応援したい復興企業。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 いまだ東北大震災の爪痕は無常なときの流れと

多くの真心がいまだ届けられていることも知るところです。

 そんな中岩手の一関市出身の若者が

大手銀行仙台支店に勤務されているとき

直面されたのが東北大震災で、急ぎ故郷にたち帰ると呆然と失望の波に

押しつぶされそうになったといわれる。

休みの旅に一関に帰り、ボランティアとして活動に励む日が続いた。

やがて一関の観光と食を取り戻したいと銀行を退職し

企業を故郷にたちあげた。

もうここでは暮らせないと故郷を捨て

新たな生活を求めて

故郷を後にされるお方も少なくはあるまい。

日本たましいを見せていただいたようで感動しています。

社会にあっては、ユーザー無視の改竄があったり自己保身のための企業があったり

自己中心的な人がなんとあまりにも多い田舎での一握りのこのようなお人のご活躍は

日本の宝として大切に見守らせていただきたく思います。

 ミコばあちゃんもわずかにゴミステーションの管理を申し出て21年になります。

この作業が終わるたびに、おほめのスイーツに,ふとるはふとる

おかげで脂肪ゴミに埋もれそうなんでございます。

     産経より。

【地方で生きる】被災地で起業するII(1)「旅」「食」で東北の魅力創造

東日本大震災で甚大な被害を受けた東北地方。今も復興へ向けて、多くの人々の努力が重ねられ

ています。そのような中、私は「旅」と「食」で東北の魅力を創造する株式会社「イーハトー

ブ東北」を今年2月、故郷の岩手県一関市に立ち上げました。

大学入学を機に上京し、卒業後はクレジット会社を経て大手銀行に就職。仙台支店に赴任した直

後に、震災が発生し、すさまじい被害を目のあたりにしました。一関市を含め同県内の死者・

行方不明者は約5800人にも及びました。「とにかく何かをしなければ」との思いで、仕事

で被災企業を支援する傍ら、休日には避難所に出向き、ボランティアを続けました。

そして5年余りが過ぎた頃、「もっと東北復興を続けたい」という思いが強まり、銀行を退職。

パソナグループの支援を受け、一関市にUターンし、起業したのです。

一関市は、盛岡や仙台などの商業地までは東北新幹線で約30〜40分の距離にある人口約12

万人の都市です。世界遺産中尊寺がある平泉町には車で20分ほど、ダイナミックな景観が

魅力の滝「厳美渓(げんびけい)」などもある豊かな観光地です。しかし少子高齢化が進み、

年間1500人のペースで人口が減り、日本創成会議のいわゆる「増田リポート」でも消滅可

能性都市の一つに挙げられています。

しかし消滅なんか、してられません。「潜在的な魅力がたくさんあるはず」の一関市を、理想の

観光地にするために私が大切にしているのは、地域の課題を前向きに考える「問題解決」の視

点です。そのために今、必死で取り組んでいるのが、観光を中心に地域の「稼ぐ力」を引き出

し、地域づくりのかじ取り役になることです。

「一緒にやりましょう」といってくれる仲間が集まり、古いレストランのリニューアルや、古民

家を利用しての宿泊施設作りなどを考えています。次回から、より詳しくお伝えします。(イ

ーハトーブ東北代表・松本数馬)

【プロフィル】松本数馬

まつもと・かずま 昭和55年、岩手県生まれ。早稲田大卒。