かぞくあればこそ・・・。

 

   ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 家族って、百家百様といえるのでしょうか?

  家族に求めるものも家族形態に至るまでその価値観は様々です。

 どのような時でも羽を静かにいつでも休める場所であってほしいもの。

 リラックスできて、心のもつれまでいやせる場所であってほしい

 三世代同居が当たり前に受け入れられる家族であってほしい。

コミュニケーションと、賑やかな食卓が身近な場所であってほしいと

願うみこばあちゃんです。

貧しさも味方に楽々ライフ 泣いて笑ってお元気でありたいものです。。

 福島で、家族が身近にある場所で過ごせることを

願って家族仲良く、暮らされているご様子は

なんだか心がほっこりさせられます。

 人を、思いやる気持ちも家族からの出発であると思いもしています。

 社会はとっても豊かに感じますが、貧しくなったのは

ひとのおもいやりでしょうか?

 現在症候群ともいえるほど、事故の思いが一番優先。

他人の空腹にどれだけ寄り添える人がおられるでしょう

 現代病ともなっている「うつ病」も対人関係の貧しさが原因かも?

 人の思いやりなど欲することも少なくなったことも寂しく感じる昭和の

おばあちゃんのつぶやきです。

自分が生まれ育った家族

ほとんどの人にとって、自分の家庭を持つまでは「家族」という言葉は、生まれ育った

家庭のことを指すと思います。生まれた時から決まっていて自分で選ぶことはできませ

ん。

血がつながっているから一緒にいて当たり前という感覚からなのでしょうか。どんなに

ひどいことを言ってもやっても関係は崩れないという甘えでしょうか。

コミュニケーションがないがしろになってしまうことがあります。家族であっても考え

方や志向が違うことがあるということが見えなくなりがちです。

子供の頃は知っている世界が自分の家族だけなので、何も疑問に思わないのかもしれま

せん。

でもある程度大きくなると外の世界も見えるようになり、自分なりの考え方を持つよう

になります。それが家族の形と必ずしも同じではないんですよね。

それを理解してもらえないことが私のつらいことの一つでした。私の家族は父のトップ

ダウンスタイルだったので、違いを尊重し協調して家族生活を送るのではなく、異なる

考えは抑圧される感じでした。

自分で作る家族

しかし結婚して子供もできた今、自分で結婚相手も選び、この先どういう家族でありた

いか自分たちで選べる自由ができました。

自分で好きなように家族を形作れるというのは魅力的ですが、他人同士が集まって家族

として一からスタートしていくので、「大丈夫だろう」という甘えは通用しません。家

族としてうまくやっていけるように努力し続けなければいけません。

家族のあり方を話し合うことの難しさ

とはいえ、なかなかそういうことをを一から話し合うのって難しいです。理由は二つ思

い浮かびます。

1.「家族」という言葉が意味するものが誰にとっても大体同じだろうと感じているため

、わざわざ話し合わなければいけないものだと思わない。「家族」にいろんな形がある

ということ自体をあまり想定していない。

2.「家族の在り方」は形に見えないものだから、すり合わせが必要であるということ自

体に気づきにくい。

その点は私たちはラッキーなのかもしれません。

夫と私は国も文化も言葉も違う中で今まで生きてきたので、ひとりにとっての当たり前

が相手にとってはそうではないことがあります。

言葉が指すものや前提となるものが違う場合があるので面倒なくらいいちいち話し合い

ます。

家族の在り方についても同じです。

本当は国・文化・言葉が同じであっても人それぞれ、言葉の意味するものが違うことも

あると思うのですが、背景が同じであるためにその違いが見えずらくなってしまいます

よね。

形の見えないものについて話し合うのはとても難しいことです。

私たちの考える家族のあり方

家族もコミュニティ

夫はよく「家族は最小のコミュニティ」と言います。

これは私の中にはない考え方でした。きっと私の生まれ育った家族が私のイメージする

「コミュニティ」とはかけ離れたものだったからなんじゃないかと思います。

一方で夫の家族は、まさに「コミュニティ」という言葉がぴったりの家族です。近所の

人や親せきがふらっと立ち寄ってご飯を食べながらおしゃべりして帰って行ったり、パ

ーティをするのにテーブルが足りないからと、お隣さんからちょっと借りてきたり。

同じ「家族」でも、ここまで違うものに囲まれて生きてきたんですね。

私も「家族=コミュニティ」という考え方はいいなと思いました。自分が作る家族は、

「ノージャッジメント」で何でも話し合ったり協力したりできる場所にしたいと考えて

