームを作り、存分にお楽しみいただきたいと思います。
みこばあちゃんときたらラジオ体操までも3日坊主です。
お金は身につきませんが、脂肪はどんどん増えるばかりで介護暮らしなど
とてもお願いできる状態ではありませんン。
中国新聞より。
衣笠祥雄さん死去 「鉄人」の歩み、忘れない
2018/4/25 「私に野球を与えてくださいました神様に感謝します」
短くても心に残るあいさつが、きのうのように思い出される。当時の世界記録を更新する2131試合連続出場を果たした栄光の1987年6月13日。プロ野球広島東洋カープの中軸打者だった衣笠祥雄さんは、球場でそう切り出した。
あれから31年の歳月が流れたとはいえ、召されるにはあまりに早過ぎる。野球の面白さと楽しさだけでなく、一つのことを成し遂げる大切さを教えてくれた正真正銘のヒーローである。老いても「鉄人」として熱く語り続けてほしかった。
世界新記録を達成した時、巨人監督だった王貞治さんは「夢みたいな記録だね。一つ途切れたらおしまい。その点、ホームランだと今日ダメでも明日があるからね」と祝福している。衣笠さんは野球人としての限界に挑んだというより、人間としての限界に挑んだのだ。
あるいは、かつてチームメートだった江夏豊さんのコメントを借りるなら「人間衣笠祥雄の記録」ともいえよう。
試合中に死球で骨折しようと、痛みを押して出場した。普通なら休養する、治療に専念するという選択肢があるのだろうが、「ケガをした時には、どうしたら野球がやれるか真っ先に考えるね」と語っていた。「休まぬ男」「休めぬ男」だった。それが衣笠さんの生きざまであり、いつまでも野球は「オレの青春」だったのだろう。
「好きな野球をやってメシが食えるんだから、オレは幸せだよ」
「オレ節制なんかしていないし、深くも考えていない。ただ野球が好きなんだ。ほんとにこれだけなんだ」
1247試合連続出場の日本新記録を達成した頃からの、衣笠さんの語録である。既に「赤ヘル軍団」の主砲にもかかわらず、その言葉は少年のように真っすぐである。説教めいたところがみじんもない。
今なら多くのアスリートが「楽しんでプレーしたい」という言い回しをよく使う。勝利のために我慢し忍耐するだけが全てではないのだろう。
衣笠さんが達成した記録はたゆまぬ努力のたまものではあるものの、好きなことに打ち込んだ爽やかさは今なお共感をもって受け止められよう。
カープは長く優勝から遠ざかっていたが、2016年に25年ぶりのリーグ優勝、17年に連覇を果たす。衣笠さんがそれを見届けてくれたのは何よりだ。
「小中学生が10年、15年たって、あの時優勝したんだよな、といい思い出にしてくれたらうれしい」とテレビの取材に答えていた。広島という街の記憶はそうして世代を超えて語り継がれていくに違いない。
衣笠さんの数々の記録と勇姿をいま一度思い起こす。その死は悲しいが、それもまた記憶の継承のよすがとしたい。
カープの本拠地、マツダスタジアムは10年目を迎え、入場者数はここ数年伸び続けている。ファンがスタンドを真っ赤に染め、応援歌の大合唱で選手を鼓舞する。チームは球団史上初の3連覇を目指し、さらに34年ぶりの日本一をうかがう。
ではごきげんよろしゅうに・・・。
今はどこかで見守る鉄人に、いずれは吉報を届けたい。そう願うばかりである。