軍艦島は語る。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 戦争は、いろんな国々にいろんなそれぞれの爪痕を

いろいろな形で伝え続けている。

 恥ずかしながら韓国のことをどれだけ理解できているだろうか。

本当に差別行動は何もなかったのだろうか。

植民地としての思いにどれほど心を手向けてきたのだろうか。

やんふは韓国人の象徴なのではあるまいか。

日本人としての郷土愛もあるだろう。

でもそれを言うならばもっと勧告を知るべきではないのか。

記憶が薄れるほど前に軍艦島には触れている。

炭鉱労働者の実態は厳しい環境は日本人にあってもあったはず。

軍艦島はさらに残酷で地獄の世界そのもので何度この本を閉じたいと思ったことか。

でもそんな中唯一救われたのが仲間同士の人情愛であった。

 韓国の中学生が(軍艦島)に感想文を寄せている。

私自身歴史は無学そのもの。

今一度相手の立場に立ち、相手側の思いに触れてみたいと思う。

日本の植民地を体験した側にとっての

広島、長崎の原爆投下は、はたしてどう移ったのだろうか。

引用文です。

韓水山 作家の5冊になった小説‘カラス’を読んで私は‘強制徴用’が何であるかについて考

えてみた。 '強制徴用'が何かと今の大多数青少年に尋ねるなら、この歴史を知っている人がど

れ程になるのか? いや、その‘強制徴用’という話にどれくらい辛い僕たちの民族の歴史が隠

されているのか、その仕事のためにどれくらい多くの人が犠牲になったのか知っている人はあま

りないだろう。 我が国の辛い歴史に対して知らないのはおそらく私の同じ年頃の青少年が学校

近現代史を習わなかったためであろう。歴史を知ることは現在の自分がいるに至る過程を知る

ために大変重要なことであるが、この国は正しい歴史を教えなかったし、習うことができなか

ったのが今の僕たちの青少年の現実だ。

歴史小説‘カラス’. この本は本読みが好きな僕にも5冊という本の重さが大きい負担になった

のだが、実際に読んで見たら数日目で読み通すことができた。

この本の主な背景は‘地獄島’端島だ。そこでとても苦しい仕事をした私たちの民族を見れば心

が辛かったり日本に対する憎悪心まで生まれる。

カラスを読んでみると‘ユン・チサン’という人が出てくる。チサンは兄ハサンに代わって強制

的に徴用に引っぱられて端島に行くことになった。そこには数千いや数万人の朝鮮人徴用工が

居たが彼らを見て心が非常に辛かった。彼らもすべて人なのに、日本人朝鮮人関係なくすべて

人であり、全く同じ権利を受けなければならないのが当然だが、彼らが人としての扱いも受け

られず無理やり働かなければならないというのを見てまだ私たちの民族に正式に謝罪をしない

日本がとてもくやしかった。

私はカラスを見てソヒョンとチサンの離別の場面を見てとても切なかった。

そのように愛する仲なのに、このように急ぎ別れなければならないという辛さが私にとても切な

く迫った。残念だけれど日帝がいくら朝鮮を抑圧しても朝鮮人の血筋は切ることができないと

いうことを感じた。

チサンが端島に行く前、元からそこに居たミョングクと彼の友達らがいたが、その友達らが脱出

をして行き、何名かが冷たい死体になってもどって来た事件があった。

日本の労務係らはそれを見て彼の友達を呼び調査をするが、ある朝鮮人がいた。チャン・テボク

という炭鉱で働く男だ。串で首を刺してケガさせる事件が発生する。私はこの事件を見て‘日

本人たちがどれくらい朝鮮人をタクタラ?で苦しめればこんな事件が起きるのか? 朝鮮人は普

通、他の人々に被害を与えないようにするのではないか?’と考えた。誤った考えではあるが、

‘日本人たちは本当に悪い。’という認識を持つようになった。

チサンが端島に行ってミョングクとウソクと同じ同僚達に会う。その同僚らは異郷で会ったお互