います。

家族の目指すところ

私たちは運よく、自分が何を求めているか、どうなっていたいのか、お互い話し合える

家族になりつつあります。

と言っても今は夫婦2人とまだ意見を何も言えない赤ちゃんの3人です。娘が自分の意志

や気持ちを言えるようになってからも、家族=コミュニティでいられるように、私たち

が努力しなければいけません。

子供が生まれると多くの人が安定を求めた生活スタイルにシフトしていくと思いますが

、私たちはというと、全くその段階にたどり着けていません。

現在はどうすれば家族みんなが一番幸せになれるのかという観点で模索中です。娘が物

心つく年齢になるころまでには、安定した段階に入っていたいと考えています。

となるとこの先数年が勝負なのです。

そのため今の我が家は、落ち着いているとは言いがたい、育児と夫婦それぞれの勉強や

調べものが中心の毎日。ちょっと不思議です。赤ちゃんいる家庭は子育てはバタバタし

ているけれど、その周囲は安定しているというのが私の出産前のイメージだったので。

方向性は見えてきているのですが、まだ具体的なことは全く決まっていません。一つ、

英語圏移住という選択肢があがってきています。これからもたくさんたくさん話し合っ

てケンカもして、私たちの考える幸せな家族を作っていくんだと思います。

あなたは家族のあり方について、話し合えていますか?

【関連記事】

     アサヒコムより。

「1分1秒でも一緒に…」 福島で生きる道選んだ家族 (3/20)

 親が子を抱きしめる姿を愛知県の画家が描き続けている作品群「ダキシメルオモイ」

の中で、原発事故後も福島に住む家族をモデルにした絵がある。一時は避難も考えたが

、3世代の家族が共に暮らし続ける選択をした一家。いま、どんな思いを抱いているの

か。

原発事故で避難、抱擁する親子の絵 モデルが歩んだ道は

 2014年秋、福島県二本松市に住む渡辺久美子さん(43)の実父が74歳で息を

引き取った。

 福島市に住んでいた実父。当時小学2年だった長男の煌騎(こうき)君(11)は葬

儀でお別れの言葉を読み上げた。煌騎君は久美子さんが書いた文を一部しか読まず、自

らの言葉でこう語った。「短い間だったけれど、遊んでくれてありがとう」

 涙が久美子さんのほおを伝った。「福島に残ってよかった……」との思いがこみ上げ

た。

 東京電力福島第一原発1号機が水素爆発を起こした11年3月12日から約1週間後

、久美子さんと夫(45)は息子2人を連れ、夫の姉が住む高知市に車で向かった。看

護師の久美子さんは勤務先の病院を欠勤。放射線量が高い地域からできるだけ遠く離れ

たかった。

 高知は別世界だった。洗濯物を外に干せる幸せを感じた。移り住もうかとさえ思った

。でも2週間後には煌騎君の幼稚園の入園式が迫っていた。悩んだ末に、二本松に戻っ

た。

 戻った後も夫妻の心はゆれた。

 夫は引っ越しに前向きだった。各県の県民性を紹介する日本地図を買って、毎晩のよ

うに眺めていた。それでも久美子さんは、同居する夫の両親を置いていくことは考えら

れなかった。

 ある日、福島から避難した妻子の元へ向かう途中で男性が事故死したとのニュースを

目にした。避難先の不慮の事故で子どもを亡くした人もいた。

 「避難先に必ずしも幸せがあるわけではない。離れて寂しい思いを我慢するくらいな

ら、1分1秒でも家族で過ごしたい」

 原発事故から1年がたったころ。夫妻は二本松に残ることにした。

 放射能への不安は消えず、息子たちを外で思う存分遊ばせることはできない。だから

、家族旅行は新潟県へ。次男の晴大(はるひろ)君(9)が通っていた幼稚園が催す保

養に毎年参加するのは、外でのびのびと遊ぶ体験をしてほしいからだ。

 家族の約束で地元の野菜や米はできるだけ買わないことにした。内部被曝(ひばく)

を防ぐため、国より厳しい放射線量の基準で食材を選別する業者を使っている。

 「ダキシメルオモイ」のモデルになったのは13年12月、子どもたちの保養先だっ

名古屋市中区の真宗大谷派名古屋別院(東別院)で。原発事故後の暮らしも地に足が

ついてきたころだった。

 気苦労を重ねてはいるが、ふるさとにいればこそと感じることもある。

 久美子さんは福島市の実家に月1、2回帰り、実父に息子たちを会わせることができ

た。父は孫がのどが渇いたと言えばジュースを買い、ノートがなくなったと言えばコン

ビニに走った。孫に耳をつねられても笑っていた。

 震災前と変わらぬ家族の日常もあった。息子たちの学校のテストの点数で笑ったり、

クリスマスなどのイベントのときは家族みんなで食卓を囲んだり。義理の両親と遊ぶ息

子たちが見せる、ふとした笑顔に久美子さんは思う。

 「家族みんなでいられて幸せだなあ……」(保坂知晃)