老老介護が語るもの。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

生老病死は誰にも迫りくるものである。

佐賀縣の夫71歳は妻を20年以上介護しその終末が

介護疲れで延長コードで妻の首を絞めた初公判であった。

その現場では妻は下半身不随であったが夫が犯行に到るときには目覚めていて

「首を絞めるときには「何すんでー」といったきりで何も抵抗はしなかったという。

 犯行に至るとき夫は「死んでくれ。すまんすまん、わしもすぐ行くから」と

コードで締め上げたとのことであった。

とっても仲の良い夫婦であったとのことである。

おそらくお子さんもいなかったのでしょう。

言葉にならないものがこみ上げてきます。

お若いころはうどん屋を夫婦で切り盛りし

老後資金がめどがついたところで店を閉店し

海外旅行にも出かけ老後をエンジョイされていたところへ

奥さんが自転車事故を起こされ下半身まひで介護の身となられた。

それから起きるべくして起きたかのような結末に言葉を失う。

 殺害状況を夫が一部始終ICレコーダーに収められこれを証拠として

提出されておられるという。

 歳を重ねるだけでも「まさか」には遭遇することは日常茶飯事ともいえよう。

 ミコばあちゃんも父が深夜「意識不明」となりしばらく放置した体験がある。

これも立派な犯罪であると思われる。

長男には夜明けを待って町医者に死亡診断書をお願いするつもりではあったが

夜明け近くに長男に連絡するとすでに救急車を手配していたので入院の運びとなり

意識が回復したのは入院25日目であった。

それからの父は苦しくいばらの道を体験し2年の闘病生活ののち永眠した。

本当に思わず「楽になったからね」と言葉をかけていた。

生あればこそ生老病死は永遠のテーマとして生きるものに訴え続けているものもある。

佐賀県の夫の裁判はこれからも生々しく続けられる。

旦那様の少しでもお気持ちの穏やかな日が訪れてほしいと思います。

老老看護であればこのような現場に陥ることになるので瀬戸際作戦に期待したいものです。

     朝日コムより。

「すまん」介護に疲れ妻の首を…録音に残されたその時

きょうも傍聴席にいます。

 もう死んでくれ。俺も死ぬから。すまんのう、すまん……。男は下半身不随の妻の首に延長コ

ードを巻き、締め付けた。20年以上介護を続けてきた末の悲劇。仲むつまじかった夫婦を追

い込んだものは何か。

〈特集:きょうも傍聴席にいます。〉

 11月13日、佐賀地裁で開かれた裁判員裁判の初公判。

裁判長に認否を問われると、江口末秋被告(71)は「間違いありません」と起訴内容を認めた。

起訴状によると、江口被告は昨年9月7日深夜から8日未明の間に、自宅で下半身不随だった妻

(当時71)の首に延長コードを巻いて締め付け、窒息させて殺害したとされる。

検察側は初公判で被告が殺害の様子を記録したICレコーダーの録音内容を証拠提出し、読み上

げた。

名前を呼びかける被告に、「なんね」「なんしよん」と応じる妻。「もう死んでくれ。俺も死ぬ

から。死んでくれ、死んでくれ……」

被告はそう言い、妻の首に延長コードを巻いて絞めあげた。被告の嗚咽(おえつ)。

「こんなこと、したくなかったのに。すまんのう、すまん」。そして妻の名を呼んだ。

弁護側は、この録音をもとに、妻は犯行当時、目が覚めていたが、抵抗した跡が全くないとして

、殺害に妻の承諾があったと主張。殺人罪よりも刑が軽い承諾殺人罪にあたる、などと訴え、

裁判の争点となった。

冒頭陳述や公判などから経緯をたどる。

佐賀県鹿島市出身の被告と、宮崎県出身の妻は見合いで出会った。「私のひとめぼれだった」と

被告。1982年に結婚。84年には大阪府内でうどん店を開いた。妻も店を手伝い、経営は

うまくいっていたという。91年、「老後の蓄えができた」と店を閉め、2人は鹿島へ転居。

93年、妻は自転車事故で脊椎(せきつい)を損傷し、胸から下が不自由になった。

介護生活が始まった。大変ながら、海外旅行に行くこともあり「楽しい、充実した時間だった」

。だが、2009年10月に大阪府箕面市に移ったころから生活が暗転する。

初公判での被告人…