いを信じて頼れるとても大切な同僚である。炭鉱に入って一緒に炭を掘って毎日毎日繰り返さ

れる日常ではあるがその中で彼らがお互いを慰める姿を見ながら私は果たしてあんな友達がい

るだろうか? という疑問を越えて私たちの民族は本当にすごいと感じた。

そのような中でウソクとクムハは禁じられた恋をする。ウソクは徴用工でクムハは遊郭で仕事を

した人すなわち満州や東南アジアにいた慰安婦と似たようなものだ。たとえ禁じられた愛では

あるが私はその愛が、間違ったことだと思うこともなかったし、どんな愛より純粋で美しいと

思った。その理由はその愛が真実な愛であるためだ。私はこの部分を見てこんなことを思い出

した。‘日本のいかなる力でも朝鮮を完全に征服できない、いやその小さい端島一つの朝鮮人

たちも完全に支配することはできない。そのために禁じられた恋をし、そのために私たちは解

放されたのだ。’と考えた。

そうして端島での一日はとても速く過ぎ去っていった。働きながら死ぬ事故も頻繁に起き、脱出

して溺死する事故が発生しても日本人監督官らはハナから補償してやろうとはせずに、してや

らなかったのを見て、日本人たちが私たちを犬さえもできない働く機械として考えたり、私た

ちを何と考えていたのかについて疑問を抱いた。

ある日韓国にいたチサンの妻ソヒョンがミョンチョを産む。その便りを労務系に伝え聞いたチサ

ンはとても喜ぶ。そしてチサンだけでなく彼の同僚たちみんなが与えることさえ出来ない自分

の賃金を集めてスルメを買ってみんなで祝ってくれる。多少言葉は荒いがまったく頼るものの

ない状況で事が起きれば、当然にそのようなささいなこともとてもうれしく受け入れられるも

のだ。私はこれを見て互いに考える心とそのような友達がいるということがとても感銘深かっ

た。

そんなある日チサンとその一行は脱出をする。泳いで端島から長崎まで・・・・・. 死ぬかも

知れない葛藤の状況でここで死ぬのか、あそこで死ぬのかという気持ちで脱出を敢行する。も

し私ならばそのようにすることができたのだろうか? 私ならばどのようにしたのだろうか? 考

えてみると正解が出てきた。もし私ならば脱出することができなかったろう! という正解が出

てきた。これが正解かどうか分からなくて私がおくびょう者かも知れない。だが、今私はそのこ

とを体験してみることができなかったために仕方ないことなのかも分からない。

だが、チサンと一緒に脱出をしたウソクは惜しくも岩に当たり足を使えなくなって一緒に脱出で

きなくなる。私は脱出をできないウソクが痛ましくて哀れだけれども一方ではかえってうまく

いったという思いもした。なぜならその島には彼が愛するクムハが居たし、ウソクが離れれば

クムハがどうなるかは推察が可能だったからだ。

ウソクが脱出に失敗して、私の考えどおりウソクが脱出に失敗したことを知らないクムハは同僚

のミョングクに遺書を残して自殺する場面を見てから‘いっそ最初から脱出をせずに、クムハ

もウソクも互いに愛する仲なのだから、いや、愛する者同士なのでウソクをこの地獄のような

島にまた来ないように自殺したのだろうか?’という二つの観点で分けてずっと考えるようにな

った。私はずっと考えて見たら‘ウソクを愛するクムハの心が自殺をしたのだ’という二番目考

えが合うようだという気がしたし、クムハは誰より志があり、たとえ遊郭にあっても、‘もし

朝鮮の良い家で生まれたとすれば、とてもすごい人であったろう’という気がした。

軍艦島端島. 高層建物が並んでいて朝鮮人が強制徴用にきて働くようになった炭鉱だ。この

建物の高層には日本人たちが、日光が入らない低いところには朝鮮人が生きるそのような差別

が激しいところであった。私がもしその島にいたならばどのようにしただろうか? 反抗をした

のだろうか? でなければストライキを起こしたのだろうか? 私は二つともできなかったようだ

。そのために彼らがすごく見えたのだ。

