勤労感謝に寄せて。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

勤労感謝の日すなわち古くは「新嘗祭ともいわれ

今年で70年を迎えるという。

しんじょうさい,にいなめのまつりなどともいう。稲の収穫を祝い,翌年の豊穣を祈願する古く

からの祭儀。天皇が新穀を天神,地祇にすすめ,その恩恵を謝し,また,みずからも食する。

宮中のほか,伊勢神宮出雲大社でも行う。古くは陰暦 11月の下の卯の日に行われたが,明治

以降は 11月 23日に固定した。この日を現在は「勤労感謝の日」として国民の祝日に加えてい

る。なお,天皇の即位後に初めて行う新嘗祭大嘗祭という。 

労働の雇用率は改善されたとはいえまだまだ偏りを見せている。

ブラック企業であったり、企業大手の不正行為が露呈したりと

残念な報道が多すぎる。

 また労働賃金の未払い、おーバーワーク、シェクシャラハラシメントなど労働環境の落人が人

として大切に扱われる労働の健全化が求められます。

     産経より。

【主張】勤労感謝の日 「互いに」の思いを大切に

勤労感謝の日」を初めて迎えたのは昭和23年である。この年に制定された祝日法には「勤労

を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝しあう」とうたわれた。

戦前の新嘗(にいなめ)祭に由来する日で、宮中では新嘗の祭儀が行われる。身を清めた天皇

下が神々に新穀を供え、一年の収穫を感謝するとともに、自らも食することにより国に実りを

もたらす力を得られるとされる。

秋の収穫は朝廷ばかりか民間でも古くから祝われていた。実りへの感謝は、日本の歴史の中を連

綿と継承されてきたのだ。民族の精神に思いを致す日でありたい。

敗戦後の23年は、改善の兆しが見えつつあったとはいえ、庶民の食糧事情はまだまだ厳しかっ

た。当時の「国民生活」世論調査では、都市住民の半数以上が「現在の配給主食では1カ月の

うち10日くらい不足する」と答えている。そんな時代だったのだ。

「食べられること」への感謝の気持ちは、豊かになった現在とは比べようもないほど強かったに

違いない。どこの家庭の子供も「ご飯一粒でも残したらもったいない」と教えられたものであ

る。

感謝の思いは農業に従事する人だけでなく、農具の製造や農産物の運搬など直接目に触れること

のない多くの人々の労働、さらには季節の巡りをもたらす自然の働きにも向けられたことだろ

う。

農耕中心の日本では、互いへの思いやりが何より尊ばれてきた。他人の親切に「おかげさまで」

と礼を述べると、「お互いさまですから」と返ってくる。まさに「人は互い」「相身互い」で

あり、「もちつもたれつ互いに寄らにゃ、人という字は立ちはせぬ」と俗にうたわれる通りで

ある。

祝日法の制定から69年の星霜を経て、勤労感謝の日は今年でちょうど70回目となる。「国民

が互いに感謝しあう」美風は、今も変わらず生きているだろうか。

残念な例がいくつも見られる。部下に過重な労働を強制したり、パワハラなどで人権を侵害した

りといった行為は、周りの人の働きに対する感謝の気持ちがない証左である。日本のモノづく

りを支える有名企業が不正に手を染めるのも、大多数の社員の勤勉な働きに思いが及ばないか

らである。

真に実り豊かな国とは、誰もが互いに感謝しあえるような世を指し示すのではなかろうか。

     ミコばあちゃんのスタートメニュー

 ご飯、大根アゲねぎの味噌汁

ささみのレモン虫、ほうれん草の押したし、株の漬物

ヨーグルト、バナナ

     ではご機嫌よろしゅうに…。