日本が変わる選挙。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 北朝鮮の核実験が施工される中この、ノーベル賞の意義は大きい。

今年のノーベル平和賞が、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN〈アイキャン

〉)に贈られる。122カ国の賛同でこの夏に採択された核兵器禁止条約への貢献が評価され

た。

日本においては(ピースボート)が活躍している。

被爆句としては広島 長崎の受け止めは吉報でもあろう。

 そのような中自民党は、北朝鮮の脅威に対して将来は核も視野に入れているかのような発言に

驚くと同時に、憲法の改正により「自衛隊の明記」に着手しようとしている。

自衛隊国防軍としての役割を担うことに「賛成の是非」が問われてしまう選挙です。

 安部総理はおっしゃいます。

皆さんを北の脅威から安全に守ります。」これすなわち、日本が宣戦布告の意味にも

なりはしないのか。

非核三原則の厳守だけは譲ることなどできない。

北朝鮮の挑発に乗ることだけはあってはならない。

総理のように対話を求めるのでなく、威嚇にだけ徹していると 国防軍も迎撃ミサイルの更なる

新型の購入までも必要不可欠である。

総理の言われるように絶対に守るなどとは言い切ることもできないはず。

これも選挙に対するパフォーマンス

教育無償化の議論もまたにわか仕立て

無償化は誰でも望むことは確か。

貧困ゆえに教育までも育っていないそれはその要素もあるとは思えるが人格

形成こそが求められるのではないのでしょうか。

高学歴の議員さんはぎいんであるからつとめられたのではないのか?

傲慢だらけの社会人ばかりが増えたらどうなる。

みなさんぎいんにりっこうほするいがいにあるまい?

 まずすべきは今の教育内容の精査ではないのですか?

それから無償化の問題と優先順位が問われる。

まずもやし人間の改革こそが問われる課題。

安易に、お金がないならお金をといった短絡的な見地からことを進めていただきたくありません。

 自民党に投票することは、

森加計問題のあの答弁までもリセットすることです。

「記憶にありません」の

連呼にはあきれ返るしかない。

自民党選択は

憲法改正により、自衛隊国防軍にすること

 国防費が毎年膨大になり、社会保障費の確保にまで届かなくなる。

北朝鮮に対する迎撃ミサイルの更なる新型の購入。

これがエスカレートすれば「核には核を」の入り口に立つことになる。

教育の無償化によるダメ人間を増やす土壌にもなりかねない。

 森かけ問題は政府のおっしゃる通りとリセットされる。

この選挙は大きく日本の姿が様変わりする選挙です。

総理のシナリオは良く検証に検証されなければなりません。

相手の不意を突いた、まさに権力選挙そのもの!!い。

    朝日コムより。

衆院選 森友・加計 「丁寧な説明」どこへ (10月6日)

「謙虚に丁寧に、国民の負託に応えるために全力を尽くす」

安倍首相は8月の内閣改造後、森友・加計学園の問題で不信を招いたと国民に陳謝した。

だがその後の行動は、謙虚さからも丁寧さからも縁遠い。

象徴的なのは、憲法53条に基づく野党の臨時国会の召集要求を、3カ月もたなざらしにしたあ

げく、一切の審議もせぬまま衆院解散の挙に出たことだ。

首相やその妻に近い人に便宜を図るために、行政がゆがめられたのではないか。森友・加計問題

がまず問うのは、行政の公平性、公正性である。

もう一つ問われているのは、「丁寧な説明」を口では約束しながら、いっこうに実行しない首相

の姿勢だ。

安倍首相は7月の東京都議選での自民党惨敗を受け、衆参両院の閉会中審査に出席した。

そして、この場の質疑で疑問はさらに膨らんだ。

たとえば、加計学園による愛媛県今治市の国家戦略特区での獣医学部の新設計画を、ことし1月

20日まで知らなかった、という首相の答弁である。

首相は、同市の計画は2年前から知っていたが、事業者が加計学園に決まったと知ったのは決定

当日の「1月20日の諮問会議の直前」だと述べた。

だが、県と市は10年前から加計学園による学部新設を訴えており、関係者の間では「今治=加

計」は共通認識だった。

さらに農林水産相と地方創生相は、昨年8〜9月に加計孝太郎理事長から直接、話を聞いていた

。加計氏と頻繁にゴルフや会食をする首相だけは耳にしていなかったのか。

首相の説明は不自然さがぬぐえない。

朝日新聞の9月の世論調査でも、森友・加計問題のこれまでの首相の説明が「十分でない」が7

9%に達している。

それでも首相は説明責任を果たしたと言いたいようだ。9月の解散表明の記者会見では「私自身

、丁寧な説明を積み重ねてきた。今後ともその考えに変わりはない」と繰り返した。

ならばなぜ、選挙戦より丁寧な議論ができる国会召集を拒んだのか。「疑惑隠し解散」との批判

にどう反論するのか。

首相は「国民の皆さんにご説明をしながら選挙を行う」ともいう。けれど解散後の街頭演説で、

この問題を語らない。

首相は「総選挙は私自身への信任を問うもの」とも付け加えた。与党が勝てば、問題は一件落着

と言いたいのだろうか。

説明責任に背を向ける首相の政治姿勢こそ、選挙の争点だ。