軍艦島端島からチサンが脱出した後に朝鮮人徴用工達が団体でストライキを行った。私はこの

ストライキを単純なストライキと見ない。このストライキ朝鮮人が日本に繰り広げる独立の

闘争と同じだ。そのような意味で僕は朝鮮人徴用工はすでに命を差し出したも同然と考える。

僕は彼らが非常に勇敢に思えて僕ならそのようにできそうにないと考えた。

チサンは泳いで気を失って海辺に倒れていた。その時ある一つの日本人夫婦が彼を助けたし働き

口まで知らせてくれた。僕はこの部分がカラスで最も感銘深く読んだ部分であった。この話は

僕に‘日本人たちは無条件に悪い。’という偏見を捨てるようにしてくれた特別な部分だ。常

に歴史の本や本を見れば日本人たち全部私たちを抑圧して働かせる、そんな悪い存在しか出て

こなかった。だが、私はこのような親切な日本人たちもいたんだね! という気がした。

その時端島ではウソクとその一行が再び脱出を敢行する。私はそれを見て‘死ぬ場合も多いがい

っそ解放される時まで待つのがより良いのではないだろうか?’という考えになったが彼らは日

本と朝鮮の内部事情を分からない彼等を見ればこの脱出を理解できるだろう。この部分を読めば

誰でも緊張するはずだ。‘果たして脱出に成功するか? 今回は何の問題ないだろう?’という

考えた。そのような私の心配が顔負けにウソク一行は無事に脱出するのを見て‘アー 良かった

’という気がした。僕は‘日本はどこまでも日本だ。’という考えになるようにした主な原因

はやはり日本どこにもある‘炭鉱’と‘工業所’だ。

三菱工業所. 日本の戦争に使われる武器と戦争用品をつくる所. ここから炭鉱でない工業所で

の物語が始まる。炭鉱と工業所は違おうか? いや、私は違わないと見る。そこでも朝鮮人は差

別されて無視されるはずだ。ひょっとして‘端島の日本人と労務系だけそうするのではないか?

’という考えは外れたなと思った。

一日一日が過ぎ去って毎日空襲警報が鳴る長崎の空. そこで数百,いや数千人の朝鮮人が働いて

いた。朝鮮人は人ともしなかった時代というものを見せるのはやはり‘差別’だ。ある日チサン

が出て行ってきた中に空襲警報が鳴って日本人防空壕に避けることになるのにそこで単に朝鮮

人という理由で叱られた物語だった。

いったい日本人と朝鮮人の差異は何か? 国であろうか? でなければ人種であろうか? 違う。単

に植民地民という(のは)その理由一つのためにこのように蔑視されて差別を受ける社会にな

ったとのことを私は容認できない。

何年か前に日本、九州地域にある墓地に行ったことがある。そこはある日本人の家族の墓紙なの

に墓地に入る入口に小さい石ころまたは、碑に名前が彫られている墓があった。その碑石の主

人はすぐに日本人の愛玩犬. そのすぐそばには墓の形もなくて、碑もなくただ小さい石ころが

いくつか置かれている地域があったがそこに朝鮮人が埋まっているといった。死んだ朝鮮人を埋

める所がなかった朝鮮人が夜中にこっそりと尋ねて行ったので死んだ後に名前さえも刻むこと

ができず、それでそこに誰が埋められているのかも分からないと伝えられている墓だ。それな

朝鮮人は愛玩犬よりも劣るものであるということではないか! 僕は考えれば考えるほど気持

ちがあまりにも良くなかった。

1945年8月長崎に核爆弾が投下される。この爆弾一発で日本は崩壊することになる。僕は日本が

犯した誤りに比較すればこれは何でもないと考えたが、そこにあった朝鮮人と捕えられていた

中国人捕虜を考えると胸が少し痛かった。

日本は崩壊して朝鮮は解放される。しかし僕は終わらなかったと見る。朝鮮にいらっしゃった慰

安婦おばあさん達、そして日帝時代に強制徴用になって引きずられて行って帰ってこられない

朝鮮人の方々、関東大地震の時、虐殺された6,661人の朝鮮人に日本が正式に謝って補償をして

上げてこそ、この問題が終わるのだと見る。

AD